パスタを茹でている間に

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考察・村上春樹著『街とその不確かな壁』の主題とプロット

 今回は村上春樹著『街とその不確かな壁』を考察したいと思います。私の考察はネタバレを大きく含みますので、せめてと思い文庫化を待っていましたが、ネットに看過できない批評を見つけましたので、今、怒りにまかせて記事を書いています。

 まず、私が『街とその不確かな壁』をどのように読んだのか?を事前に明らかにしておきます。

 

 

 

『街とその不確かな壁』の主題

 この物語では、現実の世界とは別に<壁に囲まれた街>という異世界が存在し、主人公がその両世界を移動できるかのように描かれています。

 しかし、実際には<壁の街>は少女が創作した虚構(フィクション)であり、音信不通になってしまった少女を探す主人公が、現実の世界を諦めて虚構の世界に生きることを選んだ、と読むことが出来ます。

 構図としては「カルト教団の提供する物語を盲信して生きる信者」と同じで、主人公は現実の世界を共有しながらも虚構(教義)の中を生きています。それが著者の文章力も合わさり、現実世界に侵食し実体化した異世界・誇大妄想として読者の前に現れます。

 また、読者がこの構図を理解すると、「<自分・ジブン>という虚構(フィクション)の枠組みに取り込まれた自己」を俯瞰的にメタ認知するように促されます。これが『街とその不確かな壁』の主題です。

4段プロット 物語の継承

  1.  主人公が出会った少女は夢日記を付けていますが、夢の意味は本人にも主人公にも分かりません。そして、自分を取り巻く現実を受け入れることができない少女は、<壁の街>を創作し「本当の自分(自我)」の保護を図り、主人公には<古い夢(未解読の夢)>を読む役割を与え、虚構に取り込みます。
  2.  現実世界の少女が主人公の目の前から姿を消すと、主人公は彼女を取り戻そうと「本当の彼女」が居る<壁の街>を求めます。主人公は彼女の物語を継承し、また自分でも発展させて<古い夢>から「本当の彼女」のサルベージュを試みます。
  3.  愛する妻子を失った子易は、自身の心を癒すべく個人的な図書館を聖域として作り上げていきます。社会から疎外されてしまった少年がその図書館を避難所とし、「何か」を求めて自分の外側にある知識を貪ります。そして、資格(喪失)を備えた主人公がその聖域を継承します。
  4.  <古い夢>の中から「本当の彼女」を見つけ出そうとする主人公の物語を少年が継承します。その少年は本の内容を「劣化なく」自身に取り込むことができるので、自身の内側から沸き起こる夢(の原型)を正確に読むことができます。

 

壁の正体 ムラカミ的な自我と自己

 私的には上述のプロットはとても短くまとまっているので好きなのですが、もう少し詳細なプロットも後述します。まずは、本作のキーワードを読み解くヒントを著者の他の本から引用します。

<壁>の正体です。

”僕らの人間的存在は簡単に説明すると図(1)〈62頁〉のようになると思うのです。自己(セルフ)は外界と自我(エゴ)に挟み込まれて、その両方からの力を等圧的に受けている。(中略)作家が小説を書こうとするとき、僕らはこの構図をどのように小説的に解決していくか、相対化していくかという決定を多かれ少なかれ迫られるわけです。(中略)もちろんこれは、文学的にも精神医学的にもかなり乱暴な説明で、専門的な異論はあると思います。だからこれは小説家であるムラカミの個人的な仮説に過ぎない”ー『若い読者のための短編小説案内』P.60~61

 ここで、図(1)で示されている図は、単純な◎です。内側の小さな○が自我で外側の◯が自己です。この外側の◯(自己)が外界(社会)と接していて、各々がこの現実の社会で自己実現をしようと努力しています。

不確かなリンゴと強固な桃

 例えば、 リンゴのような果物を想像してもらいます。リンゴの可食部分が自己で、中心の芯が自我です。本来、自我と自己の境界はあいまい(不確か)です。可食部分が有用(美味しい!)であることを示すことで、自我(種を含めた)の保存が約束されます。 一方、<少女の壁の街>は、桃やさくらんぼのような食べ物になっています。自我と自己の間に強固な壁を築いてしまったことが問題です。

その他のキーワード

 <壁に囲まれた街> 

 自我。ego。エゴ。社会や他者とは無関係に独立した個人の根元的で本質的な願望や夢。

 <壁の外側の世界>

 自己。self。セルフ。個人の中にあって社会や他者と共有できる部分。個の願望を他者と共有できるレベル・事柄に落とし込むことによって、他者や社会と喜びを共有できます。

