パスタを茹でている間に

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考察・色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 犯人は誰か?

村上春樹著『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を考察します。本作をピタゴラス教団の教義と結びつける、かなり特殊な読み方をしています。本作を読み解くためのキーワードは「牢獄」です。

 

テーマあるいは出発点

人間は生きている限りは肉体(ソーマ)という牢獄(セーマ)から抜け出せず、自分の身の回りで起こっている出来事に正しい理解や認識に至ることが出来ない。

著者の解決あるいはメッセージ

自分の心の暗部が誰かの心の暗部と繋がり、それが現実に不幸な形で顕れるとしても、自身の中にある傷や苦しみを他者のなかにも認めることにより、凍りついてしまった心を、互いの温もりによって溶かしていくことができる。理解しがたい出来事も、受け止めがたい出来事も、分からないままに。

 

ピタゴラス教団の教義

作中はどこにもそんなこと書いてありませんが、おそらくピタゴラス教団の教義を下敷きに書かれた物語だと思います。著者も全く意図せずにそうなっただけで、私の読み間違えかも知れませんが、私が説明しやすいのでそのまま続けます。

ソーマセーマ

ピタゴラス教団はオルフェウス教の流れを汲み、輪廻転生を信じています。そのとき、魂の故郷であるイデア界に戻るため肉体(ソーマ)という牢獄(セーマ)から解脱することを大きな目標とし、そこから派生していくつかの教義があります。

数秘術

ピタゴラスの定理などで知られていますが、『万物は数なり』の考えのもと数学の研究機関となります。数学の発展により万物の真理を探求しようとする集団になります。

天球の音楽

数学と同等に音楽理論も研究します。ピタゴラス音律などでも有名です。また、われわれの周りの物が動くとき、当然さまざまな音がするので、「宇宙の天体の周期的な運行も大きな音(ハーモニー)がしているに違いない」との考えから、「天球の音楽」を探求することにより、宇宙の真理を解き明かすことが出来ると考えました。

本書との関係

ここまで来ると勘の良い人は、つくるの『嫉妬の夢』ってソーマセーマの事?だったり、『知覚の扉』や『ピアノの夢』って「天球の音楽」の事?なんて想いを巡らすことも出来ると思いますが、順番にやっていきたいと思います。ですが、大きな違いとして、ピタゴラス教団は解脱を目標としていますが、本書は「夢(無意識)から真理(メッセージ)を受け取ること」です。

 

 

嫉妬の夢 絶望的な牢獄

本作の中では、著者が『嫉妬』という言葉について、世間一般で使われている用法とは異なる意味を示していますので、本書の中ではキーワードとなり、ユズの嫉妬も一般的な用法とは異なります。

”彼女は肉体と心を分離することができる。(中略)そのどちらかひとつならあなたに差し出せる”ーp.53

 

”嫉妬とはーーつくるが夢の中で理解したところではーー世界で最も絶望的な牢獄だった”ーp.54

 

"自分の肉体という限定された檻を出て、鎖から解き放たれ、純粋に論理を飛翔させる”ーp.76

 

"それはつまり、ユズは僕に嫉妬したということ?”ーp.236

 

"この牢獄は欲望を通じて成り立っており、縛られている者自身が、縛られていることへの、最大の協力者であるようになっている"
プラトンパイドン』より

身体的特徴が思想(精神)に与える影響

 例えば、
 私が男であるか女であるかは、私自身の思考に大きな影響を与えているのは事実です。「自分は男だからなんとなく理解できないでもないけど、女だったらそれは許せないよなぁ」なんて、結構あります。ユズの場合、周りの人から自分を女性として意識されること自体に抵抗を感じていたように描かれています。
 例えば、
 象は足の裏で音を聞いているそうです。では、象のあの大きな耳は何の為だ?となりますが、体温の上昇を抑えるために耳をパタパタさせて放熱しているそうです。人間は音を聞き分けるために耳を澄ましますが、象の場合は「足裏に全集中!」となり、「暑いから耳をパタパタしなきゃ!」という思考形態になるようです。意識的にやっているかは別として。

"魂は肉体のなかに文字通りすっかり縛りつけられ、接合されてしまっていて、あたかも牢獄を通して見るかのように、実在するものをほかならぬ肉体を通して考察するように強いられる"ープラトンパイドン』より

灰田とは何者か?

灰田が何者なのか私には分かりませんでしたが、物語における役割としては大きく二つほど思い付きました。
まず一つ目は、つくるを含めた五人の夢の合作として現れていること。二つ目は、鏡としてつくるの置かれている状況を明らかにすることです。

夢の合作

つくるの性夢を灰田が受け止めるというショッキングな夢ですが、この夢が、つくるが後に旧友との再会をする際に、つくるに寛容さと深い同情をもたらします。そして、傷つき苦しんでいたのは自分だけではなかったと想い至ります。
アカが同性愛だとカミングアウトしたときも、つくるは自分に実際に起きたこととして、アカの苦しみを自分のものとして寄り添うことができるし、「いつも最後はシロの中」から、クロ・ユズ双方に対する後ろめたさや、自分の中からは絶対に外には出ないし、出してはならない心の暗部を認めた上で、自分だけではなく他者にも、特にユズにも暗部があったことを思いやることができます。アオについては後述します。

