パスタを茹でている間に

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考察・羊をめぐる冒険 羊男の正体

テーマあるいは出発点

 近代から現代に至るまでの日本を、二・二六事件学生運動三島由紀夫事件をターニングポイントと捉え、日本人がいかに羊(家畜)に成り下がったか?あるいは、そうなることを回避できたか?検証する物語。

 

著者の解決あるいはメッセージ

 「生いたつにつれ牢獄のかげは、われらのめぐりに増えまさる」

 生きていくために、不要なもの、危険なものとして、牢獄に投げ込んでしまった感覚の悪影響が私たちの周りに広がってくる。

 

 

 

 

羊をめぐる冒険』のプロットと主題

 本記事では物語の展開を示していませんが、私の読んだ主題と対応するプロットをこちらの記事で書いています。物語の概要を掴みたいかたは参考にしてください。

while-boiling-pasta.hatenablog.com

歴史認識のスタンス

 まず始めに、過去の歴史を扱う前に、私自身の歴史認識の方法・スタンスを表明しておきたいと思います。それは、

 「いかなる明白な、疑いようのない客観的な事実を示されようとも、それはひとつの視点であり全てではないので、そこで何が行われたか?それは一体なんであったのか?結論を保留する。」

 というものです。別に歴史学者の研究や功績を否定しようと言うものではありませんが、「ある時点までは真実として教科書にも載っていたようなことが今では違う」なんて事は良くあります。それこそ歴史学者の功績なのですが、そんなことも踏まえて、「羊をめぐる冒険」と過去の歴史をこじつけようとしていることをご理解ください。

 

二・二六事件 星羊の足跡

 二・二六事件は、1936年に若い将校たちが起こしたクーデターで、貧困に陥った農村部を救うため、資本主義と政党政治を覆し、天皇を中心とした社会主義国家の樹立を目標にしていました。この若い将校たちは皇道派と呼ばれ、クーデターによる改革を目指していました。

 一方、統制派と呼ばれる集団は主に軍の上層部からなり、こちらは合法的に社会主義の実現を目指していました。

 どちらも中心に天皇を戴こうとしていたのは一緒です。結果的には、クーデターは失敗に終わるのですが、また新たにクーデターが起こることを恐れた政府は、統制派を押さえることが出来ず、アジア侵略に傾いていきました。

 結果だけ見ると、皇道派の理想や大義がどんなに美しくとも、二・二六事件をきっかけに、日本はアジア侵略を進めていくことになりました。

 皮肉なことに、徴兵された国民には、農村部の若者たちも多くいたことでしょう。

背中に星を負った白羊

 羊博士から出た星羊が、右翼の先生に乗り移ったのは、1936年です。その後、星羊は関東軍とともに大陸に渡り、終戦間際に日本に戻ってきます。敗戦後、軍隊は解体されましたが、星羊は保守党の派閥と広告業界をまるっと買い取り、日本に影響を与え続けます。

 軍部はもちろん右寄りの思想になるのですが、その亡霊とも言える存在が星を負った羊の正体です。

 ネットでも探してみましたが、星羊と二・二六事件を結びつけている読み方は皆無でした。1936年しか合ってませんので、自分でも少しやりすぎ感は否めません。しかし、星羊を「日本人の抱え込んだ矛盾を養分に肥太る化け物」とすることで、物語の統一を読むことが出来ます。

 

アイデンティティ確立と全共闘

 エリクソンの発達課題によると、青年期の課題はアイデンティティ確立とアイデンティティ拡散になるそうです。ここで、全共闘を含む学生運動の根幹は何か?考えてみると、自分とは何か?を問う替わりに、社会批判をすることで自己同一性の確立を目指していたことが伺えます。

 つまり、雨傘運動も、タイの反政府運動も、グレタ・トゥーンベリちゃんも全て、言っていることは違うけど、やろうとしていることは「既存の社会を否定することで、自己を確立しよう」ということでした。

 日本では18歳から選挙権が与えられますが、成人は二十歳からのようです。しかし、大人と子供を分けるものは一体なんでしょう?大人とはそのような学生運動を見て「自分にもそのような時代があり、社会の欺瞞や不正に憤りを感じていた」と、振り返れることです。「そして、今ではそのような不正を積極的に支えている」と自覚的であることが、大人と子供を分けます。

 

”君たちが六十年代の後半に行った、あるいは行おうとした意識の拡大化は、それが個に根ざしていたが故に完全な失敗に終わった”ー上巻P.190

三島由紀夫の檄文

 三島由紀夫の主張・やりたかったこととは一体なんだったのでしょう?一言で分かりやすくまとめてしまうことはおこがましいですが、それでも本作と絡めて要約してみたいと思います。それは

  1. 日本人が日本(人)を守ることで、それが日本(人)となる。
  2. それを最も良く体現しているのが自衛隊である。
  3. しかし、自衛隊違憲な存在である。
  4. 自衛隊は日本を守る存在であるべきなのに、護憲側に回ってしまった
  5. 結果、自衛隊は自らの存在を否定する憲法を守るというジレンマに陥った

みたいな感じです。

”一身独立して、一国独立す”

