村上春樹作品を読み解くキーワード一覧
村上春樹作品では著者が独自に考案した様々な用語が使われています。今回はそれらのキーワードやキー・センテンスについて、短い文でまとめてみたいと思います。長編作品を思い付く限り全部盛りです。言い切ります。
- 風の歌を聴け Hear the Wind Sing
- 1973年のピンボール Pinball, 1973
- 羊をめぐる冒険 A Wild Sheep Chase
- 世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド
- ノルウェイの森 Norwegian Wood
- ダンス・ダンス・ダンス Dance Dance Dance
- 国境の南、太陽の西 South of the Border, West of the Sun
- ねじまき鳥クロニクル The Wind-Up Bird Chronicle
- スプートニクの恋人 Sputnik Sweetheart
- 海辺のカフカ Kafka on the Shore
- アフターダーク After Dark
- 1Q84 1Q84
- 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
- 騎士団長殺し Killing Commendatore
- 私の考察を鵜呑みにしないで欲しい
風の歌を聴け Hear the Wind Sing
風の歌
社会の風潮に身を任せ流されていると、自身が風に煽られているだけでなく、自らを空虚な風の一部に貶め、社会を望まぬ場所へ進めてしまう。
ジョン・F・ケネディ
自分達で磔にしておきながら、その教えを統治のために流用し、時に生け贄を捧げながら、後に殉教者として数える。
1973年のピンボール Pinball, 1973
ピンボール
「自分らしさの追求ではなく、自我(エゴ)の中から自己(社会と共有できる自分)を抽出し、自我を縮小すること」を、ゴールのないピンボール・ゲームに喩えている。
羊をめぐる冒険 A Wild Sheep Chase
背中に星を背負った羊
1936年に起こった二・二六事件をきっかけに、日本が抱えてしまった右翼思想(天皇を中心に戴く社会主義国家)の亡霊。開戦前に右翼の大物に乗り移り、戦時中、関東軍と共に大陸にわたり、敗戦後に日本を影から支配した。
羊(家畜)
日本国内における羊(家畜)の辿った歴史を語ることで、戦後に家畜化された日本人を描こうとしている。
「生いたつにつれ牢獄のかげは、われらのめぐりに増えまさる」
生きていくために、不要なもの、危険なものとして、牢獄に投げ込んでしまった感覚の悪影響が私たちの周りに広がってくる。
羊男
世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド
Hard-Boiled Wonderland and the End of the World
世界の終わり
街の完全性(平和・平穏)を保つために、住人から自我を切り離し奪い取る社会。
一角獣
街の住人から自我を切り離した後でも、自我がかつてあった名残が夢として人々の心に浮かび上がるので、その夢を吸い取り街の外へ運び出す装置。
ノルウェイの森 Norwegian Wood
死は生の対極としてではなく、その一部として存在している
大人になるための代償。少年期の憧憬(ハツミ)、死の欲動(直子)、自己肯定感(キズキ)を自分の内側で殺さなければならなかった。
ダンス・ダンス・ダンス Dance Dance Dance
羊男
主人公が大人になるために、社会人となるために捨ててしまった感覚や感情を、一手に引き受け管理している墓守。かつては自分の一部であったモノ。
国境の南、太陽の西 South of the Border, West of the Sun
ヒステリア・シベリアナ
無為に消費してしまった自身の過去を取り戻すべく、沈みゆく太陽の西側を目指して歩きだす病気。
ねじまき鳥クロニクル The Wind-Up Bird Chronicle
考察・ねじまき鳥クロニクル 「自由」猫と「エンパシー」バット -
ねじまき鳥
ねじまき鳥は宿命(前世から定まっている運命)のネジを巻き、カササギは運命を変える。
綿谷ノボル
テレビやメディアを通して、不特定多数の人々が暗闇の中に無意識に隠しているものを、外に引き出そうとする。彼の引きずりだすものは、暴力と血に宿命的にまみれている。
スプートニクの恋人 Sputnik Sweetheart
ドッペルゲンガー(ミュウの鏡)
性に奔放であった自身の姿を客観視させる鏡。自身が生活の中で無自覚に広げている歪みを拡大し客観視させるための双眼鏡。
記号と象徴
「記号」と「記号によって示されるモノ」は等価なので、交換が可能。「象徴」と「象徴によって示されるモノ」の関係性は等価ではないので、交換できない。(例:地図記号における卍と寺社は等価。天皇陛下は日本を象徴するが、日本は天皇陛下を象徴できない。)
海辺のカフカ Kafka on the Shore
ジョニー・ウォーカー
自己増殖する暴力の擬人化。ハーメルンの笛吹男。争いの中に人類の歴史の骨子を見る。
迷宮
迷路には分岐があり、迷路は一本道。古代人は腸の中に迷宮性をメタファーで見いだした。
アフターダーク After Dark
私たち(語り手)