鏡としての灰田

灰田の父親が体験した不思議な出来事を、灰田から聞かされるエピソードがありますが、会話の途中で不思議な文が挿入されます。

”つくるの意識の中で父子の姿かたちは自然に重なりあった”ーp.91

この一文により、
つくる ⇔ 灰田 
緑川  ⇔ 灰田青年(灰田の父)
だったはずの登場人物が、
   つくる(緑川) ⇔灰田(灰田青年)

となり、緑川が自身について語っていることは、つくるの状況を説明しているようになります。

”死を引き受けることに合意した時点で、(中略)君はオルダー・ハクスリーがいうところの『知覚の扉』を押し開くことになる(中略)君は肉体という枠を離れ、いわば形而上的な存在になる。”ーp.102~103

実際につくるにそんなことが起きていたかというと、

”我慢できないほどの痛みを感じると、彼は自分の肉体を離れた。”ーp.48

それはつくるが強く死を希求しているときに起きていたことです。死を希求することと、引き受けることとは違うかもしれませんが、常に自身の死と向き合っている点では、同じく特殊な状況と言えなくもありません。つまり、プラトン或いはピタゴラス風に言えば、死に限りなく近づくことによって、肉体という牢獄からの解放を擬似的に体験することになります。

知覚の扉 六本目の指

オルダー・ハクスリーの知覚の扉とは、

”「人間は宇宙からあらゆる刺激を受け止めているが、生存のために要るもの以外の多くのものを削除して、必要なものだけを意識している」”


という感じのものです。なんだかとってもスピリチュアルです。第六感みたいなものでしょうか?第六指も同じ意味だと思います。われわれ人間には扱いきれない余剰なモノです。

 

 

旧友との再会 それぞれの枠と牢獄

まずアオについてですが、

”定められたフィールドの中で、定められたルールに従って、定められたメンバーと行動するときに、彼の真価が最も良く発揮される”ーp.191

 とあり、これは、

”どんなことにも必ず枠というものがあります。”ーp.78

 の灰田の目指すところとは真逆にあり、

”でも今のおれには子供が一人半いて、忙しい仕事も抱えている。家のローンもある。犬も毎日散歩させなきゃならない。とてもフィンランドまでは行けそうにない。”ーp.196

と、灰田とのやり取りがあったために、アオに対する理解が深まり、彼が自ら入ってしまった牢獄を自分のモノとして見ることができます。

アカの「爪剥ぎ」ですが、これは、人間には自由意思などなく、選べるのは「何を獲得するか?」ではなく、「失っても構わないモノを選んでいる」という人生観です。

”人の心と人の心は調和だけで結びついているのではない。それはむしろ傷と傷とによって深く結びついているのだ”ーp.350

エリとの再会でつくるはそんな境地に達するのですが、著者が一番読者に伝えたかったことになると思います。このとき、犯人は「悪霊」である、と読むのが著者の構想を強めるのですが、著者の思惑通りには行かず、読者は犯人捜しに終始してしまいます。私の読み方では「宛所や矛先を失った怒りや哀しみの鎮めかた」なので、犯人が特定されては意味がありません。(あるいは、どこかで誰かが死ぬのは、自分と誰かの暗部がナニかによって繋がってしまったから)

ピアノを弾く夢 天球の音楽

このエピソードがピタゴラス教団の教義である『天球の音楽』と深く結び付いている為に、自分のアイデアを捨てきれませんでした。また、

”人生は複雑な楽譜のようなだ、とつくるは思う。(中略)そこに込められた意味が人々に正しく理解され、評価されるとは限らない。”ーp.390

から、『知覚の扉』もテーマに還元しています。

 

 

つくるの職業が駅舎の設計である理由

色彩を持たない多崎つくるは、特別な存在になろうと決心するのですが、そこでエリの忠告に従い、「木元沙羅にとってのみ、特別な存在でありたい」と願います。

”彼はいわば自らの人生からの亡命者としてそこに生きていた。そして東京という大都市は、そのように匿名的に生きたいと望む人々にとっては理想的な居場所だった。”ーp.406

とありますが、新宿駅を描写しながら、つくるにそのような考察をさせているわけですが、これは何もつくるだけに限ったことではないと読者に投げかけているようにも見えます。

そして気持ちの悪い多崎つくる

だらだらと書いていますが、それでも自分の読み方には自信がありません。私の読み方が間違っている・破綻するおそれがあるのは次の一文があるからです。

”そしてオリーブグリーンのバスローブを着て(かつてのガールフレンドが三十歳の誕生日にプレゼントしてくれたものだ)”ーp.411

常識的に考えて、明日にもプロポーズしようと意気込んでいる男性が、元カノがプレゼントしてくれたバスローブに身を包ませている筈がありません。しかも、三十歳はユズが殺された歳であり、つくるの父親が亡くなった歳でもあります。しかもこの文は、作者が括弧書きを入れてまで描きたかった部分です。このような気持ち悪さはつくるに由来しているものではなく、むしろ著者に由来するものだと私は思いますが、「そんなやつはフラれてしまえ!」とも思ってしまいます。
なので自信は無いのですが、皆さんはどのように読まれましたでしょうか?

 

「生いたつにつれ牢獄のかげは、われらのめぐりに増えまさる」

「牢獄」は著者の作品を読み解くためのキーワードです。

 

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