 <影>

 ペルソナ。私たちが本音と建前を使い分けるように、社会に自分の能力を提供する際に使用している社会的な役割を果たす部分。

 <古い夢>

 夢や言語や物語に変換される前の、自身の内側から沸き起こる根元的な願望のメッセージ・信号です。変換時に齟齬(情報の劣化・改変)が生じます。見た目は大きな卵型の物体として描写されています。

 

4段プロット 物語の継承と改変 

1.彼女と僕の街

 主人公の男性は高校生の時にエッセイのコンクールで入賞し、同じくそのコンクールで入賞した1学年下の少女と知り合います。両者はその後ペンフレンドになり、実際に何回かのデートも重ねて親交を深めます。

 その少女は自身が夜眠っている間に見た夢について、詳細な記録を残すことを習慣にしていましたが、彼女の周囲には彼女の夢日記に関心を示してくれる人はいませんでした。主人公は彼女の語る夢を興味深く聞いてくれる唯一の人物となりました。

 彼女は幼いときに実母を亡くしており、その後は実父と再婚相手の継母と腹違いの妹と暮らしていました。彼女は現実における自分の環境にうまく馴染むことができず、<大きな壁に囲まれた街>を創作し、主人公に語って聞かせます。

 彼女は現実世界の自分は<影>であり、本当の自分は<壁に囲まれた街>で暮らしていると、主人公に語ります。<壁の街>で彼女は図書館に勤めており、主人公は<夢読み>として、忘れ去られ語られることのなかった<古い夢>を延々と読み続ける役割を与えられ、彼女と共に図書館で働いています。

 その<街の物語>は彼女の心情を反映し、社会や現実や時間の流れから「本当の彼女(自我・魂・心)」を守るべく、強固な壁を築いていて、争いや喧騒や変化のない穏やかな世界が続いていました。しかし、社会的で現実的な生活については<影>(自己・self・社会的な役割を担う自分の分身)に対応させているので、<壁の街>は寒々しく喜びも少なく、街で暮らす他の住人たちも決まったルーティンを繰り返すだけの日々を送っていました。

 そのようにして一年近くの間、彼女は<壁の街>を語り、その詳細について主人公が質問をし、二人の共同作品として<壁の街>が形作られていきます。しかしある日、彼女から主人公へ最後の長い手紙が届き、彼女は音信不通になってしまいます。

 

2.僕の街

 一人きりになってしまった主人公は、手を尽くして彼女を探そうとしますが見つかりません。そんな中でも時間は進んでいき、主人公は大学へ進学し、幾つかの恋愛を経験し、書籍流通業の職に就きますが、主人公の心を占めていたのは彼女と彼女の語った<壁の街>でした。

 現実の世界での彼女の捜索を諦めた主人公は、「本当の彼女は<壁の街>に居る」と彼女の虚構を引き継ぎ、<壁の街>で彼女との再会を夢見ます。そして社会的で現実的な生活は<影>に任せて、あっという間に年齢を重ね、45歳になるまで独身を貫きました。

 <壁の街>での主人公は、彼女の設定したルールを引き継ぎ、<彼女の街>に入る前に、門衛から自分の影を引き剥がされ、<夢読み>としての資格を付与されました。そして、図書館で働いている彼女のサポートを受けながら、図書館に収められている幾つもの<古い夢>を読み続けるという生活が始まりました。

 <壁の街>における本当の彼女は、主人公の事を覚えていません。これは彼女の設定を主人公が引き継いでいるためです。主人公は彼女の妄想した<壁の街>のルールを変更することができません。しかし、<夢読み>として毎日<古い夢>を読むなかで、図書館にある無数の<古い夢>中に、<彼女の古い夢>があることを信じ、彼女との再会を願います。

 一方、主人公から切り離された<影>は、壁を守るための門衛の仕事を手伝わされています。本体(自我)から引き剥がされた<影(自己)>は日に日に弱っていきます。そして、現実世界における主人公(影)も自我と自己との間に強固な壁を築いてしまったので、無味乾燥な生活を送り疲弊していきます。自我と自己の解離が進んでいくので、自我が求める喜びを現実社会の中で見いだすことができません。

  

