パスタを茹でている間に

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考察・村上春樹著『中国行きのスロウ・ボート』そして誇りを持ちなさい

 短編集「中国行きのスロウ・ボート」より、表題作の『中国行きのスロウ・ボート』を考察します。著者にとって初の短編集の表題作となっています。短編ながらも全5章からなり、何が言いたいのか?さっぱり分からない作品です。ジャズに「slow boat to China」という曲があるのですが、「自分にとって中国とは何か?」著者が回想する物語です。

 

 

中国行きのスロウ・ボート』のあらすじ

1. (大丈夫、埃さえ払えばまだ食べられる)

 「最初の中国人にあったのはいつのことだったろう?」著者は記憶を遡ると、三人の中国人との思い出と、中国人の全く出てこない小学生時代の野球の試合についてたどり着いた。

 著者は野球の試合中、アクシデントで脳震盪を起こし、うわ言で「大丈夫、埃さえ払えばまだ食べられる」と口走ったことを、あとでチームメイトから聞かされた。著者はこの文句を時折思い出しては、「自分の辿る道=死」は、「中国人のことを思い出させる」、とした。

”僕は僕という一人の人間の存在と、僕という一人の人間が辿らねばならぬ道について考えてみる。そしてそのような思考が当然到達するはずの一点―――死、について考えてみる。(中略)そして死はなぜかしら僕に、中国人のことを思い出させる”ーP.13

2. (そして誇りを持ちなさい)

 著者がはじめて中国人に会ったのは、中国人の小学校の教諭だった。著者は小学生時代に模擬試験を受けた際、会場として中国人小学校が指定されていた。そこで試験の監督官をしていたのが中国人の先生だった。

 彼は試験の前に、「中国と日本はとなりの国なので、尊敬しあわなければならない。教室や備品や机にいたずらをしないように。」と受験生達に注意した。そして、「顔をあげて、胸をはりなさい。そして誇りを持ちなさい」と受験生に言葉を贈った。

 著者は大人になってからこのエピソードを思い出す度に、机に落書きをされた中国人少年の姿を思い描かずにはいられなかった。

3. (これが最初じゃないし、きっと最後でもない)

 著者は大学2年の時に出版社の倉庫番のアルバイトをしていた。そのとき一緒に働いていた無口な女性が、トラブルからパニックを起こした。著者は世間話をしながらなだめると、彼女は落ち着きを取り戻し、自分が中国人であることを明かした。

 著者は彼女をデートに誘い、楽しく過ごした後で駅のホームから彼女を見送った。しかし直後に、彼女を山手線の逆周りに乗せてしまったことに気づき、先回りをして到着駅で待った。

 著者は間違えたと詫びたが、「あなたが心の底でそう望んでいたからよ」と罵られ、「これが最初じゃないし、きっと最後でもない」「そもそもここは私の居るべき場所じゃないのよ」と悲しませた。

 仲直りをしようと、彼女の連絡先を紙マッチに控えて後日改めてデートに誘うと約束したが、著者は不注意から紙マッチを捨ててしまったことにあとから気づく。

4. (自己憐憫の能力に欠ける)

 著者は28歳になっていた。(ジャズ喫茶「ピーターキャット」時代です。著者のデビューは29歳で、32歳でお店を人に譲っています。)

 著者は銀行帰りに青山の喫茶店で小説を読んでいると、高校時代の同級生だった中国人に声をかけられた。(著者の高校は神戸の港町だったので中国人の同級生はたくさんいた)

 彼が同胞(在日中国人)相手に百科事典を売り歩くセールスマンをしていることを聞かされると、育ちも成績も良く、女子からも人気のあった当時の彼を思い出し、著者は黙った。

 「生まれつき自己憐憫の能力が欠けているのかもしれない」と、彼はなぜ著者に声をかけたのか?迷惑を詫びた。

5. (ここは僕の場所でもない)

 著者は30歳を過ぎて山手線に乗りながら「ここは僕の場所でもない」と思った。

 

”誤謬…、誤謬というのはあの中国人の女子大学生が言ったように(あるいは精神分析医の言うように)結局は逆説的な欲望であるのかもしれない。どこにも出口などないのだ。”ーP.51

