パスタを茹でている間に

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考察・村上春樹作品におけるメタファー、記号と象徴、擬人化の例

 今回は村上春樹作品におけるメタファー、擬人化、記号と象徴について、わかりやすく例を示して説明したいと思います。
 「○○は××のメタファー」という考察記事をよく目にします。一部の読者の間では、著者の比喩表現を一様にメタファーとする傾向がありますが、村上春樹作品以外の小説に慣れ親しんだ読書好きの皆さんには抵抗があろうかと思います。
 本記事ではそれらの誤解を明らかにしたいと思います。

 2023年3月追記

 メタファーの一種である寓意(アレゴリー)について抜けていましたので、寓意化についても区別したいと思います。

 

メタファーとは何か?

 メタファー(暗喩)とは、比喩であることを明らかにしない比喩表現です。一方で、「まるで~~のようだ」は比喩表現であることを明らかにしていますので、シミリ(直喩)として区別されます。

メタファー(暗喩・隠喩)の例

  1. 人生は登山だ。
  2. 神話「ミノス王の迷宮」は、古代に行われていた人身御供の儀式を「ミノタウルス退治の物語」によって否定した。
  • ミノタウルスは「生け贄の儀式」の擬人化
  • 化け物退治(の物語)がメタファー 寓意化
  • 迷宮は「死と再生」のシンボル(象徴)
  • 「迷宮は何のシンボルか?」が自明な分野・文化圏では、「迷宮」は記号的に扱われる。

 このように、メタファーの最小構成単位は文で、大きなものでは神話のような物語までを扱います。(「ミノス王の迷宮」は生け贄だけを扱っていません。また、私はこの分野の専門家ではありません。)

 

氾濫するメタファー

 寓意(アレゴリー)は、記号や象徴や擬人化などを組み合わせて、ひとつのまとまりを持った概念や思想を「別のものを語る」という表現手法です。童話や神話、絵画なども「別のものを語る」ので、概念や思想を寓意化しています。

 「比喩であることを明らかにしない比喩表現」であれば全てメタファーと言えるので、記号や象徴、擬人化や寓意も全てメタファーとなります

 一部のハルキストでは著者の比喩表現を一様にメタファーとする態度がありますが、これは村上春樹作品のみを語るときに許されている遊びです。一般的にはそれぞれ別の呼び方がありますので、区別されています。

概念メタファーとは何か?

 このような比喩表現は、「ある概念を別の概念を利用して表現・説明している」ことを理解できなければ意味が通じません。このような認知機能を概念メタファーと言い、概念メタファーがあるので全ての比喩表現が可能になります。

騎士団長は何のメタファーか?擬人化の例

 村上春樹作品において、何らかのメタファーとされているものを幾つか挙げてみますが、これらのほとんどは擬人化です。

騎士団長(イデア)

人間が正しくロゴス(理性)を働かせば、イデア(真理)に到達できるという幻想の擬人化。

リトルピープル

主権者たる人民が、集団・団体・社会・国家を維持するために、自らの権利・自由を集団に捧げてしまう仕組みの擬人化。

ジョニーウォーカー

戦うほどに争う理由を増やしてしまう、自己増殖する暴力の擬人化。

羊男

大人になるために、現代社会の一員となるために、自身のなかで切り離してしまった感覚(少年期の憧憬など)の擬人化。

村上春樹作品以外

 村上春樹作品以外の小説に慣れ親しんだ人からすると、一般的にはこれらは全て擬人化です。メタファーと言うのは誤用ではありませんが、通用するのは村上春樹作品に限定されます。

 

記号と象徴の違い

 記号と記号によって示されているモノとの関係性は、等価なので交換可能です。一方、象徴と象徴されるモノとの関係性は、立場を入れ換えて交換することは出来ません。

記号の例

1973年のピンボール」より、記号とは何か?解説します。

”これはピンボールについての小説である。ー「1973年のピンボール」P.29”

 この一文により「ピンボール = 小説」という読み方が可能になります。「ピンボール」と「小説(を書くこと)」は等価になり、作中で「ピンボール」と表記されている箇所は全て「小説(を書くこと)」と読み替えることができます。これが記号です。

象徴の例

ねじまき鳥クロニクル」より、象徴とは何か?解説します。

綿谷ノボル

 人々が宿命的に抱え込んでしまっている「無自覚な暴力」を、テレビやメディアによって露呈される仕組みの擬人化。

かささぎ

運命の象徴。かささぎによって人々の運命が変わってしまいます。

ねじまき鳥

宿命の象徴。宿命とは生まれながらに宿している運命です。

自由意思の象徴。本作の主題は宿命に抗い自由意思を取り戻すお話です。

 