コーマ(昏睡状態)の人との対話を可能にする、プロセス指向心理学を模した三人称。「プロセス指向心理学とは、身体や環境に表れる微細なプロセスに対する自覚を高め、その変容に従うことで、問題の解決を見いだそうとする東洋的なアプローチ。」で、社会を見ること。
1Q84 1Q84
空気さなぎ
空気(ムード)を具現化するための中間過程。リトル・ピープルを介さずに創造できると個人の純粋な願い・想いを抽出できる。
リトル・ピープル
人類が社会を形成していく際に、人格や人権の一部を自身から切り離し、社会(国家・集団・リーダー)に対し献上し、社会の維持の為に使役させた様子を描いている。"Little things please little minds”「小人は小事に興ずる」より、リトル・ピープル=「つまらない人々(民)」。
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
Colorless Tsukuru Tazaki and His Years of Pilgrimage
考察・色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 犯人は誰か? -
世界で最も絶望的な牢獄
プラトン主義のソーマ(肉体)セーマ(牢獄)。
"この牢獄は欲望を通じて成り立っており、縛られている者自身が、縛られていることへの、最大の協力者であるようになっている"
ープラトン『パイドン』より
騎士団長殺し Killing Commendatore
二重メタファー
人間が生物として生得的に備えていた認識システム(概念メタファー)を、新たに獲得した「社会で共有する認識システム」で覆い隠してしまったために生じた弊害。
騎士団長(イデア)
Idea(アイデア)。芸術における着想(アイデア)。理性で真理に到達しようとする幻想。
イデア(Idea)
無意識の中から真理を得ていた人類は、社会を発達させていく過程で無意識の領域が狭まり意識が拡大された。無意識の中に真理を見ることができなくなった人類は、意識の中で真理(Idea)を仮定し、観念で捉えようとした。
概念メタファー
人類が意識を拡大し観念で真理(Idea)を捉えようとするよりも以前に、古代の人々は生得的に備えていた認識システムで、他の動物と同様に世界からメッセージを得ていた。
私の考察を鵜呑みにしないで欲しい
7月29日現在、『二重メタファー』というキーワードをGoogle検索すると、私の記事がかなり上位で表示されます。今だけの一時的なものだと思いますが、強調スペニットなるもので記事の一部が抜き出されて表示されました。(編集できそうですが、よく分からないのでそっとしておきました。)ブログをはじめて半年にも満たない、記事数もようやく60記事に達したばかりの新人ブロガーですが、嬉しくもあり困惑しています。
偏見の柱 答えはテクストから自分が何を受け取ったか
私はブログ概要の説明文に「偏見たっぷりに考察」と書きました。これは著者のメッセージを受けてです。
”読書というものはもともとが偏見に満ちたものであり、偏見のない読書なんてものはたぶんどこにもないからです。逆な言い方をするなら、読者がその作品を読んで、そこにはどのような仮説(偏見の柱)をありありと立ち上げていけるかということに、読書の喜びや醍醐味があるのではないかと僕は考えるのです。”ー『若い読者のための短編小説案内』P.25
私も読者の数だけ読み方が変わって良いと考えています。
私も解説本や他の記事、ブックレビューなども参考にして私の読書を深めていきますが、私の考察が独自の読み方である根拠は、
- 短い文で作品全体の統一性を表現できること
- あらすじではなくプロットに書き直すことができること
以上の2点です。この2点が読書を自分のモノにできた条件です。あらすじは主題が何であるかを無視して書くことができます。(レビューや紹介文ではあらすじの方がネタバレを回避できます)
そして、私を含めた他人の考察をそのまま受け入れてはいけません。
他人の物語の中を生きる〈うつろな人間たち〉
”あなたは誰か(何か)に対して自我の一定の部分を差し出して、その代価としての「物語を」受け取ってはいないだろうか?私たちは何らかの制度=システムに対して、人格の一部を預けてしまってはいないだろうか?”ー『アンダーグラウンド』P.734
村上春樹氏は『風の歌』に始まり一貫して、「誰かの用意した物語」の中に自分をはめ込み生きる態度に対し警告を発してきた作家です。また、こうも言っています。
”〈うつろな人間たち〉だ。その創造力を欠如した部分を、うつろな部分を、無感覚な藁くずで埋めて塞いでいるくせに、自分ではそのことに気づかないで表を歩きまわっている人間だ。そしてその無感覚さを、空疎な言葉を並べて、他人に無理に押し付けようとする人間だ。”ー『海辺のカフカ 上巻』P.384
私の事です。他人の妄言に左右されず自身の物語を取り戻すには、自分の読書をするしかありません。下記に村上春樹氏の期待する読者の態度を引用します。
- 何度も何度もテキストを読むこと。細部まで暗記するくらいに読み込むこと。
- そのテキストを好きになろうと精いっぱい努力すること。
- 本を読みながら頭に浮かんだ疑問点を、どんなに些細なこと、つまらないことでもいいから(むしろ些細なこと、つまらないことの方が望ましい)、こまめにリストアップしていくこと。
これは他の誰でもない、著者ご本人のメッセージです。