パスタを茹でている間に

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考察・村上春樹著『「ヤクルト・スワローズ詩集」』すみません。黒ビールです。

 短編集「一人称単数」より、『「ヤクルト・スワローズ詩集」』を考察します。こちらの本はエッセイ形式で語られているのですが、私は基本的にフィクション(創作)として読んでいます。

 本作でも、著者は小説家としてデビューして間もないころ、「ヤクルト・スワローズ詩集」なるものを500部ほど自費出版で販売したと語っていますが、調べてみるとこのエピソードはウソのようです。

 前回の記事で「カキフライ理論」について触れましたが、こちらの作品はそのカキフライ理論で書かれています。著者の好きな「ヤクルト・スワローズ」をネタにして、自分自身を明らかにする文章です。

The Yakult Swallows Poetry Collection

 

 

 

四段プロット あらすじの代わりに

僕という人間の伝記

 著者はヤクルト・スワローズの前身であるサンケイ・アトムズ時代からのファンで、だいたいいつも閑散としている神宮球場がずっと好きだったそうです。

 

”それでは僕は、どうしてそんなチームのファンになったのだろう?いったいどのような長く曲がりくねった道を辿って、僕はヤクルト・スワローズと神宮球場の長期的支援者になったのだろう?(中略)でもまあ、この際だから、少しその話をしてみよう。あるいはそれは、僕という人間の簡潔な伝記みたいになるかもしれない。”ーP.137

 

 主題の提示です。大好きなヤクルト・スワローズと神宮球場について語ることで、一人称単数である「わたし・村上春樹とは何者か?」を明らかにしようとしています。

 

いかにうまく負けるか

”ほとんど天文学的な数の負け試合を目撃し続けてきた。(中略)そう、人生は勝つことより、負けることの方が数多いのだ。そして人生の本当の知恵は「どのように相手に勝つか」よりはむしろ、「どのようにうまく負けるか」というところから育っていく。”ーP.142

 

 常勝巨人軍と対比させて、自分が無謀な戦いに身を投じるマイノリティであることを告白しています。著者の小説家としての戦いは、負けの連続だったと総括しています。

 

”僕もまだ若かったし、外野の芝生に寝転んで、ビールを飲みながら野球を観戦し、ときどきあてもなく空を見上げていれば、それでまずまず幸福だった。たまにチームが勝っているときにはゲームを楽しみ、負けているときには「まあ人生、負けることに慣れておくのも大事だから」と考えるようにしていた。”ーP.140

 

父は「よかったなあ」と感服した

 著者の父親は阪神ファンだったそうです。著者が9歳のとき、セント・カージナルズが甲子園で日本代表と親善試合を行い、著者は父親に連れられて観戦に向かいました。

 試合前、カージナルズの選手がサインボールを客席に投げ入れていましたが、子供だった著者は取れるはずがないと諦めていました。しかし、ぼんやりとその光景を眺めていた村上少年の膝の上にボールがぽとんと落ちてきたそうです。

 

”「よかったなあ」と父親は僕に言った。半ばあきれたみたいに、半ば感服したみたいに。そういえば、僕が三十歳で小説家としてデビューしたとき、父親はだいたい同じことを口にした。半ばあきれたみたいに、半ば感服したみたいに。”ーP.148

 

「すみません。これ黒ビールなんですが」

”僕は球場のシートに腰を下ろし、まず最初に黒ビールを飲むのが好きだ。でも黒ビールの売り子の数はあまり多くない。(中略)彼はやってきて、まず僕に謝る。「すみません。あの、これ黒ビールなんですが」「謝ることはないよ。ぜんぜん」、僕はそう言って、彼を安心させる。「だってずっと黒ビールが来るのを待っていたんだから」(中略)

 僕も小説を書いていて、彼と同じような気持ちを味わうことがしばしばある。そして世界中の人々に向かって、片端から謝りたくなってしまう。「すみません。あの、これ黒ビールなんですが」と”ーP.160

 

”おおかたの客はたぶん黒ビールではなく、普通のラガービールを求めているわけだから。”ーP.160

 

問題の抽出 わたしとは誰か?