福沢諭吉

 全く関係の無い一文のようにも思えるかもしれませんが、アメリカと同盟関係にある日本は、自然とアメリカナイズドされた思考形態が身に付き、それが、さも、日本独自のものであるかのように疑いません。

例えば、

 世界で唯一、核兵器を使用した国と、世界で唯一、核兵器で被害を受けた国とが、互いに同盟関係にあるのは、世界にとってとても好ましい状況なのかもしれませんが、本来日本は、世界で唯一の被爆国としての立場があるはずです。しかし、日本はアメリカの核の傘の内側から核兵器の悲惨さを訴えるという、とてもふざけた矛盾を抱え込むことになるのですが、それ自体、特に疑問にも思わなくなってしまいました。

 日本人の頭の中は羊と同じく空洞になっていて、時に群れの順位を決めるべく互いの頭をぶつけ合って喧嘩し、羊飼いに従順な存在までなってしまったのかも知れません。

 

 

 

自身の弱さと矛盾に自覚的な鼠

 鼠が一体何を目指して放浪生活を続けていたのか分かりません。しかし、社会の一員となることを避けていたというのであれば、彼の行動原理が浮かび上がってきます。

 つまり、多くの若者は学生運動後、社会の一員となり、それが出来ない人はあさま山荘に立て籠ったりしたのですが、そのどちらにも進めなかった鼠は社会との関わりを避けながらも、それでも社会の中でしか生きられない矛盾を背負うこととなります。

”「キー・ポイントは弱さなんだ」”ー下巻P.200

羊男 大人になるための生け贄の儀式

 ヒッピーのようなツギハギを着た羊男ですが、彼は戦争忌避者で自己を偽る衣を身にまとっています。日本での学生運動がヒッピーの衣を借りていたことも考えると、自己を偽り、借り物のツギハギで理論武装をし、社会との繋がりを絶っている存在です。団塊の世代の人たちの中には「あっ!…」なんて、自分の内側に羊男を発見できるのかも知れません。

 当時日本では、アメリカのようにベトナム戦争をしていなかったので、それらしい問題を借りてきて、本当は「Love&Peace」を叫びたかったのに、「大学解体」を叫んだのでした。そこに信念はなく、ただ単に、「自分らしさ」を社会批判の中で求めようとした、お祭りのためのお祭りでした。(不快に思われた方がいらっしゃいましたら申し訳ございません。どうせ当時を知らない小僧の言うことです。ご容赦ください)

 社会批判をしていた自分をそのまま成長させて、社会の一員になることはできません。なにしろ社会人になるということは不完全な社会を作っていく側に回ることです。そのため、自己同一性を保つため、かつての自分を生け贄的に自身から切り離すイニシエーションが必要になります。

 

右か?左か?真ん中か? 右翼の権力機構を引き継ぐアナーキー

”「完全にアナーキーな観念の王国だよ。そこではあらゆる対立が一体化するんだ。その中心に俺と羊がいる」”ーP.204

 私の読み方では、星羊は戦時中の関東軍が、戦後も亡霊となり日本に戻り影響を与える存在になったとしているのですが、右になります。しかし、アナーキー(無政府主義)は左になり、「弱さ」をキーポイントに矛盾の中をさすらう鼠が権力機構を引き継ぐことになっているはずでした。かなりカオスな状況です。

 一方で、先述した皇道派も統制派も、中心に天皇を戴こうとしたのですが(保守・右翼)、社会主義(左翼)の実現を目指していました。こちらもかなり混乱しています。

 もはや、右か左かを言うことは意味をなさなくなってしまいます。日本以外の他の国では、左側が改憲を叫ぶのですが、日本では保守政党改憲を進めようとしています。

 著者の作品は世界的に有名だということもあり、皆が思い思いに引用しては、自分の主張に取り込んだり反論することで利用しています。

 その時、「私はこの本を全体としてはこのように読んだ」と明示してから引用するのならまだ分かるのですが、「全体としては何なのか良く分からないが、戦争についてこのように書くのはけしからん!」とか、「女性蔑視だ!」とか「本の売上を伸ばすために関係のない話を!」とか、言われたい放題です。また、右や左の人たちからも、全く同じ箇所を引用されているのにも関わらず、全く正反対の意見に取り込まれる有り様です。

 ある人からすれば、オリンピックで自国の旗をふって選手を応援することは「右傾化が進んでいる」そうです。もはや、見る人の立ち位置によって何でもありの状態です。星羊の目論見は完成しているのではないでしょうか?

 矛盾を飼い慣らしているのか?それとも、矛盾を矛盾とも思わず、矛盾の中に生きるよう飼い慣らされているのか?

 

「生ひたつにつれ牢獄のかげは、われらのめぐりに増えまさる」の意味

 生きていくために、不要なもの、危険なものとして、牢獄に投げ込んでしまった感覚の悪影響が私たちの周りに広がってくる。

 

 こちらの詩句は作中では「古い詩」として主人公が口ずさみますが、著者の創作です。本作に限らず、あらゆる作品にこの思いが読み取れます。「作家・村上春樹の重要なテーマのひとつ」と考えて良さそうです。