3.子易館長の個人的な図書館

 一方、主人公が暮らす都会から遠く離れた福島県のとある町に、子易という老紳士が館長を勤める小さな町営の図書館がありました。

 子易は造り酒屋の一人息子で、若い頃に小説家を目指して進学・上京しますが、父親に仕送りを止められて帰郷し家業を継ぎます。その後結婚し、男児をもうけますが、不慮の事故で5歳の息子を失います。そして自責の念に駆られた子易の妻も心のバランスを崩し後追い自殺をしてしまいます。

 子易はその後も家業の経営を続けていましたが、病床に伏せていた父親の死をきっかけに酒屋を売却し、リタイヤします。しかしある時、町営の図書館の老朽化が問題となり、代々地元の名士として知られていた子易が私財を投じて造醸所を図書館に改修し、町に寄付します。

 以降、小説家の夢を諦め、30年前に妻子を亡くし、孤独に生きてきた初老の子易は、自身の傷心を癒すべく聖域としての個人的な図書館の館長となりました。その図書館は町民の憩いの場所となり、子易は図書館運営に尽力しました。

 また、ある時からコミュニケーション障害(作中ではサヴァン症候群)の少年が毎日のように図書館に通うようになり、高校や社会から追いやられた子供の避難所として図書館が機能してていることに、子易は強い喜びを感じるようになります。

 しかしある日、子易は近所の山を散策中に心臓発作で急死してしまいます(75歳)。この世に心配と未練(サヴァン症候群の少年と図書館運営)を残した子易は幽霊となって町営図書館の司書を勤める添田の枕元に立ち、図書館運営の助言をしながら館長の後任を探します。

 そこに、自我と自己の解離が進み、現実社会で叶えるべき願望が見つからずにいた主人公が現在の職を辞し、館長に応募してきます。面接は幽霊の子易が直接行い、主人公は晴れて図書館館長に就任し、以降は幽霊の子易が主人公に実務を引き継ぎます。

 その後のしばらくの間、主人公は子易が幽霊だとは知らずに図書館(=失われた心を受け入れる特別な場所)の運営に関する助言を受けていました。

 

4.少年と僕の街

 子易が自らが幽霊であることを主人公に告白して以来、子易は主人公の前に姿を見せる機会が減りました。主人公はその頃から休館日には子易家の墓に参り、現在の心境や<壁の街>について墓前で語るようになりました。そしてある日、主人公は墓地でサヴァン症候群の少年を見かけ、<街の物語>が少年に聞かれてしまったことに気付きます。

 サヴァン症候群と思われる少年は、休館日以外は毎日のように図書館に通い、ひたすらに本を読破するという生活を続けていました。本の好みに傾向はなく、ノンジャンルでバラバラな読み方をしていました。図書館司書の添田さんによると他者とのコミュニケーションには難があり、添田さんとも実務的な会話をする程度で、時には筆談も必要でした。

 しかし、少年には一度読んだ本を完全に記憶し、暗唱までできるという特殊な記憶能力が備わっていました。本当は適切な施設での支援があればと、添田さんは少年を気にかけますが、無関心な父親と過保護な母親によって少年は前に進むことができず、少年は図書館を避難所としました。

 ある日、主人公は添田さんの手を介して少年から封筒を受け取ります。中には<壁の街>の詳細な地図が入っていました。細部について違いはあるものの、それは主人公の知る<壁の街>でした。主人公が墓前で語った内容から、少年は本を暗唱するかの如く<壁の街>の様子を再現してしまいました。

 主人公は戸惑いながらも地図をコピーし、自分の記憶と違う箇所について注釈を加えます。そしてその注釈を加えた地図の複製を封筒にいれて少年に渡すように添田さんに託します。<壁の街>の地図を手に入れた少年は、「街に行きたい」と館長室の主人公を訪ねます。

 こうして、少女の作った呪いを主人公が引き継ぎ、子易が作った聖域で少年と主人公が邂逅を果たし、主人公の被った呪いを少年が浄化し、少年は<古い夢>のメッセージ解読の可能性を示します。

  

問題の抽出 物語の継承と改変

 エンディングは省略してあります。また、<壁に囲まれた街>を私のプロットで「創作の世界」と極端に陳腐な簡略化しましたが、実際にはそのような描かれ方はしていません。私たちの生活する現実の世界とはパラレルに存在する異世界のようでもあり、互いに影響し合う世界として描かれています。

 この章立てや物語の構成や展開はとても緻密で、特に、主人公の本体と<影>が二つの世界をシームレスに移動していくのはとても細かい設計と計算がなされていることが分かります。構想が思い付いたとしても、現実にひとつの物語にまとめるのは特別な作家にしか出来ないとも思います。

