村上春樹著『レキシントンの幽霊』を考察します。短編集の表題作となっている本作ですが、高校の現代文で幾つかの教科書に採用されています。主人公(語り手)は著者自身で、マサチューセッツ州レキシントンでの体験で、「人物の名前だけは変えたけど、それ以外は事実だ」とした上で、物語が始まります。
- 考察用プロットに失敗 ほとんどあらすじ
- 問題の抽出 ある種のものごとは、別のかたちをとる
- 関連する作品 と ジョージ・ワシントン
- 全力考察 幽霊の正体 かなり強引な個人的な読み方
- まとめ 「怖さを越えた何か」とは何か?
考察用プロットに失敗 ほとんどあらすじ
- 著者は1993年から95年までの間、マサチューセッツ州ケンブリッジに住んでいた。著者はその頃にケイシーという50歳過ぎのジェントルマンの建築士と仲良くなった。ケイシーは三階建ての古い大きな屋敷に住んでいて、それはレキシントンの高級住宅地の中でも由緒ある一画に建っていた。面している道路は「ドライブ」なので住民以外の車の出入りはなく、とても閑静な場所だった。ケイシーは幼い頃に母親を事故で亡くしており、十五年前に父親をガンで亡くし、ジェレミー(30代なかば)という調律師の同性パートナーと一緒に暮らしていた。ケイシーは独身で兄弟も居なかったので、父親の財産の全てを相続した。そして、父親の遺品である見事なジャズ・レコード・コレクションが、著者との親交のきっかけとなり、著者は月1ペースで訪問するようになった。
- 知り合って半年ほどした頃、ケイシーが仕事で一週間ボストンへ行く事になった際、著者はレキシントンの豪邸の留守番を頼まれた。ジェレミーは母親の看病の為に帰郷していたので、その代役だった。留守番というよりも、ケイシーの飼っているマスティフ犬へのエサやりがメインで、ちょうど著者のアパートの近所は建築工事の騒音が酷かったし、なによりレコードを聞き放題なので快諾した。著者は留守を頼まれた初日、音楽室を仕事場に定めパワーブックを据えた。
- 居間を抜けてキッチンに向かいコーヒーを用意したりしながら、アンティークで趣味の良い調度品の数々、シャンデリアや暖炉、風景画やペルシャ絨毯にオールド・マネーの匂いを感じた。音楽室の壁一面はレコード棚になっていて、それでも収まりきらないので屋根裏部屋にもあるとのことだった。「レコードの重みでこの家もアッシャー家のように沈んでいくかもね。」いつかケイシーはそんな風に冗談を言っていた。著者は快適な環境に満足して一日を終え、2階のゲストルームでパジャマに着替えてベッドに入った。
- 真夜中の1時すぎに著者は下の階から聞こえてくる物音で目を覚ます。ケイシーのプラクティカル・ジョーク?泥棒?ケイシーの知人が勝手に上がり込んでいる?著者はとにかくパジャマから服に着替えて、廊下に出る。居間から聞こえてくる古い楽しげな音楽と、多人数の会話や笑い声、ダンスをしているようなリズミカルな靴音から連想されるのは、パーティーをしている様子だった。
- 著者は包丁を取りにキッチンへ向かったが、キッチンで寝ていたはずのマスティフ犬は何処かへ居なくなっていた。著者はにぎやかなパーティー会場に包丁を持って乱入することがバカらしくなって、包丁をもとに戻した。水を一杯飲み、ズボンのポケットの中に入っていたクォーター硬貨を取り出して、ソリッドな感覚を確かめてから、「あれは幽霊なんだ」と思い至った。著者は足音を忍ばせて階段を上がり、部屋に帰ってそのままベットに潜り込んだ。
- 翌朝、著者は9時に目を覚ますと、パジャマ姿のまま階段を下りた。居間に乱れはなかった。その不思議なパーティーが催されたのは初日だけで、その後はなにも起こらなかった。ただ著者は毎日、1時と2時の間に目を覚ました。一週間後ケイシーが帰宅すると、「何か変わったことは?」と聞いてきたが、著者は幽霊たちの真夜中のパーティーの事は触れずに、「静かで仕事がはかどった」と応え、お土産をもらってアパートに帰った。
- それから著者は執筆が佳境に入り、ケイシーとはしばらく会わなかった。しかし、その間も電話が何度かあり、ジェレミーの母親が亡くなり、彼はそれっきり戻らなかったと報告があった。半年後、著者は散歩中にケイシーとばったり出会い、カフェで世間話をした。ケイシーはびっくりするぐらい老け込み、外見に気を遣うスマートなジェントルマンではなくなっていた。「ジェレミーはすっかり人が変わって、今では占星術にはまっている。もう戻ってこないだろう」と落ち込むケイシーに「I'm really sorry」と著者はお悔やみの言葉を口にした。
- するとケイシーは「僕の母が死んだとき、僕はまだ十歳だった。」と静かに語り始めた。ケイシーの母親がボート事故で亡くなったとき、父親は悲しみから三週間ほど寝込んでしまった。ケイシーの父親が亡くなった時、ケイシーもかつての父と同じように仮初めの現実を離れて、眠りの中にほんとうの世界を求めた。
”つまりある種のものごとは、別のかたちをとるんだ。(中略)
僕が今ここで死んでも、世界中の誰も、僕のためにそんなに深く眠ってはくれない”ーP.37
ケイシーは穏やかに言った。
問題の抽出 ある種のものごとは、別のかたちをとる
学校の授業ではこの「別のかたちをとる、ある種のものごととは何か?」を問うようです。近しい人を亡くした悲しみや愛が眠りの形を取った、を正解とするようです。
しかしこれではケイシーの状況を答えているだけです。著者の心霊体験を無視しています。
短編全体を覆うムード 行き止まりの物語
オールド・マネーの終焉
オールド・マネーとは「何世代も続いた富豪」です。ケイシーは独身で子供がいません。
ドライブウェイ(米)とドライブ(英)と私道
”どこにも通り抜けできない「ドライブ」”となっていますので、行き止まりです。
絶滅を危惧されているマスティフ犬
英国原産種で、現在は絶滅を危惧される状況となっているそうです。
アッシャー家のように沈んでいく
エドガー・アラン・ポーの小説「アッシャー家の没落」のことを言っています。タイトルの通りです。
パジャマはどうした?