 「カキフライ理論」を用いて、「村上春樹とは何者か?」が正直に語られています。

  • 村上春樹は嘘つき(フィクション作家)だ
  • 勝つことを前提に応援している巨人ファンが嫌いだ
  • 勝つことよりも「うまい負けかた」が肝要だ
  • マイノリティーで構わない
  • 小説家になって父親に「よかったなあ」と言ってもらえた
  • 私の小説は黒ビールで、大衆の求めているラガーではない

幻の「ヤクルト・スワローズ詩集」

 本作だけでなく、いろんな媒体で「ヤクルト・スワローズ詩集」からの詩の引用がみられるのですが、その存在自体がウソ(フィクション)のようです。

 

”実際に売れたのはせいぜい三百部くらいだろう。あとは友だちや知人に記念品として配った。それが今では貴重なコレクターズ・アイテムとなり、驚くほど高い値段がついている。”ーP.143

 

 オークションで見つけたかたは教えてください。でも別に欲しくはないです。

 

アンチ巨人軍 

”住んでいる場所から最短距離にある球場で、そのホームチームを応援する-それが僕にとっての野球観戦の、どこまでも正しいあり方だった。純粋に距離的なことをいえば、本当は神宮球場よりも後楽園球場の方が少しばかり近かったと思うんだけど…でも、まさかね。人には護るべきモラルというものがある。”ーP.138

 

 著者からすると、後楽園球場はモラルに反しているようです…。読売新聞や常勝巨人軍は「マジョリティの勝利の確認」なので、気に入らないようです。

 

神宮球場

”なにはともあれ、世界中のすべての野球場の中で、僕は神宮球場にいるのがいちばん好きだ。一塁内野席か、あるいは右翼外野席。そこでいろんな音を聞き、いろんな匂いを嗅ぎ、空を見上げるのが好きだ。吹く風を肌に感じ、冷えたビールを飲み、まわりの人々を眺めるのが好きだ。チームが勝っていても、負けていても、僕はそこで過ごす時間をこよなく愛する”ーP.159

 

 神宮の右翼側が好きなようです…。誰かが喜びそうです…。そしてサンケイです…。でも、気のせいです…偶然というか、当然の結果です。冗談です…。

 著者は英語が堪能で、日本の外側から日本を見ることが出来ます。「外野手」です。

 一般的な野球観戦の楽しみかたとは少し違うようです。

 

「海流の中の島」 ゾンビ化する大衆

 本作ではいくつかの詩が紹介されていましたが、そのうちのひとつである「海流の中の島」では、阪神ファンで埋め尽くされた甲子園球場で肩身狭くヤクルトを応援する状況を、インディアンの大軍に包囲される映画「アパッチ砦」のように喩えています。

 

 例えば、すべてのゾンビ映画に共通しているモチーフは、「大衆に取り込まれアイデンティティを喪失する恐怖」なのですが、これも「アパッチ砦」です。ゾンビに取り囲まれる恐怖から解放される方法は、自らがゾンビ化することです。

 

関連する作品 アイデンティティをめぐる冒険

 客観、俯瞰する視点を備えることで、日本人とは?自分とは?という問いに答えることが出来ます。

 

「カキフライ理論」 自分の好きなモノで自分を語る

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羊をめぐる冒険」 村上春樹三島由紀夫

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「一人称単数」 わたしとは誰か?

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「猫を捨てる 父親について語るとき」 父からの祝福

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全力考察 誰とも違うわたし

 はじめて手に取った村上春樹作品が「一人称単数」だった人は『「ヤクルト・スワローズ詩集」』を読んだとき、どのような感想を持つのでしょうか?普通に読むと野球愛、スワローズ愛、神宮愛しか感じられません。

 しかし、「一人称単数」に収められていますので、他の作品と同様に自己に関する内容です。そして、自己同一性を保つために、何を武器に何と戦ってきたのか?が書かれています。

 著者はインタビューなどで、日本文学における私小説に馴染めず、英語圏の小説を原文でガツガツ読んだと語っていますが、日本を日本の内側から見るのではなく、外側から捉える視点を備えました。外野手です。

 日本人のアイデンティティとは何でしょうか?

 著者は世界中で読まれている人気作家なのですが、「黒ビール」を提供していることに後ろめたさを感じているようです。

 

まとめ 「よかったなあ」

 「猫を捨てる 父親について語るとき」では、父親と疎遠になってしまったことを、諦めながらも寂しく思っていたことが綴られています。そして、野球場は父親との思い出の場所でもあります。

 

”「よかったなあ」と父親は僕に言った。半ばあきれたみたいに、半ば感服したみたいに。そういえば、僕が三十歳で小説家としてデビューしたとき、父親はだいたい同じことを口にした。半ばあきれたみたいに、半ば感服したみたいに。

 それは少年時代の僕に起こった、おそらくは最も輝かしい出来事のひとつだったと思う。最も祝福された出来事と言っていいかもしれない。僕が野球場という場を愛するようになったのも、そのせいもあるのだろうか?”ーP.148

 

 「猫を捨てる 父親について語るとき」を読まれた方は、著者にとって「父の祝福」がどれだけ重要な意味を持つのか理解できると思います。嬉しそうにしている村上少年の姿が目に浮かびます。

 「そういえば」 なんて、ついでのように語られていますが、野球場は「父親に祝福された作家・村上春樹」を護ってくれている聖域なのでした。