パスタを茹でている間に

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考察・村上春樹著『ハナレイ・ベイ』自然はしばしば人の命を奪う

 今回は村上春樹著、短編集「東京奇譚集」より、『ハナレイ・ベイ』を考察します。こちらは吉田羊さんの主演で映画化された作品です。映画のほうはだいぶ前に見たのでうろ覚えですが、ハワイの素敵な映像と、なんと言っても吉田羊さんの素晴らしい演技が印象に残っています。

 原作と映画とでは少し違っている部分もありましたが、双方ともに素晴らしい作品です。

Hanalei Bay

 

四段プロット あらすじの代わりに

  1.  シングルマザーだったサチが一人息子を亡くしたのは彼女が45歳のときだった。彼女は30歳になる手前に死別した夫の保険金を元手に、六本木でピアノバーを開業し、マネージャーを雇い、自身でジャズ・ピアノを演奏した。19歳になるサチの息子はサーフィンに熱中し、高校を中退していた。サチは自分の息子に好意を抱けず、接し方も分からず、息子がハワイにサーフィンをしに行きたいと言い出したときも、彼の好きにさせた。
  2.  サチはホノルルの日本領事館から息子が鮫に襲われて溺死したとの連絡を受け、現地の警察署に向かった。遺体安置所で息子の遺体を確認したサチは、初老の警官に慰めの言葉をもらった。サチは直ぐに日本に引き返す気にはなれず、コテージを借りて火葬の手続きなどの後始末をしながら、一週間ほど滞在した。以来、サチは息子の命日が近づくと三週間の休みを取り、ハナレイのビーチで海を眺める。ある時、ヒッチハイクをしている日本人サーファーの二人組と知り合い、世間知らずで無計画な彼らにアドバイスをした。
  3.  サチは本格的にピアノを学んだことはなかったが、高校の音楽室のピアノで遊んでいるところを音楽教師に発見され、その教師はジャズファンだったこともあり、基礎理論を教えてもらった。サチの父親はレストランを経営しており、サチも跡を継ぐつもりで、シカゴの料理専門学校に留学した。しかしそこで友達に誘われてピアノバーへ行くと、オーナーに気に入られ、ピアノ演奏のアルバイトを手に入れた。サチからすると、料理系の皿洗いバイトよりもよっぽど稼ぎが良く、何より彼女自身が楽しかった。
  4.  サチはハナレイのレストランへ行き、置いてあるグランドピアノを弾かせてもらった。そのレストランで、米国の退役軍人に絡まれたりもしたが、強気なサチは物怖じせずに言い返した。そして、サチはろくでもない日本人サーファーから「片足のサーファー」の幽霊の話を聞かされる。どうして息子の幽霊はろくでもない日本人サーファーの前に現れて、自分には姿を見せてくれないのか?サチは日本に引き上げる前日、枕に顔を押し付けて声を押し殺して泣いた。

 

問題の抽出 主題はなにか? 原作との違い

 本作は短編集「東京奇譚集」に収められています。この短編は全体的に奇譚(怪奇現象)でまとめられていますので、『ハナレイ・ベイ』では、「片足のサーファーの幽霊」がコンセプトを共有しています。

 しかし、主題は何か?となると読者によって異なるかと思います。ぎこちない親子関係や、残された遺族の心の回復を読む読者もいると思います。

 また、真珠湾攻撃をした日本人の子孫が、ハワイでサーフィンを楽しみ、鮫に殺され、その火葬費用をアメリカン・エキスプレスで支払い、イワクニの基地で駐屯した経験のある米国の退役軍人に嫌みを言われる話でもあります。

 原作との違いについては、親子の距離感の描き方や、吉田羊さん演じるサチの号泣シーンが違います。でも、基本的に私は両作品とも楽しめました。

 全体的には暗いストーリーなのですが、映像化されたときにハワイの美しい自然が対照的に肯定的に描かれています。原作の文章はもちろん凄いのですが、映像美も素晴らしいです。

関連する作品 海を眺める

東京奇譚集

私は『東京奇譚集』で考察しました。『めくらやなぎと眠る女 (短編小説集)』にも収録されているようです。

 

映画版「ハナレイ・ベイ」

吉田羊さんの号泣シーンが印象的です。小説とはちょっと違います。


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海辺のカフカ

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全力考察 カウアイ島の初老の警官の言葉

 息子の遺体を引き取りに来たサチに対し、遺体安置所に案内した初老の警官はこんな言葉でサチを慰めます。初老の警官は母方の叔父を、ヨーロッパの戦地で亡くしています。

”ここカウアイ島では、自然がしばしば人の命を奪います。ごらんのようにここの自然はまことに美しいものですが、同時に時として荒々しく、致命的なものともなります。”ーP.58

”「大義がどうであれ、戦争における死は、それぞれの側にある怒りや憎しみによってもたらされたものです。でも、自然はそうではない。(中略)息子さんは大義や怒りや憎しみなんかとは無縁に、自然の循環の中に戻っていったのだと」”ーP.59 

 映像化されるときに、監督がテーマのひとつとして採用したのも上述の引用箇所だと思います。とても素晴らしいハワイの自然が効果的に用いられています。

まとめ 人間は特別な存在ではなく自然の一部です

 地球上に生きている全ての生物は、各々の環境に応じて必死に生きています。自然に抗いながら、または自然の一部として生きることが生物に与えられた運命です。人間以外は。

 人間は生物には必要のない環境を自分達で作ったうえで、その中で無為に命を奪い合います。過去の歴史の中から、自分の命を捧げるべき理由を探しだし、争いを肯定する価値観を共有してしまいます。

 

”彼女はピアノを弾くこと自体が好きだったのだ。鍵盤の上に十本の指を置くだけで、気持ちが広々とした。それは才能のあるなしに関係のないことだ。役に立つとか立たないとかの問題でもない。私の息子もたぶん波に乗りながら、同じような思いを抱いていたのかもしれない、とサチは想像する。”ーP.80

 

 平和ボケではありません。自分の好きなことを追求している限りは、他人と争っている暇なんてありません。

 自分の命と時間は有限です。自身の命と時間を大切にする人は、自分以外の他者の命と時間を尊重します。自分の自由を保つためにそれはもっとも効率の良い方法だからです。

 しかし、損得勘定ではなく、それを当たり前のこととして喜べる価値観を持ちたいです。他者の幸せはわたしにとっても幸せです。

 宗教に頼る必要もなく、とてもお手軽な幸福論です。

 スピリチュアルな考え方を示すと、故人が遺族の前に姿を顕さない理由は、悲しみに暮れる遺族を呼んでしまうのを防ぐ為という解釈もあります。いわゆる「友引」です。