 著者が自我と自己を説明するのに二重丸◎の簡単な略図を使いました。そして、このイメージを私が継承し、リンゴや桃に改変しました。これが物語の継承と改変です。改変の際に情報の劣化が生じます。

自己を他人に明け渡す

 私が本作を考察しようと思うとき、「少女が夢日記を付けていた」ことは絶対に省略できません。あらすじや感想を書く程度であれば無視しても構わないと思いますが、主題と密接に関係するどころか、私にとっては主題そのものになっています。

 本作における主人公は、「初恋の少女を想い続ける独身の中年男性」というかなり特殊な設定です。いったいどのような読者層を想定しているのか分かりませんが、多くの人にとって感情移入しづらい物語です。しかし、著者が一番描きたかったのは<壁の街>ですので、主人公や少女の淡い恋愛事情は設定に過ぎず、物語るのに一番効率が良かっただけです。

 読者が本作から「自分探しを続ける中年の独身男性の物語」を読んだのであれば、それは鏡写しに読者を貶めます。読者は自分の中にあるものを見つけることでしか物語を読むことができないからです。これは、著者が仕掛けた強烈な皮肉です。

 自我の願いに耳を傾けようとせずに、積極的に自己を社会や他者に明け渡そうとするのは、年齢や性別や環境が違えども、どこで何をしていようとも、主人公と同じ生き方です。そして、主人公には救いが必要です。

枝葉と幹

 残りは全てエピソード(枝葉)です。メインストーリー(幹)ではありません。この読み方はあくまで私個人の主観であり、他の読者と共有できるものではありません。

 優先されるのは著者が何を書いたのか?ではなく、「私が何を読んだのか?」だけです。それは正しさとは別に、私が誠実で正直な読者である証拠です。(極論を言えば、著者が描きたかったことなど、私にとってはどうでもいいです。)

 もちろん、他のエピソード(枝葉)を拾い上げてプロット(幹)に結びつけることも可能ですが、それらは主題を補足しているだけに過ぎません。あらすじは出来事の羅列です。プロットは前の出来事を受けて「だから」で繋げることができます。

 自分の読み方が定まっているとエピソードを無視して考察できますが、その逆は不可能です。主題(幹)を無視しては物語の統一を読むことができません。問題となるのは幹と「枝ぶり」のバランスです。

 物語を読む喜びは、枝葉に覆われて見えなくなっている幹を、想像で再現することです。見えていること、分かっていることに短絡的に反応することではありません。(と、私は思います。)

”人は少ししか知らぬ場合にのみ、知っているなどと言えるのです。”ーゲーテ

私たちの心が求める物語

 村上春樹著『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』が発表されたころは「セカイ系」としてカテゴライズされました。その後も著者は「異界巡り」の作品を書き続けて、パラレルな異世界とを行ったり来たりします。

 最近のアニメやライトノベルでは「異世界転生モノ」が流行しているようです。以前から「剣と魔法のファンタジー」はあったのですが、どういう訳か最近では、争いが日常となった異世界に主人公がチート能力を持って転生し無双をする、といった作品群が好まれているようです。

 小説やアニメなどの物語や、音楽や芸術作品に至るまで、私たちは自分の心が喜ぶものをお金を使って買います。現実に手に入るものは代替品に過ぎないので、実際に私たちの心を慰めているのか?どうかは不明です。

 そして、そのような作品群は妄想や虚構やフィクションではなく、私たちの生きる現実の世界に商品として存在し、大きなお金が動く経済活動であり、私たちの心にも多大な影響を与えています。

関連する作品 魂の行き着く場所

『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』

”自分という身体の檻から意識を解き放ち”

 これは、グノーシス主義なのでキリスト教圏では悪魔崇拝と見なされる危険があります。

 また、作中では子易が現世に未練を抱えたまま逝去したので、成仏できずに幽霊となってしまいます。一方、異世界転生モノは仏教の六道輪廻の修羅道です。(著者は「輪廻転生は信じていない」とインタビューで語っていますので、グノーシス主義ではありません。念のため)

 ちなみに、この「檻」を主題として、全く別の考察をすることもできます。しかし、私はこの思想が好きになれないので、私の考察からは排除しました。著者やその著作物を非難して小銭を稼ぎたい輩は、むしろコレをやればいいのにと思います。

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世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド

