パスタを茹でている間に

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考察・村上春樹著『羊をめぐる冒険』のプロットと主題

 今回は『羊をめぐる冒険』のプロットに挑戦します。以前にも考察を記事にしてありますが、物語の主題に対応したプロットを作成してみようと思います。

 プロットと呼ぶには長すぎるので、自分の力不足を感じます。しかし著者も、物語の展開で自身の主題を示さずに、登場人物に自身の想いを語らせている節もありますので、おあいこです。

A WILD SHEEP CHASE

   

プロット あらすじの代わりに

 この物語では、星羊の足跡を追うと、「日本人がどこで何をしていたのか?」が分かるようになっています。星羊に思惑や善悪なんてありません。日本という国が戦争前後に内外で犯した愚行を思えば、星羊は邪悪どころかほとんど何もしていません。

水曜日の午後のピクニック

 主人公は29歳の「僕」。相棒の共同経営者と共に小さな事務所を営み、出版業界で働いていた。「僕」には四年連れ添った配偶者がいたが、「僕」の友人と浮気していることが分かり、離婚していた。「僕」が最後に元妻と会ったのは、知人女性の葬式帰りで、その時、元妻はもう少しで26歳になろうとしていて、故人は26歳だった。離婚が成立してしばらくして、「僕」は広告コピーの仕事を通して、耳専門のモデルをしているキキ(21歳)と知り合い恋人になった。

 「僕」が故人と知り合ったのは大学生の頃だった。1970年11月25日、「僕」はテレビに繰り返し映し出される故・三島由紀夫の姿を故人と一緒に見た日のことを「奇妙な午後」としてはっきり覚えていた。テレビのヴォリュームが壊れていたせいで、演説の内容はほとんど聞こえなかったが、「僕」は三島由紀夫事件を気にも留めなかった。しかしその日の夜、彼女は声も出さずに泣いていた。そして、「(自分は)25歳で死ぬの」と宣言した。実際は1978年7月、26歳で亡くなった。交通事故だった。

背中に星形の斑紋がある特殊な羊

 「僕」には10年来の付き合いになる友人・鼠がいた。彼は社会の一員となることを拒み、定住を持たず、放浪生活をしていたが、「僕」の誕生日には手紙とオリジナルの小説を律儀に送ってきた。ある時、封筒に羊の群れを撮影した写真が同封され、「人目に付くところに晒して欲しい」と頼んできた。「僕」は鼠の希望通り、その羊の群れの写真を、進行中のPR誌で保険会社のグラビア広告に採用した。

 羊の群れの写真には、一匹だけ背中に星形の斑紋がある羊が紛れ込んでいた。その羊は右翼の大物が探していた特殊な羊で、右翼の先生の秘書を務める黒服の男は、そのグラビア広告から出版社を突き止め、「僕」の事務所に圧力をかけ、発行を停止した。その上で、秘書は写真のソースを明かせと「僕」に迫り、「僕」が拒むと、「ならばその、星を背負った羊を探し出せ」と脅迫した。

人間に取り憑く星羊の霊体

 友人の鼠に危害が及ぶことを恐れた「僕」は、キキと共に北海道に渡り、羊探しを始めた。羊探しを始めるにあたって拠点に定めたホテルは、偶然にも以前「北海道緬羊協会」として使われていた建物だった。そして二階部分はフロアごと資料室になっており、ホテルの支配人の父親はかつて協会の会長を務めた羊博士だった。

 星羊の所在を調べるために羊博士に写真を見せると、羊博士はその特殊な星羊について語り始めた。羊博士はかつて農林省の官僚として1935年に満州に渡り、戦争に備えた綿羊増産計画に携わっていた。そして羊博士が一人で視察中の時に、特殊な星羊と出会い交霊し、「羊つき(羊の霊体を自身に宿す状態)」となった。羊博士がその後、精神異常者扱いで本土に呼び戻されると、星羊は羊博士を離れた。星羊は何を企んでいるのか?羊博士にも分からなかった。

星羊の足跡が日本人のたどった道

 「その後、星羊は右翼の大物に乗り換えた。」と「僕」は知っている事を補足した。1936年、右翼の先生は、当時は刑務所生活を送る青年で、出所後にすぐに右翼の大物となり、関東軍と共に大陸に渡り情報網と財産を築き、敗戦前に本土に帰国し、その後は日本を裏から牛耳っていた。そして星羊は、今では新たな宿主を求め右翼の先生の体を離れ、鼠の近くに居り、彼の撮った写真に収まっていた。

文明を捨て自然の中を生きる羊男

 写真の場所は羊博士が以前住んでいた牧場で、別荘付きで売り出され持ち主が変わっていた。鼠の所在を突き止めた「僕」は、牧場のある別荘に辿り着いた。鼠と会えることを期待していたが、別荘には誰もいなかった。鼠の不在に途方にくれていると、キキが「眠りなさい。食事を用意しておくから」とソファーに座っていた「僕」に毛布をかけた。しかし、仮眠から目を覚ますと、台所で食事を作っていたはずのキキの姿が消えていた。