 「何を何の象徴とするのか?」これは表現者の自由です。ですから、読者(私)は著者の意図を間違えて読んでしまうこともあります。

 私は自身のアバター・アイコンとしてペンギンを用いていますが、何を象徴させているかは私の自由です。また、ペンギンからどのような印象を受けとるかは人によって違います。そして、共有されているイメージも文化圏によって異なります。

 

村上春樹作品における寓意化の例

騎士団長殺し」を使って寓意とは何か?説明します。

 著者の物語は全て、概念や思想を「別のもので語る」ので寓意です。しかし、寓意は表現者の意図が読者(鑑賞者)に伝わってこそ寓意として機能しますが、読者が読み違えて別の概念を得た場合ではメタファーとして機能します。

天田画伯の残した絵画「騎士団長殺し

天田画伯が体験し、後世に残したいと願った概念の寓意化。

主人公が読み取った絵画「騎士団長殺し

 主人公は天田画伯の意図(寓意)を読み解けていませんが、概念メタファーを介して主人公を取り囲む状況の理解と解決に役立てています。

 

表現者不在のメタファー

 寓意は比喩表現なので必ず表現者を必要とします。しかし、人間や動物は自分達の身の回りに広がる自然物や宇宙を概念メタファーを介してその概念を理解しようとします。

 文明や科学が未発達だった古代人でも、自分達を取り囲む「世界とは何か?」を概念メタファーを介して見ていました。そこに科学的な正しさは必要とされていません。

 例えば、「落雷」は自然現象なので表現者はおらず、寓意ではありません。しかし、概念メタファーを介して「落雷」に物語が見いだされ、記号化され、象徴とされ、擬人化され寓意化されます。  

村上春樹の用いているメタファーとは何なのか?

海辺のカフカ」を使って説明します。

カフカの周りに広がる森をメタファーに、カフカの心の内に広がる森を表現する。

または、

カフカが入り込んでしまった自身の心の内にある迷宮性をメタファーに、カフカの周りで起きている出来事の迷宮性を表現する。

 

 つまり、自身の心の内を理解するのに、周りの出来事をメタファーとして利用することです。逆に、周りで起こっている出来事を理解するのに、自身の心の内をメタファーとして利用することです。

”「そうだ。相互メタファー。君の外にあるものは、君の内にあるものの投影であり、君の内にあるものは、君の外にあるものの投影だ。(以下略)」” ー『海辺のカフカ 下巻』P.271

 このように、著者は比喩表現としてのメタファーではなく、自身や社会の理解を深めるためにメタファーを用いています。メタファーという語を、広義に拡大解釈して使っているのは著者ではありません。
 一般的に人物は擬人化で、人以外のモノや動物は象徴です。そして、物語の中から何らかの概念を抽出し、読者の心の内や、社会のあり方の理解に役立てようとするのがメタファーです。これは、村上春樹作品でも、一般的な用法でも違いはありません。

 また、物語は著者の意図(寓意)が正しく伝わることを目指していると思われがちですが、著者の求める物語とは、読者のひとりひとりが全く別の結論に達することを目指している節が見受けられます。

関連する過去記事

メタファーとは何か?それぞれの作品で私の個人的な読み方を書いています。

 

while-boiling-pasta.hatenablog.com

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村上春樹の『二重メタファー』 二重構造の認識システム

考察・村上春樹著『偶然の旅人』 昼間の打ち上げ花火は見えない

考察・村上春樹著『木野』 村上春樹的メタファーとプロット

 

この他にも書いていますが、この記事の下の方に検索窓がありますので、キーワード検索して下さい。

 

まとめ 個人の覚え書き

 「○○は何かしらのメタファーかもしれない」と、読んでもよく分からなかったモノをとりあえずメタファーとしておく読み方もあります。「村上春樹作品以外はよく読む読書好きの皆さん」からすると、乱用されるメタファーでかえって混乱するのではないかと思います。
 今回の記事で明らかにしたものは、あくまでわたしの個人的な覚え書きですので、正しさとは別のところにあります。比喩表現の全てをメタファーと言ってしまっても、誤用ではありません。(シミリであっても、理解できるのは概念メタファーがあるからです。)
 ただ、私の考察記事においては、上述の区分を心がけて作成しています。
 世間一般で既に使われてしまっている「メタファー」という語を、改めて再定義しようするものではありません。私の考察があくまで一個人の読み方であるのと同様に、私のブログ内では「メタファー」という語を限定的に用いています。

 

 メタ meta-

「超越した」、「高次の」という意味の接頭辞で、ある学問や視点の外側にたって見る事を意味する