パスタを茹でている間に

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考察・村上春樹著『独立器官』本人の意思と他律的な作用

 短編集「女のいない男たち」より、『独立器官』を考察します。ざっくりとあらすじを説明すると、50歳を過ぎても独身を貫く美容整形外科の開業医をしている男性・渡会が、恋煩いで拒食症になりそのまま絶命するお話です。

 短編集に収められた順番からすると、「イエスタデイ」『独立器官』「シェエラザード」となっています。「イエスタデイ」と『独立器官』では、同一人物・谷村が語り手として登場します。

 また、「シェエラザード」ではヤツメウナギが主題となっているのですが、私の考察では、「独立器官 = ヤツメウナギ」として読んでいます。

 

 

 

「独立器官」のあらすじ

  1.  物語の語り手は50歳過ぎのフリーライター(もしくは小説家)の谷村。谷村は27歳で結婚し子供はいなかった。谷村はスポーツジムでスカッシュの相手として渡会医師と親しくなり、酒を飲んで話す間柄になった。
  2.  渡会は独身主義者で結婚したことがなかったが、教養がありお金もあったのでガールフレンドには苦労したことがなかった。しかし相手を選ぶとなると、結婚を求められるのは嫌だったので、既婚女性か別に本命のいる女性の浮気相手となることで自身の主義を守っていた。
  3.  しかし、渡会は現在付き合っている人妻に強く魅了され、彼女を失いたくないと思いながらも、これ以上好きにならないように努めなければならず、混乱していると谷村に漏らす。「最近、アウシュヴィッツ強制収容所に関する本を読んだ」と語り、その中でユダヤ人医師が辿った運命を知り、「自分とは何者か?」についてばかり考えるようになり、ナーバスになっているのかもしれないと打ち明けた。
  4.  しばらくして谷村は、渡会の秘書をしている男性から、渡会が心不全で亡くなったことを知らされる。死因こそ心不全だが、秘書の話によると拒食症になり、最後の方には何も口にせずミイラのようになっていたとのことだった。渡会の身に何が起こったのか?秘書が調査すると、渡会と不倫関係にあった人妻が、家庭も子供も捨てて別の男と駆け落ちしてたことが発覚した。

 

問題の抽出 独立器官とは何か?

 長すぎるプロットを回避し、短くまとめようとした結果、ほとんど「あらすじ」になってしまいました。考察から先に書こうとしたのも良くなかったです。本来は考察用プロットに収まっているべき内容について、下記で補足します。

 

我々を他律的に支配する独立器官

”すべての女性には、嘘をつくための特別な特別な独立器官のようなものが生まれつき具わっている、というのが渡会の個人的意見だった”ーP.175

 

”思うのだが、その女性が(おそらくは)独立した器官を用いて嘘をついていたのと同じように、もちろん意味あいはいくぶん違うにせよ、渡会医師もまた独立した器官を用いて恋をしていたのだ。それは本人の意思ではどうすることもできない他律的な作用だった”ーP.178

 

 本作の主題となる「独立器官」ですが、かなり歪んだ生き方をしている渡会医師の元凶が、本人の意思とは別の原理(律)からもたらされていることです。また、プレイボーイな渡会医師の歴代のガールフレンドもそれぞれの律によって振り回されています。

ヤツメウナギ的な腸内細菌の要求

 私たちは心理学などを用いて、自分達で認知・自覚できない意識をまとめて「無意識」としてしまっています。しかし、その内のどの程度が「腸内細菌の要求」なのか?区別ができていません。彼らのメッセージは言語化されていない信号です。

 渡会の拒食症ですが、腸内細菌の要求を無視し、他律的な要因を排した「純粋な自分を取り戻すこと」を目標にしているようにも読めます。

 

”「私とはいったいなにものなのだろうって、ここのところよく考えるんです」と彼は繰り返した”ーP.149

 

 アウシュヴィッツのエピソードからこんな会話になったのですが、このエピソードを短編の主題に結びつけることで、物語の持つ統一性を読むことができます。  

 

関連する作品 本当の私

ヤツメウナギ的な主題「シェエラザード

 ヤツメウナギの主題・行動原理はシンプルで、「子孫の繁栄」と「貪り喰う(栄養の吸収)」のみです。

 

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両義的に人間を導く蛇「木野」

 ヤツメウナギは水中を漂う「腸管」ですが、蛇は地を這う「腸管」です。動物は「腸内細菌が効率よく栄養を吸収するため」に進化したのかもしれません。だとすると、その名残が私たちのお腹にもあります。

 

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本当の私はどこまでが「私」か?

 長編「騎士団長殺し」でも即身仏の話が出てきたり、中編「アフターダーク」でも身体から意識を切り離そうとします。長編「色彩を持たない多崎つくる(略)」でも同様です。

 

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全力考察 あなたは誰ですか?

 本作の考察の根拠となっている主題を、別の作品である「シェエラザード」や「木野」から持ってきているのですが、この読み方は私は好きではありません。

 私には「ひとつの物語は、その作品のみで語られるべし」という偏屈な考え方があります。同じ短編集に収められているからとはいえ、他の作品の中に考察の根拠を求めるのは嫌いです。

 

”彼女のことを考え続けていると、なんだか内蔵の機能までおかしくなってしまいそうです。主に消化器系と呼吸器系ですが”ーP.143

 

 辛うじて、ヒントが隠されています。また、渡会医師が美容整形外科なのも、「外側と内側」の話になっています。

 絶食してみたり、身体的感覚を弱らせ、可能な限り死に近づくことで「純粋な個人の意識の把握」を目指した思考実験でした。

 

”自分がなにものであるか、末期近くになって彼は答えらしきものが見えてきたのかもしれない。そして渡会医師はそのことを僕に伝えたかったのかもしれない。そういう気もする。”ーP.178

 

まとめ パッケージとしてのコンセプト・アルバム

 著者は前書きで「本短編集はコンセプト・アルバムとして読んでもらえるとありがたい。」と書いています。現代の音楽はサブスクの時代で、個別に切り離された単曲を扱うのが主流です。

 本短編集ではパッケージの魅力を伝えるべく、「単品では扱えない作品集」を目指したのかもしれません。

 

 ”昨日は あしたのおとといで おとといのあしたや”ー「イエスタデイ」P.73

 

 ちなみに、「Yesterday」の前は「I've Just Seen A Face」で、次は「Dizzy Miss Lizzy」です。