 キキはどこに行ってしまったのか?困惑していると玄関のドアがノックされ、羊男が訪ねてきた。羊男は羊毛で作られた羊型の着ぐるみを纏っていた。羊男は「戦争に行きたくなかったから」人間を諦めて羊男になったと語った。「僕」は羊男にキキについて尋ねると「いるかホテルに帰った」と言い、鼠の居場所を聞くと、「知らない」と教えてくれなかった。

アナーキーな観念の王国

 別荘で鼠を待ち続けて12日が過ぎ、「僕」は「三日間森を彷徨い歩いた」かのような強い疲労感を感じ、ソファーの上で眠った。そして「僕」は夢の中で鼠の幽霊と再会を果たした。鼠は自分に入ってきた星羊を葬るべく、自分もろとも首を吊って死んでいた。

”「そのあとには何が来ることになっていたんだ?」

「完全にアナーキーな観念の王国だよ。そこではあらゆる対立が一体化するんだ。その中心に俺と羊がいる」

「何故拒否したんだ?」(中略)

「俺は俺の弱さが好きなんだよ。苦しさやつらさも好きだ。夏の光や風の匂いや蝉の声や、そんなものが好きなんだ。”ー下巻P.204

問題の抽出 羊(家畜)と星羊と羊男と鼠 

 エンディングは省略してありますが、著者の作品には珍しく「爆発」します。

 『羊をめぐる冒険』は以前にも考察しています。二・二六事件学生運動三島由紀夫を結びつけて考察しています。前回の考察記事はこちらです。

while-boiling-pasta.hatenablog.com

羊(家畜) 家畜化され、頭が空っぽの日本人

 日本国内における羊(家畜)の辿った歴史を語ることで、戦後に家畜化された日本人を描こうとしている。

”羊は国家レベルで米国から日本に輸入され、育成され、そして見捨てられた。(中略)まあいわば、日本の近代そのものだよ。”ー上巻P.176

 

”「羊はどんな風に喧嘩するの?」

「頭と頭をぶつけあうのさ。羊の頭は鉄みたいに固くて、中が空洞になっているんだよ」”ー下巻P.116

 

背中に星を背負った羊 星を負った白羊

 「日本人の抱え込んだ矛盾を養分に肥太る化け物」1936年に起こった二・二六事件をきっかけに、日本が抱えてしまった右翼思想(天皇を中心に戴く社会主義国家)の亡霊。

 右翼なので保守なのですが、星羊は自虐的な自己破壊を目指すナショナリズムです。右翼の権力機構と資金源を用いたアナキズムの実現です。

 

”「完全にアナーキーな観念の王国だよ。そこではあらゆる対立が一体化するんだ。その中心に俺と羊がいる」”ー下巻P.204

 アナキズム(支配者・の不在)とは、既存の権威・権力を否定し、個々人の自由を目指します。既存の社会の破壊を経て、個人の自由が重視される社会の実現を理想としますので、保守的な考え方とは相容れません。

三島由紀夫の檄文

 三島由紀夫の理論を借りると、

憲法自衛隊の存在を否定している。そして、本来は自衛隊が日本国と日本人を護るからこそ、そこが日本となるはずなのに、自衛隊は国も国民も守らずに、自身の存在を否定する護憲側になってしまっている」

 というジレンマが示されています。

 この三島由紀夫の檄文をどう捉えるか?それこそ個人の自由ですが、どのような環境であっても適応してしまうのが人間です。人間は慣れる生き物です。 

羊男 社会に捧げた生け贄

 主人公が大人になるために、社会人となるために捨ててしまった感覚や感情を、一手に引き受け管理している墓守。かつては自分の一部であったモノ。

”日本の近代の本質をなす愚劣さは、(中略)生活レベルでの思想というものが欠如しておるんだ。時間だけを切り離した結論だけを効率よく盗み盗ろうとする。”ー下巻P.58

 

”世界は凡庸だ。これは間違いない。(中略)世界の原初は混沌であって、混沌は凡庸ではない。凡庸化が始まったのは人類が生活と生産手段を分化させてからだ。”ー上巻P.180

 羊男の原型は十二滝町の開拓民を僻地へ案内したアイヌ青年のようです。戦争から逃げて、人間を諦めて、羊の格好をして、文明を否定し、自然の中で生きようとしています。

 徴税や徴兵の意味が分かっていません。生き物として、人間の自然な在り方とは、どのような生き方なのでしょうか?