下からの物音に目を覚まし、パジャマから服に着替えて様子を見に行き、思い直して部屋に戻りそのままベッドに潜り込んだのですが、翌朝パジャマ姿のままで下に降ります。短編集に収められた本作は改稿版なので、著者は意図的に矛盾を残しています。
クォーター硬貨のソリッドな感覚
ワシントン・クォーターなので、ジョージ・ワシントンをこっそりとレキシントンに結びつけています。ジョージ・ワシントンを触りながら、「あれは幽霊なんだ」と確信しています。
マスティフ犬はどこに行っていた?
パジャマと同じく、神秘体験が著者の夢であることを言っているのか?それとも犬はパーティーに参加していて居なかったのか?どちらとも取れるようになっています。
関連する作品 と ジョージ・ワシントン
ジョージ・ワシントンとレキシントン
- ワシントンは27歳で未亡人のマーサと結婚しますが、二人には子供はできず、マーサの連れ子を育てています。
- 1775年4月のレキシントン・コンコードの戦い(アメリカ独立戦争の契機)で植民地軍がイギリス軍に勝利する。ワシントンは植民地軍総司令官。
- アメリカ独立戦争(1775~1783)で勝利する。1783年のパリ条約によって、アメリカの独立が承認された。
- 1789年、ジョージ・ワシントンが初代大統領に選ばれる。
- (また、ワシントンはインディアン民族に対しては絶滅政策を採り、ニューイングランドではインディアンの皆殺しを命じています。)
「偶然の旅人」
while-boiling-pasta.hatenablog.com
”1993年から1995年にかけて、僕はマサチューセッツ州ケンブリッジに住んでいた。「ライター・イン・レジデンス」のような資格で大学に属し、『ねじまき鳥クロニクル』というタイトルの長い小説を書いていたのだ。”ー「偶然の旅人」P.11
「アフターダーク」
while-boiling-pasta.hatenablog.com
主人公・マリの姉が、原因不明の深い眠りに囚われてしまっています。
全力考察 幽霊の正体 かなり強引な個人的な読み方
「悲しみ」が「深い眠り」に形を変える
学校での授業では、「ある種のものごと」とは、「深い悲しみ」と「深い眠り」で良いと思います。
「屋敷」が「レコード(記憶装置)」に変わる
幽霊の正体は、屋敷が体験し記憶している過去の栄華。屋敷では昔「そのようなことも行われただろう」という著者の推察。屋敷全体がレコード(記録)で、著者がプレイヤー(再生機)。こうすることで、著者とケイシーの同意が得られます。
著者がケイシーに興味を抱いたのは、レコードコレクションですが、ケイシーがなぜ著者と接触を持とうとしたのか?は語られていません。ケイシーの見た「ほんとうの世界」を著者に見せたかったのかも知れません。(私は、同性愛を含めた「あちらの世界」への勧誘と読みました。)
著者は屋敷に所縁がないので、屋敷の間取りや調度品から「あったであろう出来事」を夢の中で再生しますが、パーティーには参加しません。しかし、屋敷に思い出を結びつけているケイシーや犬はどうでしょうか?(これが「深い眠り」?)
著者がこちら側に留まったのは、ワシントン・クォーターでした。
まとめ 「怖さを越えた何か」とは何か?
本作と関連のありそうなワシントンの名言
"過去の過ちから役に立つ教訓を引き出すためと、高価な代償を払って得た利益を得るためでない限り、決して過去を顧みるな。"ージョージ・ワシントン
私たちは常に、未来に向かって生きています。
生物としての根源的な欲求と幸福は、「未来を生きる子孫たちに最適な環境を残し、繁栄を祈ること」です。この「生物の原理」から外れることがあらゆる不幸と恐怖の始まりで、私たちが幸福を享受出来ず、言語化できない漠然とした不安感を抱える原因だと、私は思っています。他の全ての幸・不幸は付随的にあるだけです。
この物語は全体として「行き止まり」の物語です。キーワードがそれを語っています。そして、「僕のために誰も深く眠って(悲しんで)くれない」も、由緒あるケイシー家の終わりを言っています。
著者の短編のなかでは、短めの物語なのですが…。考察が…。長い…。