 他にも、特定の宗教を持たずに唯物論の立場を取ると、肉体が生命活動を終える最後の瞬間に、意識では「無限の今」が始まってしまう可能性が『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』で示されています。どれもとても怖いです。(「無限の今」は仏教で言うところの「賽の河原」です。無限ループ。)

 どのような宗教と死生観を持つのかは個人の自由ですが、「私」に固執し「私の保存」を優先すると、どうやら幸せにはなれないようです。

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スプートニクの恋人』 「自分」というフィクション(虚構)の檻

”「世界のたいていの人は、自分の身をフィクションの中に置いている。もちろんぼくだって同じだ。車のトランスミッションを考えればいい。それは現実の荒々しい世界とのあいだに置かれたトランスミッションのようなものなんだよ、外からやってくる力の作用を、歯車を使ってうまく調整し、受け入れやすく変換していく。そうすることによって傷つきやすい生身の身体をまもっている、言っていることはわかる?」”ー「スプートニクの恋人」P.97

 

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海辺のカフカ』過去の歴史としての戦争

 私がエピソードとして切り捨てた退役軍人について深堀りしてみます。

 私たちは過去の戦争の歴史を語るとき、自己の外側にある「社会で共有すべき問題」と捉えるのか?「社会で共有している自己の問題」と捉えるか?でスタンスに違いが出てきます。

 そして、本作の主人公は自我の内側に退役軍人を住まわせています。この退役軍人は<少女の物語>には存在せず、主人公が街に持ち込んだ住人だと私は思っています。そしておそらく、著者自身も同じ方法で歴史認識をしていると私は考えています。

 だからこそ、血を流して苦しむ覚悟があるからこそ、多くの読者を引き付ける物語が書けます。

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全力考察 呪いを希望に変える物語

・自分の夢や物語が他者の心の傷を癒すことは可能か?

 または、

・自身の心の奥底から沸き上がるメッセージを、劣化なく直接受けとることは可能か?

 

”そう、その少年の描いた街の地図には、何かしら人の心をそそる―あるいは惑わせる―特殊な力が潜んでいるらしかった。(中略)見るものの心の中にある(そして普段はうまく奥に隠されている)何かを呼び起こす、機動力のようなものがそこには潜んでいた。”ーP.437

 

 主人公と少女の共同作品である<壁の街>は、「呪いの物語」だったのですが、サヴァン症候群の少年にとっては「希望の物語」となりました。そして、それらをひとつの作品として読む我々読者は、少年の読む<古い夢>に耳を傾けようとします。(私は<古い夢>を「無意識からのメッセージ」としたくなるのですが、近年の著者は「無意識」という言葉を意図的に避ける傾向があり、ムラカミ的には違うようです。)

まとめ 私とは何者か?

 スマホ検索エンジンを開いて、検索履歴に表示された検索ワードが最近の私たちです。私たちは外側に向かって知識・体験を求めようとしますが、実際には得られた外側の知識・体験を、内側に向けて自分を探ろうとしているのかも知れません。

 それは「黄色い潜水艦の少年」が図書館で外側の知識を求めていたのと同じように、本当は「自分の心が願っていること」を探していたのと同じなのかも知れません。

”人間は、何を滑稽だと思うかということによって、何よりもよくその性格を示す。”ーゲーテ

 物語の世界観としては寒々しい場所でゆっくりと時間が流れ、ダイナミックな動きもないので、好みが分かれる作品だと思います。 その分、ストーブや登場人物の中に、寒さや辛さを分かち合う暖かさが描かれています。

 世界観を楽しめるかどうかはともかく、本作における著者の挑戦と成功は、単純な売れっ子作家ではなく、稀有な芸術家の証明となったと思います。

終わらない疫病、あなたのやりたいこと 

 自分が昨日、何をやっていたのか思い浮かべてみます。その内の何割が社会や環境に要求されたことだったのでしょうか?それが私の人生です。

 あなたは今、私のブログ記事を読んでいます。(ありがとうございます♪)あなたの時間の余暇を使ってのことですので、それはあなたの自己が求めていることだろうと思います。

 しかし、あなたが今、「本当に心の底から求めていること」は何だったのでしょうか?私たちを「前へ」進めているモノです。あなたの目に映っているモノは、大抵の場合は代替品に過ぎません。

 あなたは今、本当に、私のブログ記事を読みたかったのでしょうか?

 そして、本作で語られた<終わらない疫病>とは、いったい何のことだったのでしょうか?

 

 (何やらとても押し付けがましく、色々と配慮に欠けた記事になってしまいましたが、私の怒りが収まるまでしばらくこのままにしようと思います。)