パスタを茹でている間に

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考察・村上春樹著『猫を棄てる 父親について語るとき』 一滴の雨水

 今回は村上春樹著『猫を棄てる 父親について語るとき』を考察します。こちらの作品は副題にある通り、著者が自分の父親について語るエッセイとなっています。

 著者の父親・千秋氏は京都の安養寺(浄土宗)の次男として生まれ、勉強が好きで京大の大学院まで進学します。しかし学生時代に戦争になり、召集の度に勉学を中断しなければなりませんでした。大学院に進んでからも、結婚と子供(春樹氏)を授かったのを機に学問を諦め、高校の国語教師となりました。

 私のブログはネタバレ全開で考察するので、せめて文庫本になるのを待って記事にしようと思っていました。そして、私の知らない間に文庫化されていました。

 

 

 

 

結論『猫を棄てる 父親について語るとき』のメッセージ

”僕としてはそれをいわゆる「メッセージ」として書きたくはなかった。歴史の片隅にあるひとつの名もなき物語として、できるだけそのままの形で提示したかっただけだ。”ーP.120 あとがきより

 

 「メッセージがない」というのがメッセージになっています。この文から読者の一人一人に感じてもらいたいという著者の思いを受けとりました。なので、プロットとあらすじは書きません。根拠を示せていないので、感想文ぐらいにとらえて下さい。

 全体像を示さずに考察するのは難しいのですが、既読の方が更に読みを深める為のネタとなるようなことを提示することが出来ればと思います。

 とは言え、かなり詳細にまとめてありますので、未読の方はご容赦下さい。

 

村上春樹の父方の祖父・村上弁識

 著者の祖父は京都の安養寺(浄土宗)の住職だったそうです。この祖父・弁識氏は元々農家の家に生まれましたが、長男ではなかったので家を出され、あちこちの寺で小僧や見習い僧として修行を積んだのちに安養寺の住職として迎えられます。

 弁識氏は男ばかりの6人兄弟をもうけ(著者の父親は次男)、兄弟全員は成人するまでに僧侶の資格を取得し、お盆には手分けをして檀家回りをして、夜になると家族で酒を飲んだそうです。

短編「どこであれそれが見つかりそうな場所で」

 弁識氏は70歳で路面電車にはねられて亡くなるまで、元気でピンピンしていたとのこと。これは、短編「どこであれそれが見つかりそうな場所で」に出てくる、酒飲みの住職と同じ死に方です。となると、この短編で失踪した夫(息子)とは、著者の父親という読み方が可能になります。失踪者探しをしている主人公は著者です。

 

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阿弥陀仏信仰

 浄土宗と浄土真宗は違うのですが、基本的に「南無阿弥陀仏」と一心に阿弥陀如来にすがり、救いを得ようとするところは一致しています。親鸞ファンの五木寛之先生に解説して頂くと、

"阿弥陀仏信仰は、必ずしも一般にいわれるような一神教的信仰ではないと私は思う。八百万の神々とはいかなくとも、数多くの仏や菩薩の存在を認め、その諸仏のなかから阿弥陀如来という仏を選んで、その仏ひと筋に帰依するという信仰だからである。"ー五木寛之著「大河の一滴」P.26 より

 

 と、こんな感じです。後でもう一度、五木寛之先生に登場して頂きます。

 

村上春樹の父・村上千秋

父・村上千秋氏の略歴をまとめます。

見習い小僧体験

 祖父の弁識氏もそうであったように、父・千秋氏も口減らしを兼ねて家を出され、奈良の寺で養子に近い形で小僧となります。しかし、千秋氏はうまく馴染めず、しばらくして実家に戻されます。(父親の見習い小僧時代は、父親から直接聞いた話ではなく、父親の兄の嫡男、つまり著者のいとこにあたる安養寺の現住職から後年に聞かされます。)家を出されたことも親の期待に応えられなかったことも、少年時代の父親には心の傷として残ったはずだと、著者は推察しています。

 

僧侶の資格を持つ学生の召集

 千秋氏はその後、西山専門学校という仏教の専門学校に進学します。徴兵猶予を受ける権利があったのにも拘わらず、事務手続き上のミスで二十歳で徴兵されます。合計で三度召集されるのですが、補給部隊だったので前線での戦闘は免れ、無事に終戦を迎えます。

