パスタを茹でている間に

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考察・村上春樹著『木野』 ザグレウスの心臓 全力考察

短編集「女のいない男たち」より、『木野』を考察します。以前にも『木野』は記事にしたのですが、そのときは考察が中途半端になってしまいましたので、リトライしたいと思います。猫と柳、そして、「心臓を隠す蛇」についても考察したいと思います。

 

 

テーマあるいは出発点
心が傷ついているときにその傷に無自覚であることは、間違いではいないが正しくはない。心を痛めるべきときに、心を痛めないことは、間違ってはいないが正しくはない。

著者の解決あるいはメッセージ
間違いを起こさずとも、正しいことをしないでいると、「心臓を秘密の場所に隠し不死性を得ようとする蛇」に自身の心の領域を明け渡すことになる。

 

『木野』のあらすじ(プロット)

『木野』のあらすじを知りたい方はこちらの記事をどうぞ。前回は違う結論に向かっていましたので、プロットとしても失敗していましたが、書き直さずそのままにしました。

 

while-boiling-pasta.hatenablog.com

 

全力考察 秘密の場所に心臓を隠す賢い蛇

「両義的に人を導く蛇」は、「正しい心の有り様」を失った虚ろな心を持つ人間の中に、自身の心臓を隠し不死性を備える。野に放たれた賢い蛇は、善悪の区別なく、人間を未知の場所に導く。

本作においてそのターゲットとなったのは主人公の「木野」ですが、もし木野が蛇に心を間貸ししてしまうと、木野の想いとは関係なく、不死身の蛇が我々人間を誘導してしまいます。

問題の抽出 猫・柳・蛇

まず、蛇・柳・猫というキーワードが出てきますが、それが何であるか?答えずとも、この物語は読めます。

”だいたい幸福というものがどういうものなのか、木野にはうまく見定められなくなっていた。痛みとか怒りとか、失望とか諦観とか、そういう感覚も今ひとつ明確に知覚できない。”ーP.234

 

”古代神話の中では、蛇はよく人を導く役を果たしている。(中略)ただそれが、良い方向なのか、悪い方向なのか、実際に導かれてみるまでは分からない(中略)そして中でもいちばん大きくて賢い蛇は、自分が殺されることのないよう、心臓を別のところに隠しておくの。”ーP.258

 

”カミタさんが言うのは、私が正しくないことをしたからではなく、正しいことをしなかったから、重大な問題が生じたということなのでしょうか?”ーP.262

 

”本物の痛みを感じるべきときに、おれは肝心の感覚を押し殺してしまった。(中略)その結果こうして中身のない虚ろな心を抱き続けることになった。蛇たちはその場所を手に入れ、冷ややかに脈打つ心臓をそこに隠そうとしている。”ーP.271

 

以上で、『木野』の考察は終了です。「心を正しく保つ」なんて不可能にも感じますが、諦めること無く挑戦し続けるべき課題です。自分以外の何かが心に居座り、外で害を為さないように。
しかし、今回はそれぞれのキーワードについても深堀りしてみたいと思います。

 

不死性を備えた蛇 死と再生の象徴


さまざまな神話や伝承・童話を探してみましたが、「心臓を隠す蛇」については見つかりませんでした。ハリーポッターのヴォルデモート卿の分霊箱みたいですが、そもそも蛇の不死性は「脱け殻」から生まれ変わりを連想したものです。また、蛇は海・山・森・砂漠・木の上だったり生息域により種類も異なりますが、長い胴の何処に心臓を収めているのかというと、その種類によって心臓の場所が違います。このことからも、蛇はなかなか殺せないので、生命力の強さから畏怖の対象となりました。

 

体外魂や分離霊魂の童話や伝承

体の外に魂や心臓を持つ不死身の生き物については、

  • からだに心臓のない巨人
  • 心臓のない男
  • 漁師の息子
  • 水晶の玉
  • アヌビスの弟バタ

などがありますが、どれも蛇ではありません。これらの物語に共通しているのは、「多くの動物の助けを借りて、動物や木に姿を変身して目的を達成する」という感じです。
ですが、どうしても「心臓を隠す蛇」を見つけたかったのでもう少し探してみました。

 