鼠(矛盾を抱え込んで生きる著者の分身)

 鼠は主人公(現代人)のように生け贄を捧げず、矛盾を抱え込んだまま前に進もうと試みます。しかしその場合、社会の一員とはなれず、アウトサイダー的な生き方しか出来ません。

”俺の体、俺の記憶、俺の弱さ、俺の矛盾…羊はそういうものが大好きなんだ。(中略)俺の耳の穴や鼻の穴にそれを突っこんでストローで吸うみたいにしぼりあげるんだ。”ー下巻P.202  

 自ら羊男を切り離す場合でも、星羊に中身を絞り出される場合でも、最終的には頭の中身が空洞になった家畜(羊)に成り下がります。

キキの特別な耳 聞く耳さえあれば

”ラウンジのテレビには三島由紀夫の姿が何度も何度も繰り返し映し出されていた。ヴォリュームが故障していたせいで、音声はほとんど聞き取れなかったが、どちらにしても我々にとってはどうでもいいことだった。”ー上巻P.20

 本作ではヴォリューム(受信側)の故障と表現されていますが、実際はどうだったでしょうか?

”前庭に駆けつけたテレビ関係者などは、野次や騒音で演説はほとんど聞こえなかったと証言しているが、徳岡孝夫は、「聞く耳さえあれば聞こえた」「なぜ、もう少し心を静かにして聞かなかったのだろう」とし、「自分たち記者らには演説の声は比較的よく聞こえており、テレビ関係者とは聴く耳が違うのだろう」と語っている”ーwikiより

 

 主人公は既に羊男を自身から切り離してしまっているので、耳の機能が失われています。そこで、キキ(聴き)の耳を借りて自身の物語を前へ進めます。

十二滝町の歴史 二・二六事件

 主人公は鼠のいる牧草地がある十二滝町に向かう最中、「十二滝町の歴史」という分厚い本を読んでいます。本作でかなりのページを割いて詳細に紹介されている十二滝町の歴史ですが、特別な耳を持つキキが一言で要約してくれています。

”「せっかく苦労して土地を開拓して畑を作ったのに、とうとう借金からは逃げ切れなかったのね」”ー下巻P.88

 十二滝町の開拓民たちは、元々は津軽の貧しい小作農で、北海道に新天地を求め、借金を踏み倒し、借金取りから逃げて、十二滝町に辿り着き、多くの困難を乗り越えて荒れ地を開拓していきました。しかし、そこでも政府からの税の徴収を受け、土地を担保に借金をし食い繋ぎますが、次第に小作農に転落していきます。

 2・26事件で若い将校たちが決起したのは、「貧困に苦しむ農村部を救う」という美しい大義からでした。

関連する作品 鼠三部作+羊男

 私は『羊をめぐる冒険』では、羊男の正体が掴めずにいたのですが、「ダンス・ダンス・ダンス」の方が分かりやすく描かれています。

風の歌を聴け 風を描こうとする鼠

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1973年のピンボール 矛盾の中を進もうとする鼠

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羊をめぐる冒険 前回の考察記事

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ダンス・ダンス・ダンス 羊男の正体

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ヤクルト・スワローズ詩集 村上春樹は極右なのか?

 右や左を言う前に、日本人とは何なのか?

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全力考察 日本人はどこで何をしていたのか?

 結論は変わりません。

「生ひたつにつれ牢獄のかげは、われらのめぐりに増えまさる」

 生きていくために、不要なもの、危険なものとして、牢獄に投げ込んでしまった感覚の悪影響が私たちの周りに広がってくる。

 日本人は既に多くのものを失い、家畜化され、矛盾の中を生きているので、善悪を選り分けることが出来ません。

 著者が描いたのは「日本人がどこで何をしていたのか?」です。

 右翼の先生のモデルとなった人物を探し、彼や星羊にその責を押し付け断罪する態度は、生け贄の儀式と変わりません。羊は人類の歴史の中で何度も生け贄とされてきました。

 羊とは何でしょうか?

まとめ あなたに届きますように!

 祝!99記事目!ブログを開設してから一年が過ぎて、ようやく99記事になりました。

 誰かが鼠三部作を読み深めているようで、私の記事のPVを増やしてくれていました。私の考察を参考にして頂けるのは嬉しいのですが、あくまで私個人の偏見に満ちた読み方です。時には私の考えを否定することで、その事をきっかけにご自身の読書を深めて頂ければ、なおさら嬉しいです!

 

 あなたに届きますように!

 

 はてなブログでは、同一アカウントで3つまでブログを開設できるそうです。ちょっとやりたいこともあり、しばらく村上春樹考察を離れたいと思います。

 100記事目を区切りにしたいと思っています♪

 

 祝!「街とその不確かな壁」発売!

 村上春樹著「街とその不確かな壁」が発売になりました。私は文庫本主義なので、この作品を読むのはまだだいぶ先になりそうです。