 戦争中に、父親は西山専門学校を卒業し、京都帝国大学に入学し、大学院にも進みますが、結婚し息子(著者)が生まれたことで学業を途中で諦め、国語教師の職に就きます。戦後はガラスケースに納めた小さな菩薩像を祀り、中国での戦死者のために毎朝お経を唱えたそうです。(浄土宗では本来なら、阿弥陀如来の一択のはずです。どの菩薩様なのかにもよりますが、自身の救済よりも鎮魂を優先しているのかもしれません)

 

戦争によってこの世に生を受けた著者

 千秋氏の結婚相手(著者の母親)は、商家の娘で戦争でフィアンセを亡くしていました。著者は、戦争という時代に翻弄される両親を淡々と語る一方で、戦争による混乱がなければ両親の出会いがなくなり、「小説家・村上春樹が誕生しなかった」かもしれないと、偶然(戦争)の産物である自身に儚さを感じています。

 

”自分自身が透明になっていくような、不思議な感覚に襲われる”ーP.107

 

タイトル 『猫を棄てる』の意味

 著者は当初、父・千秋氏について語ろうと思ったとき、なかなかペンが進まなかったそうです。そこで幼少期に体験した父親とのエピソード「妊娠中の飼い猫を海岸に捨てにいく」を書き始めると、その後はすらすらと自然に出てきたとのこと。

 捨てたはずの飼い猫が、自分達よりも早く家に帰っていて、春樹少年と父親を「にゃあ」と出迎えたというエピソードなのですが、著者は父親の「ほっとした表情」の中に、後年に知らされた父親の出戻りの体験を重ね合わせ、同じ境遇を見ていたことを理解します。

 

父・千秋氏の落胆 親の期待に応えない子供

”僕が三十歳にして小説家としてデビューしたとき、父はそのことをとても喜んでくれたようだが、その時点では我々の親子関係はもうずいぶん冷え切ったものになっていた。

僕は今でも、この今に至っても、自分は父をずっと落胆させてきた、”ーP.72

 

 著者は、父・千秋氏が両親の期待(見習い僧として家を出る)に応えられなかった後悔を推察しています。一方、著者自身も平和な時代に生まれながらも学業を途中で諦め、商売(ジャズ喫茶)を始めた自分は、父親の期待に応えることが出来なかったと後悔をしている様子です。(こちらはエッセイを読んだ私の感想です。)

 著者が専業作家となってからは、二十年以上顔も合わせず、絶縁に近い状態だったそうです。しかし、著者が文学に目覚めたきっかけは、父親が文学好きで家に本が溢れていたことが一番の理由でした。

 

父親と自分は違う 「にゃあ」と戻る

”僕と父とでは育った時代も環境も違うし、考え方も違うし、世界に対する見方も違う。当たり前のことだ”ーP.102

 

 著者はそんな風に、疎遠になってしまったことを仕方がないと諦めている様子です。著者が60歳近くになって、父親は90歳を越える年齢になって、父親の病床でようやく二人は和解をします。

 ここで、家に戻ってきた「捨て猫」と「見習い小僧」を重ねるのが、本エッセイのタイトルです。著者と父親の絶縁は、一方的に棄てられたわけではありません。

 しかし、エッセイの書き方は、自分自身を父親から棄てさせた上で、「にゃあ」と言って舞い戻ってみせています。「親子とはいえ違うのは当たり前」と言いながら、同じく親の期待に応えない子供として、父親との共通点や継承された部分を綴っています。

 

関連する作品 物語の源泉

 このエッセイを読むと、著者のこれまでの著作が「父親の抱え込んでしまったものを物語によって解消しようとする試み」だと読める作品が多くあることに気付かされます。 

 

中国人の捕虜を斬首する 「騎士団長殺し

 長編「騎士団長殺し」では、徴兵免除されていたピアニストを志す青年が事務手続き上のミスで召集され、上官に捕虜の処刑を命じられるシーンがあります。戦後、青年は精神を病み自殺します。

 

”一度だけ父は僕に打ち明けるように、自分の属していた部隊が、捕虜にした中国兵を処刑したことがあると語った。”ーP.55

 

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不確かな歴史 「海辺のカフカ

 長編「海辺のカフカ」では、集団昏睡事件を軍が調査しています。かなり詳細な調査資料が物語の中で明かされているのですが、当事者の女教師が後になって「嘘でした」と告白します。