隠されたザグレウスの心臓 のプロット 

  1.  ザグレウスはギリシャ神話に登場する神で、父はゼウス、母はぺルセポネー(冥界の王ハデスの妃)。ザグレウスは大蛇の姿でゼウスに伴い、またゼウスからも寵愛を受けた。嫉妬したヘラが巨人族をそそのかし、ザグレウスを殺すように仕向ける。ザグレウスは様々な動物に変身しながら戦うも、牛の姿になったときに捕えられ、体を八つ裂きにされ食べられてしまう。
  2.  しかし、心臓だけはアテーナーに救い出され、ゼウスはその心臓を丸のみにする。その後、カドモス王(蛇を殺したために一族が蛇の呪いを受けたが、自身が蛇になることで親族への呪いを断った)の娘セメレーがゼウスと関係を持った際にディオニュソスを身籠る。
  3.  しかしまた嫉妬に狂ったヘラがセメレーの乳母に化けて「そのゼウスは本物か?あなたはゼウスの本当の姿を見ていない」とそそのかし、セメレーはゼウスに「本当の姿を見せてください」と頼む。願いに応じたゼウスは本来の姿を披露するが、セメレーは人間だったので、神の威光に耐えられず燃えて死んでしまう。生まれる前の胎児をヘルメスが取り上げ、ゼウスの太ももに縫い込み、成長を待ってディオニュソスが誕生する。このディオニュソスの心臓はかつてのザグレウスのものだった。
  4.  人間の母をもつディオニュソスだが、徐々に神格を高めていきオリュンポスの十二神に数えられるまでになる。そして、母セメレーを生き返らせるために冥界へ降り、ペルセポネーを説き伏せ無事母親を連れ戻し帰還する。以降、ディオニュソス(若いゼウスの意)はゼウスと共に宇宙を統治する。(ヘラとも仲直りします。)

ディオニュソス信仰

世界中の神話に「蛇殺しの神話」があるのですが、その蛇の虐殺を免れたのがザグレウスだと分かりますでしょうか?ディオニュソスはオルペウス教とも関連が深く、ピタゴラス教団へも受け継がれていきますが、その心臓は蛇です。
村上春樹作品には魂と肉体を分けて考えようとするお話がいっぱいあるのですが、ピタゴラス教団もそうです。私の知っている範囲だけで繋げていくと、物質と霊との二元論を特徴とするグノーシス主義は、アブラクサス(ABRAXAS)に数秘術(神秘主義的な意味)を込めています。アブラクサスキリスト教からはデーモン認定されているのですが、へルマン・ヘッセ著『デミアン』では、「アラクサス」は善悪両面を兼ね備えた神として登場します。両義的です。
ディオニュソスはゼウスの持たない特性(冥界に対しても顔が利く)を獲得しています。
ここまで書いておいて何ですが、本作の蛇とは関係が無さそうです(-_-;)。でも、せっかく調べたのでもう少し書きます。

ピタゴラス教団

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オルペウスの竪琴

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神田(カミタ)と柳 境界を示す柳の木


日本人に「柳の木の下」と聞くと、「幽霊」と答えるのではないでしょうか?庭に柳の木を植えるのは縁起が悪いとされます。しかし、本作では不気味なものとしては描かれていません。

”カミタはひょっとして、なんらかのかたちであの前庭の古い柳の木に結びついているのかもしれない、木野はふとそう思った。あの柳の木が自分を、そして小さな家を保護してくれていたのだ。”ーP.274

 

歌舞伎の演目に「蛇柳」というものがあります。空海高野山を開く際、邪魔をした蛇を柳に変えて閉じ込めたのですが、何年も後で、そうとは知らない旅人が悪気無く結界を壊してしまい、蛇が現れるお話です。
木野も旅人も進んで悪を為したわけではありませんが、正しくはありませんでした。
柳はこちら側との境界に立ち、柳の向こう側は霊界とされ、庭木としては縁起が悪いとされました。

自由意思の象徴としての猫

猫好きとして有名な著者ですが、猫に自由意思(フリー・ウィル)を象徴させている場合もあります。今回はどうでしょうか?猫がいなくなるのは「不穏な兆し」あるいは「冒険・旅の始まり」ぐらいかもしれません。

 

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仮に、自由意思として読むと、これもまたピタゴラス教に添います。偶然でしょうか?

まとめ 不思議な物語の中を彷徨う

当サイトのコンセプトは、「パスタを茹でている待ち時間に村上春樹作品を説明する」ぐらいのボリュームの文量を目指しているのですが、今回は完璧に茹で上がってノビてしまいました。
前回の不完全な考察では、Bing検索による流入が確認できました。しかし、せっかく当ページにたどり着いてくれたのに、「知りたいことに応えてくれない」記事だったのではないかと反省しています。全てに応える内容には出来ませんが、ひとつの読み方を示せればと思います。
(「ドライブ・マイ・カー」の映画化により話題となった「女のいない男たち」を手に取ったけど…。なんじゃこりゃ!?っとなった読者は多かったと思います。)

この不思議な短編に心引かれるのは、私たちが既に忘れてしまっている「何か」を揺り起こそうとしているからでは?と思います。

誰かのお役に立てますように♪

今日は投票日ですね。でも、諦めますか?