パスタを茹でている間に

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考察・村上春樹著『1Q84』のプロットと主題

 村上春樹著『1Q84』を、プロットを示しながら考察します。単行本では全3巻・3冊なのですが、文庫本では全3巻・6冊となっており、かなりボリュームのある長い作品です。
 あらすじを細かく書こうとすると、元々が大作なのでかなり大変です。かなり乱暴な要約になりますが、コンパクトなプロットでまとめてみました。しかし、あくまでも私個人の「読者のプロット」で、「作者のプロット」ではありません。私が掴んだ主題と対応する読み方ですので、一般的な「あらすじ」との違いを楽しんでいただければと思います。

 

 

四段プロット あらすじの代わりに

  1.  新興カルト集団「さきがけ」では、森から来たと云われる亜人「リトル・ピープル」(精霊、こびと、矮人のような存在。作中ではドワーフに近い描かれ方)の力を借りて教団運営を行っていた。 
     亜人「リトル・ピープル」は未成年の女性信者と協力し、空中から糸を紡ぎ、糸を絡めて繭状にして「空気サナギ」を作り、その中から「分身(コピー人間)」を取り出すという呪術を用いた。
     教団では、元型(オリジナル)である女性信者から作成された「分身(コピー人間)」を切り離し、その分身を巫女として従事させた。そして、教団のリーダー(指導者)が巫女と性交することにより「声(:お告げ)」を聞くという儀式を行っていた。 
  2.  麻布の屋敷に住む資産家の老婦人は、嫁に出した娘をDV夫に自殺に追い込まれ亡くすという悲しい過去を持っていた。老婦人はDV被害に苦しむ女性たちにセーフハウスを提供する慈善活動をする傍ら、法律では裁くことのできない案件について、殺し屋を雇って制裁した。
     「さきがけ」から逃げてきた巫女を保護した老婦人は、少女が「分身(コピー人間)」であることは知らずに、その蛮行に憤り、殺し屋・青豆に教団リーダーの暗殺を命じた。青豆は、老婦人の手引きにより教団との接触に成功するが、リーダーは彼女たちの計画を察知した上で招き入れていた。
     リーダーはリトル・ピープル達の支配からの脱却を望んでいたが、自殺ができないので青豆達の計画に乗ろうとしていた。青豆には想い人(誰にも語らず密かに思慕し続けた存在)がいたが、リーダーは青豆の想い人である青年・天吾の存在を言い当て、今自分を殺さなければ「天吾が死ぬ」と告げ、暗殺を強要した。
     青豆は、「異常な雷鳴が轟くなか」リーダーの暗殺に成功する。
  3.  一方、小説家志望の青年・天吾のもとに、新人賞に応募するために作成された小説「空気さなぎ」のリライト(改筆)の依頼が持ち込まれる。
     その小説は「さきがけ」のリーダーの娘(ふかえり)が書いた物語で、「リトル・ピープル」や「空気サナギ」と共に、教団内で行われている秘密を暴露する内容だった。しかし、空中から糸を紡ぎサナギ状にし、中からコピー人間を取り出すという内容だったために、誰もが創作と扱った。
     その作品は、新人賞を受賞するだけにとどまらずベストセラーとなり、天吾はセンセーションを巻き起こす小説「空気さなぎ」のゴースト・ライター的立場となった。
     秘密を共有する天吾とふかえりは一時的に行動を共にしており、天吾はふかえりの啓示的な導きに従っていた。
     天吾は「異常な雷鳴が轟くなか」誰にも語らず密かに想い続けた青豆の夢を見る。
  4.  カルトのリーダーを暗殺した青豆と、教団の秘密を世に晒した天吾は共に「さきがけ」から追われる身となった。両者は小学校時代の同級生で、互いに似かよった家庭環境からシンパシーを感じていたが、当時は幼いこともあり親交を結ぶには至らず、それぞれの人生を歩んでいた。
     両者は大人になってからも互いに相手を想い、再会を夢見ていたが、偶然にも同じカルト教団から追われている境遇となった。カルト教団から逃れる為に、潜伏生活を続ける青豆は生理不順となり、検査すると身に覚えの無い妊娠が発覚した。
     しかし青豆は、自身が身籠った命は「未だ再会できずにいる天吾の子供だ」ということを疑わず、天吾を探し求める。邂逅を果たした二人は、青豆がお腹に宿した「小さなもの」を守っていくことを誓う。

問題の抽出 何を言いたいのか?