 

”ひょっとしたら父親がこの部隊の一員として、南京攻略戦に参加してたのではないかという疑念を、僕は長い間持っており、そのせいもあって彼の軍事記録を具体的に調べようという気持ちにはなかなかなれなかったのだ。”ーP.47

 

 エッセイを読んでもらうと分かるのですが、父親との記憶や知人から聞かされた内容、歴史的な資料に食い違いが見られます。

 読者は、「今を生きる我々は、過去を正確に知ることができない」という感想を受ける筈です。もちろんこれは著者の意図です。

 

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過去の戦争を否定出来ない 「ジョニー・ウォーカー

 長編「海辺のカフカ」では、猫殺しのジョニー・ウォーカーが登場します。彼ひとりを「根源的な悪」とする読み方があります。しかし、この読み方はヒトラー関東軍ケネディーやプーチンスケープゴートして、彼らにその責を押し付ける態度です。著者が過去のインタビューで「根源的な悪」に触れている箇所がありますが、「自分の中にある悪」としています。

 著者の父親が補給部隊で、直接的な返り血を浴びていなかったとしても、当時を生きた人たちは等しく「戦争という状況」に取り込まれています。つまり、今を生きる我々も、戦争(人殺し)と無関係に無垢なままこの世に生を受けた人間は一人もいません。

 

 つまり、「私たちは誰もが人殺しの末裔です。」

 

 この事実を無邪気に乗り越えることが出来る感覚を得たからこそ、私たちは平和を享受できます。そして、新たな戦争の準備をします。

 著者は「戦争によって人生を狂わされた人たちがいなければ、自分がこの世に生を受けていない。」という感覚を、ぬぐい去ることができません。

 

父親との和解 「1Q84

 長編「1Q84」では、病床に伏す父親と和解する場面があります。父と息子を向き合わせているのは「猫の町」です。長編「騎士団長殺し」でも、危篤状態にある雨田具彦を見舞うシーンがあります。父親(役)は両者とも語らず、息子(役)が「汲み取る」ことで和解が成立しています。

 当時を生きた人たちには、社会や時代に背負わされてしまったものがあり、また、今を生きる我々も別のものを背負っています。両者の価値観は違いますが、共有しているのは「未来の子供たちを守ること」です。

 

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見えない何かに怯える猫 「スプートニクの恋人」  

 長編「スプートニクの恋人」では、猫が見えない何かに怯えて松の木に登り、尋常ではない勢いで鳴き続けるというエピソードが挿入されています。

 本エッセイでは、それが著者の幼年期の実体験として語られています。目に見えず、触ることができず、認識できない物事を、小説によって具現化することが、著者の物語です。

 

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全力考察 「一粒の雨水」と「大河の一滴

大河の一滴

”言い換えれば我々は、広大な大地に向けて降る膨大な数の雨粒の、名もなき一滴に過ぎない。固有ではあるけれど、交換可能な一滴だ”ーP.115

 

”「人は大河の一滴

 それは小さな一滴の水の粒にすぎないが、大きな水の流れをかたちづくる一滴であり、永遠の時間に向かって動いてゆくリズムの一部なのだと、川の水を眺めながら私にはごく自然にそう感じられるのだった。” 五木寛之著「大河の一滴」P.25 より

 

唯一無二の自分が責務を継承する

”しかしその一滴の雨水には、一滴の雨水なりの思いがある。(中略)それを受け継いでいくという一滴の雨水の責務がある。(中略)それが集合的な何かに置き換えられていくからこそ、”ーP.115

 

”そのことを古い仏説では「天上天下唯我独尊」という言葉に託して語っている。(中略)すべての人間と共通している自分と、だれともことなるただひとりの自分。その二つの自分は、ときとして対立し、ときとして同調する。” 五木寛之著「大河の一滴」P.63 より

 

 毎朝、著者の父親が菩薩様にお経を上げていたことと、著者の創作は同義です。確かに父親の祈りは継承されました。

 

 

まとめ 継承される本

 私の父も本好きなのですが、読んでいるジャンルが違います。私は純文学が好きで、今の父は専ら歴史小説です。若い頃は純文も読んだそうですが。

 今回、考察にあたって父の本棚から「大河の一滴」を拝借しました。手元にこの本がなければ考察は無理だったろうと思います。

 

 感謝。感謝。ナモアミダブツ。