 

”それでも僕はかつての忠実な外野手としてのささやかな誇りをトランクの底につめ、港の石段に腰を下ろし、空白の水平線にいつか姿を現すかもしれない中国行きのスロウ・ボートを待とう。”ーP.51

 

問題の抽出  

 今回はかなり詳細なあらすじを書いてしまいました。各章の見出しタイトルは私の補足です。論点は抽出できていると思いますが、キーワードとキー・センテンスについてまとめたいと思います。

slow boat to China

「中国行きの遅いボート」は、それ自体が英語圏では慣用句として使われ、英語圏からは中国はとても遠いので、「とても長い時間がかかる」の意味で使われます。本作においては、中国は日本のとなりの国なのに、「とても遠い(解消出来ない隔たりがある)」という意味で用いられています。

忠実な外野手の誇り  「ここは僕の場所でもない」

外野手outfielder  局外者(アウトサイダー)までではないものの、疎外感や孤独感、社会に馴染めない態度を表すための文。在日中国人が受けている排他的な疎外感は著者自身が作っています。そして著者は、彼らを傷つけながらも、そのような居場所がない在日中国人達に「ここは僕の場所でもない」と共感を示しています。

自己憐憫

「自分を哀れだ、かわいそうだ」と思うこと。

誤謬

”論証の過程に論理的または形式的な明らかな瑕疵(欠陥)があり、その論証が全体として妥当でないこと。つまり、間違っていること。”ーwikiより

アドレセンス

”青年期、青春、青春期。未熟。過渡期。”ー辞書より

 

「僕という一人の人間が辿らねばならぬ道」

 普通の人はそれを「人生」や「生き方」と言うところを、著者は「死」と結びつけています。そしてその「死」は、中国人のことを著者に思い起こさせます。在日中国人が感じているであろう「出口の無い生きづらさ」が「死」であり、それが著者(忠実な外野手)の辿る道であり、その「生きづらさ」は他の誰でもない、著者自身が作り出しています。

 

関連する作品 

 当時の時代背景や中国との関係性、著者の生い立ちや特に父親との思い出とを絡めて考察するケースがありますが、私は純粋にテクストと向き合うことにしました。前者の方が主流なのですが、私は苦手です。

 

中国行きのスロウボート 改稿版

本作は、「村上春樹全作品 1979~1989〈3〉短編集〈Ⅰ〉」で大幅に改稿されているようです。私は未読ですのでオリジナルで考察しています。

 

 

小説家はどこに立っているのか?

社会の内側・外側のどちらからの視点でしょうか?

 

while-boiling-pasta.hatenablog.com

 

全力考察 自分自身を疎外する

 一人目の中国人少年の机に落書きを想像し、二人目の中国人女性に対し、「これが最後じゃない」と思わせ、三人目の中国人セールスマンからは、どれだけ優秀でも在日中国人は日本では成功できないことを知らされる。

 「忠実な外野手」は、時に脳震盪を起こすような場面に遭遇し、無意識に口走った意味不明なセリフから、自身の存在や誤謬・瑕疵(欠陥)について思いを巡らせては、「死 = 僕という一人の人間が辿らねばならぬ道」と「中国人」をダブらせて考える。

 「僕という一人の人間が辿らなければならぬ道」とは、無自覚に在日中国人達に対して、疎外感を植え付け、成功を阻むことで、それは同時に自分自身を世界から疎外する。



まとめ outfielderの内側 

あるいは、

 「僕という一人の人間が辿らなければならぬ道(=死)」とは、無自覚に周囲の人たちと互いに傷つけ合いながら、自分自身を世界から疎外すること。

 

 外野手(outfielder)に、社会における疎外感を感じるか?それとも、誤謬(逆説的な欲望)から、自覚できていない自身の内面を読むのか?読者によって態度が分かれます。

埃と誇り

”「いいですか、顔を上げて胸をはりなさい」

僕たちは顔を上げて胸をはった。

「そして誇りを持ちなさい」”ーP.21~22