 上述のプロットが私の読み取った「読者のプロット」です。「作者のプロット」とは違うかもしれません。残りは全てエピソード(枝葉)です。エピソードは、著者の主題・解決を明らかにするために補足的に添えられたもので、物語の骨格(幹)を覆い隠すように配置されています。
 

リトル・ピープルとは何か? 私たちの生きる社会の形

 リトル・ピープルとは、私たちが自分の人格・権利の一部を自身から切り離し、教団や国家に献上している様子を描いています。つまり、私たちの生きる社会システムを寓意化し、目に見える形、言葉で扱える状態にしたものです。

 作中では、オリジナルの少女から作成された巫女(コピー)を指導者がレイプしていますが、これは国家との契約関係にある人民(ピープル)が、自身の権利や自由の一部を国家に委ねている状況とも同じです。
 このため、リトル・ピープルには「善・悪は無い」となります。リトル・ピープルに邪悪さを見る人は、社会に不具合が生じると「責任者を出せ!謝罪しろ!」と生け贄を要求し、王をギロチンの前に跪かせます。太古から伝わる方法なので、誰もその野蛮さに気付けません。

空気さなぎとは何か? 目に見えなくとも存在する

 空気さなぎとは、目に見えなくとも確実に存在し、我々に影響を与えている「空気(ムード)・願い・想い」を具現化するものです。私たちの認識の外にあり思索の主題になり得ない対象を、語れる状態に変換するための装置です。

 プロットでは小説を「空気さなぎ」とひらがな表記で区別しました。空気サナギ自体は「個人の想いや願いを具現化する装置」ですが、リトル・ピープルを仲介してしまうとその目的が「集団の維持」に変換されてしまいます。
 多くのレビュー・考察・解説でリトル・ピープルを「邪悪な存在」としています。どう読むのかは読者の自由ですが、私たちの感じている「当たり前」は、あなたの考えではなく誰かが用意した「当たり前」です。

元ネタ ジョージ・オーウェル著「1984」との関係

 ジョージ・オーウェルは著書「1984」で、ビッグ・ブラザーを登場させ、「民衆が強い指導者を求める」態度を著しディストピアを描きました。そのような可能性を示すことで、人類が陥る危機に警鐘を鳴らし、抵抗力(抗体)を作ることに成功しています。
 一方『1Q84』では、「リトル・ピープル」を登場させることにより、「民が社会(集団)を維持するために、自身の権利・人格の一部を積極的に他者に委ねる」様子を描いています。この「リトル・ピープル」の存在を明らかにすることが、小説「空気さなぎ」の目的であり、「反リトル・ピープル的作用」となり、天吾が創作中の小説であり、青豆がお腹で守っている「小さなもの(抗体)」です。

 「自分達の自由が奪われても構わないからもっと強い規制を!」

”僕らの記憶は、個人的な記憶と、集合的な記憶を合わせて作り上げられている。(中略)そして歴史とは、集合的な記憶のことなんだ。それを奪われると、あるいは書き換えられると、僕らは正当な人格を維持していくことができなくなる”ーBook1後編P.241

