パスタを茹でている間に

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考察・村上春樹著『謝肉祭(Carnaval)』ヴィーナスの醜さ

 今回は「一人称単数」より『謝肉祭(Carnaval)』を考察します。この短編では、主人公の友人としてF*氏という40歳代の女性が登場します。彼女は「とても醜い女性」で、最後には詐欺事件の犯人として逮捕されます。ネットでは「モデルは誰か?」と犯人捜しが行われています。

 短編集「一人称単数」ではエッセイ形式で書かれていますので、著者の実体験のように読むことが出来ますが、基本的には創作として扱った方が良いと私は思っています。そうしないと「品川猿」が実在してしまいます。なので私は、『謝肉祭(Carnaval)』主人公は著者の等身大の架空の人物として読んでいます。

 この短編では、女性の美醜がテーマのひとつになっているようで、繰り返し容姿に関する記述がされています。しかし、その醜さを ”「ヴィーナスの誕生を想起させる」” とありますの。なので、「美の女神であるヴィーナス」のような醜さを読む必要があります。

 

 

四段プロット あらすじの代わりに

  1.  主人公は、50歳を過ぎた頃に友人の紹介で知り合ったF*氏という女性について回想する。F*は当時40歳くらいだった。主人公はF*の特徴を「これまで僕が知り合った中では、いちばん醜い女性だった」と一言でまとめた。F*と主人公はクラシック鑑賞で向かった演奏会で出会い、二度目の再会もコンサート会場だった。
  2.  主人公はF*から「無人島に持っていくたったひとつのピアノ音楽を選ぶとすれば?」との質問に、「謝肉祭」と答えた。二人はシューマンの作曲した「謝肉祭」のカルナヴァル(仮装祭り)の中に、現代人が素顔を隠しながらこの社会を生きていく様子を見て語り合った。以来、主人公とF*は「謝肉祭」友達となり、様々なピアニストの演奏する「謝肉祭」を聞き比べ、感想を言い合う関係となり親交を深めた。
  3.  しかしある時主人公は、大型詐欺事件を伝えるニュースの中で、F*の姿を発見する。彼女はハンサムな夫と共謀し、高齢者を狙った資産運用詐欺を行っていた。ピアノ音楽を愛し、理知的な彼女が、なぜ破綻が前提になっている自転車操業的な詐欺に荷担したのか?主人公は困惑した。主人公はF*が逮捕されたあとでも、「謝肉祭」がプログラムに組まれているコンサートを見つけては鑑賞に出向き、彼女が語った「仮面と素顔」について思いを巡らせた。
  4.  主人公はF*のことを考えていると、学生時代に友人に誘われてダブルデートをしたことを思い出した。主人公に紹介されたのはあまり容姿の優れない女の子だった。後日、誘ってくれた友人からは、ブスな子を連れてきてすまなかったと謝られた。しかし、主人公は自分の語った大好きなジャズについて、一所懸命に聞いてくれたその子に好感を抱いていた。主人公は彼女の名誉を回復すべく、もう一度その子に会いたいと思ったが、彼女からもらった電話番号が書かれたメモを失くしてしまっていた。 

 

問題の抽出 「私」という仮面

 この「一人称単数」の短編集としての統一テーマは「私とは誰か?」です。そして、『謝肉祭(Carnaval)』とは、カーニバル(仮面舞踏会)の意味で用いられています。

”私たちは誰しも、多かれ少なかれ仮面をかぶって生きている。(中略)悪霊の仮面の下には天使の素顔があり、天使の仮面の下には悪霊の素顔がある。どちらか一方とだけということはあり得ない。それが私たちなのよ。それがカルナヴァル。”ーP.182

 ペルソナ(仮面)と言ってしまえば陳腐ですが、私たちは自己を偽って生きるように社会から強要されています。

 

しかし、

”カーニバルの語源は、俗ラテン語の carnem(肉を)levare(取り除く)に由来する。”ーwikiより

 と、断食前の宴を指します。この「肉を取り除く」は、グノーシス主義では違った意味を持ち上げ、「不浄なる肉体を離れ、神聖な魂を取り戻す」ことに繋がります。

 古代の宗教、特に精霊信仰では、シャーマンが精霊を自分の身に降ろすために仮面を用いる場合もあります。

 この辺は、私が深読みしてしまっているかもしれませんので、ご参考までに。(しかし、ボッティチェッリも…。)

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 絵画「ヴィーナスの誕生」を製作したのは、ルネッサンス初期のイタリアの画家ボッティチェッリです。このボッティチェッリネオプラトニズム(ギリシャ哲学+キリスト教)に傾倒した画家で、「ヴィーナスの誕生」ではルネッサンス後期に隆盛したマニエリスムの様式が既に現れています。原型はメディチ家のヴィーナスで、楽園を追われたイヴです。

マニエリスム

 マニエリスムとは、簡単に説明すると「美の誇張」です。古典的リアリズムとは対照的に、写実性を無視して作者の主観的な美的感覚を極端に追求します。なので、「ヴィーナスの誕生」では、異常に長い首、人体の構造を無視した撫で肩、地に足が着いていない浮遊感など、見る人によっては「気持ち悪い、怖い」絵画となっています。 

”ひとつひとつの部分にはとくに欠陥らしきものはない。しかし、それらの部分がひとつに組み合わさると、そこに紛れもない、有機的にして総合的な醜さが立ち上がる。”ーP.169

 これが醜さの正体です。また、著者はギリシャ哲学や古代の宗教観を礼賛しますが、キリスト教に対しては批判的です(と、私は思っています)。なので、著者の好きなギリシャ哲学に、著者の嫌いなキリスト教を組み合わせようとする新プラトン主義を「醜い」と批判しているようにも読めます。しかしこのような読み方は、この短編ひとつでは結論付けることが出来ません。読者によって態度が分かれるところです。

全力考察 「心的状況の表現」を永遠に無くす

 主人公がF*氏との出来事を回想していると、学生時代に容姿の優れない女性とデートした出来事を思い出します。これは、後日譚や考察パートとして、F*氏と対となるエピソードとして書かれています。その女性は容姿はあまりパッとしないものの、主人公が熱く語るジャズについて、関心をもって傾聴してくれました。

アート・ペッパーのアルトサックスの音が時折どんな風に素敵に軋むかについて、彼女に詳しく説明した。それはたまたまの音楽の乱れではなく、彼にとってのひとつの大事な心的状況の表現なのだ(中略)。そしてそのあと、彼女が別れ際にくれた電話番号のメモを、僕はどこかに永遠になくしてしまったのだ。”ーP.195

 つまり、私たちは表情を欠いた仮面を被り、「心的状況の表現」を失ったままこの世界を生き続けなければなりません。魑魅魍魎の跋扈する、この狂った仮装祭りの中を。

まとめ 村上春樹フリーメイソンなのか?

 本来、ひとつの作品を考察するときは、その作品で語られていることのみを扱うことがマナーだと思っています。しかし、複数の作品群を平行に読み、そこから別のテーマを抽出し、何かしらの考察を行うことも出来ます。シントピカル読書といいます。

 この作品が難しくなるのは著者が意味不明なキーワードを多用するからなのですが、そのキーワードを結びつけ、別の読み方にこじつけることができます。

 そのような可能性を残したのは著者の責任ですが、私としては危険な読み方になるので敬遠しています。しかし、より深くこの作品を味わいたい方には、参考までに別記事のリンクを張っておきます。

 どのように結論付けるかは、読者に委ねられています。

das-glasperlenspiel.hatenablog.com