考察・村上春樹著『沈黙』 ゾンビ的な傍観者の畜群
高校2、3年生向けの「集団読書テキスト」なるものに採用されたそうです。いじめがテーマになっており、大変良い教材だと思います。被害者側にも非を持たせ、また、加害者の人柄は被害者側から一方的に評価されていることも、より深い考察を必要とされる作品です。
四段プロット あらすじの代わりに
- 「僕」は、会社の先輩である31歳の大沢さんと空港のレストランで世間話をしていた。大雪で遅延している飛行機待ちの暇潰しだった。「僕」は大沢さんが二十年近くもボクシングをしていると知って、意外な気がした。「僕」からすると大沢さんは、物静かで、誠実、温厚な性格で、攻撃的なボクシングとは程遠い人物に思えていたからだ。
- 「僕」は、「これまでに喧嘩をして誰かを殴ったことはありますか」と訊ねてみた。大沢はしばらく沈黙した後、「基本的には一度もありません」と語り始めた。中学二年の時、大沢は同級生の青木という人物に「英語のテストでカンニングをした」と事実無根の噂を立てられた。その事を問い詰めようと呼び出したとき、口論の弾みで青木を殴ってしまったとのことだった。大沢がジムに通い始めたばかりのことだった。
- 青木はその事をずっと根に持っており、復讐のチャンスを待っていたと大沢は語る。実際、二人の通っていた高校の同級生が自殺するといった不幸があった時、大沢は青木の報復を間接的に知らされる。大沢は、その自殺した生徒を殴っていたとの疑いをかけられ、学校と警察から聴取を受ける。警察の呼び出しを受けたことは校内に広がり、残りの学生生活を孤独に過ごさなくてはならなくなった。
- 大沢は誰も知り合いのいない九州の大学へ進学した。大沢はそのような強烈な体験からひとつの教訓を得る。それは
”「でも僕が本当に怖いと思うのは、青木のような人間の言いぶんを無批判に受け入れて、そのまま信じてしまう連中です。自分では何も生み出さず、何も理解していないくせに、口当たりの良い、受け入れやすい他人の意見に踊らされて集団で行動する連中です。”ーP.84
ということだった。
問題の抽出 タイトルが『沈黙』である理由
本当は「大沢を苦しめる悪夢」について触れないと、考察はできないのですが、省略します。興味をもって頂いた方は、是非、原作の表現を味わってください。
本作の焦点となっているのは、青木のような人物ではなく、青木のような人物に煽動されてしまう集団です。私はニーチェの「畜群(付和雷同する群集・大衆を軽蔑した比喩)」を連想しました。
関連する作品 繰り返し使用されるモチーフ
「人間を畜群と見なし、それからできるだけ早く逃げ出そうとする者は、必ずや当の畜群的な人間たちに追いつかれ、その角で突き刺される。」ー『人間的、あまりに人間的Ⅱ』
村上春樹作品では、この「畜群」的なものが形を変えて何度も出てきているように思います。
『アフターダーク』や他の作品にも見られる「顔なし」
『ねじまき鳥クロニクル』の綿谷ノボル(青木)と「テレビを熱心に見る人々」
『羊をめぐる冒険』の「羊(現代の日本人)」 等
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全力考察 沈んで黙する
大沢を苦しめる悪夢とは、そのような「畜群的ゾンビ」に自身が取り込まれてしまうことです。どれだけ自分の思いを叫ぼうとも、群衆にかき消されてしまう様子を「沈黙」というタイトルに集約していると思いました。黙っていることが「沈黙」ではなく、集団にかき消されてしまう様子を「沈んで黙する」としています。
そして、大沢の語る「青木というイヤな奴」を、「僕」や読者が無条件に信じ、受け入れてしまうと、「僕」も読者も同類に成り下がる危険があります。
まとめ
「村上春樹の作品って良く分からないけどナンか嫌!気持ち悪い!」そんなネット評から著者自身を守り・慰めるための作品でもあります。