安達クミ 『1Q84』におけるメタファー

 著者は「世界の真理は、個々人の無意識の中にある」としています。無意識の中にある真理はメタファーを介して抽出することが可能です。
 一方で、人類は集団・社会を形成する過程で意識的に処理・解決すべき問題が発生したため、イデアなどの観念を用いて「意識的に真理を探求するようになった」とも著者は考えているようです。
 「無意識にある真理を抽出するメタファー」は、人間以外の動物も生得的に備えています。しかし著者は、人間がこの一次的なメタファーを「社会で共有されたメタファー(物語)」で覆い隠してしまったので、その弊害を危惧しているようです。
 この「社会で共有されたメタファー」が、「二重メタファー」です。本作では、安達クミが天吾にハシシを勧めていますが、これはシャーマンが巫術を用いて「二重メタファー(意識)」を吹き飛ばし、「一次的なメタファー(無意識)」を呼び戻し、自然との一体化を目指す行為です。

空白がもたらす原因と結果

 本作では至るところで原因と結果の逆転現象が描かれています。

”今ここでわたしを失えば、一時的な空白が生じる。”ーBook2後編P.26

 リーダーが死に空白が生じたときに、青豆は受胎します。

”ただの空白だ。あんたの母親は空白と交わってあんたを産んだ。私がその空白を埋めた”ーBook2前編P.235

 天吾は父親と同じ状況をなぞります。母親には浮気相手がいたのですが、天吾は人妻の間男になってなぞります。そして、空白と交わった青豆の子供の父親になろうと決意します。
 自身のルーツが謎に包まれていることが、天吾を苦しめていたわけですが、父親の行動をなぞることで父親と和解しています。
 つまり、天吾を苦しめていたのは天吾自身で、父親になるために必要なのは「血」ではなく、「決意」であることが強調されています。

登場人物の名言

 本作では、たくさんの名言がありますが、私の読み取った主題と結び付きが深いものだけピックアップしてみます。

青豆(青豆雅美) 神から見捨てられても愛がある

一人でもいいから、心から誰かを愛することができれば、人生には救いがある。たとえ、その人と一緒になることができなくても。

天吾(川奈天吾)自分のルーツ(出自)を見失っても愛がある

人は誰かを愛することによって、そして誰かから愛されることによって、それらの行為を通して自分自身を愛する方法を知るのです。1Q84 Book2 P178)

リーダー (深田保) 均衡そのものが善なのだ

”この世には絶対的な善もなければ、絶対的な悪もない”ーBook2前編P.312

 

”そのようなシステムはいつしか廃止され、王が殺されることもなくなり、王位は世俗的で世襲的なものになった。そのようにして人々は声を聴くことをやめた”ーBook2前編P.309

 

”心から一歩も外にでないものごとなんて、この世界には存在しない”ーBook2前編P.319

ふかえり(深田絵里子)知覚の扉

”「わたしがチカクしあなたがうけいれる」”ーBook2後編P.251

 マザ・ドウタ、パシヴァ・レシヴァという用語が出てきて惑わされますが、基本的にはオルダー・ハスクリーの「知覚の扉」です。

老婦人(緒方静恵) 通り道

”人間というものは結局のところ、遺伝子にとってのただの乗り物であり、通り道に過ぎないのです。”ーBook1後編P.145

 

タマル 誰も自分の頭で考えていない

”世の中の人間の大半は、自分の頭でものを考えることなんてできない。”

 

中野あゆみ 加害者と被害者の記憶

”世界というのはね、青豆さん、ひとつの記憶とその反対の記憶との果てしない闘いなんだよ”ーBook1後編P.324

中野あゆみの台詞は、加害者と被害者の記憶ではなく、個人の記憶と集合の記憶に読み替えることができます。

牛河 自己を社会に埋没させる

”この世界の成り立ちに自分が避けがたく含まれているのだという認識がもたらす一種の充足感だ。”ーBook3前編P.331

 ワーカホリックの牛河ですが、彼の行動原理は「自己を社会に嵌め込む」ことです。引用箇所は牛河が疎遠になった娘を思い返している場面なのですが、自身の願いよりも自身の能力発揮の場を社会に求めています。

天吾の父親 代価を要求するシステム

”人は受け取ったものの代価を支払わなくてはなりません。”ーBook3前編P.351

 

”法律で決まっておることです。仕方のないことなんです。それがこの世界のルールです。”ーBook3前編P.207

 天吾の父親もワーカホリックです。社会システムが正しいかどうかは彼の問題とはならず、自らを積極的に社会の歯車のひとつに貶めます。 

小松

”全く奇妙な世界だ。どこまでが仮説なのか、どこからが現実なのか、その境界が日を追って見えなくなってくる。”

 

関連する作品 

 実は、『1Q84』の考察記事は2回目です。前回の記事では考察の根拠を著者の他の作品に求めてしまいましたので、今回はきちんと物語と向き合うことにしました。リライト(改稿)です。
 

前回の考察 リライトの結果

 こちらが前回の記事です。結論は変わりません。

 

while-boiling-pasta.hatenablog.com

 

考察の根拠 「アンダーグラウンド

 こちらが考察の根拠です。

 ”あなたは誰か(何か)に対して自我の一定の部分を差し出して、その代価としての「物語を」受け取ってはいないだろうか?私たちは何らかの制度=システムに対して、人格の一部を預けてしまってはいないだろうか?もしそうだとしたら、その制度はいつかあなたに向かって何らかの「狂気」を要求しないだろうか?あなたの「自律的パワープロセス」は正しい内的合意点に達しているだろうか?あなたが今持っている物語は、本当にあなたの物語なのだろうか?あなたの見ている夢は本当にあなたの夢なのだろうか?それはいつかとんでもない悪夢に転換していくかもしれない誰か別の人間の夢ではないのか?” 
ーp.753~754

 

while-boiling-pasta.hatenablog.com

金枝篇」 王殺し

 森の王・司祭王・雨司(レインメーカー)などは、司祭王の力が弱まると民が王を虐殺するか、王が自ら命を断って新しく強い王を迎えます。作中では、リーダーが「金枝篇」を引用しながら「リトル・ピープル」を説明していますが、現在では世襲的な王しかいません。
 現在では、投票によって民主的に指導者を決定する国がほとんどです。そして、殺さずにトップ(頭)をすげ替えて新しく正しい時代を迎えようとします。(ある国では実際に元大統領を…)
 殺さなくなっただけで原理的には変わっていません。民が投じた票についてはその間違いを免責し、その責を投票によって選ばれた生け贄(指導者)に押し付けた上で、正しい時代を望みます。

 

 

「知覚の扉」 パシヴァとレシヴァ

 オルダー・ハクスリーの知覚の扉とは、

”「人間は宇宙からあらゆる刺激を受け止めているが、生存のために要るもの以外の多くのものを削除して、必要なものだけを意識している」”

 という、考え方です。真理は私たちの身の周りに溢れていますが、私たちはそのような情報を意図的に排除しているそうです。「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」で引用されています。

 

 

全力考察 わたしの願い

 個人の純粋な願い「空気サナギ」が、「リトル・ピープル」を介して社会に奪われています。しかも、私たちは自ら進んで自分の分身を社会に献上していながら、彼らがどのような扱いを受けているかは知ろうともしません。

 青豆も宗教団体「証人会」の二世信者で、ある時点で信仰を捨てたことで家族と疎遠になっています。教団から離れたあとでも教義(教団の用意した物語)から縛られますが、自分の物語を立ち上げようと模索します。
 最終的に青豆は、天吾の物語を共有することによって、自分を取り戻します。

まとめ キャットウォーク

”まっすぐな梯子をようやく登り終えると、道路の外側に向かう平らな通路(キャットウォーク)がある。”ーBook3後編P.372

 青豆は、一度目は一人で「1Q84」から「1984」に戻ろうとして失敗します。しかし、二度目では天吾と一緒にキャットウォークを通ることで、月がひとつしか無い世界に戻ってこれます。
 青豆が「1Q84」と認識していた世界を、天吾は「猫の町」と呼んでいました。青豆は天吾の物語に組み込まれることによって、あるいは共有することによって、二人の望む世界にたどり着いたのでした。