パスタを茹でている間に

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考察・村上春樹著『神の子どもたちはみな踊る』かえるダンスの意味

今回は短編集「神の子どもたちはみな踊る」より、表題作『神の子どもたちはみな踊る』を考察します。日本では今、「政治とカルト教団」に揺れていますが、こちらの短編でもカルトを扱った作品になっています。

 

 

四段プロット あらすじの代わりに

  1.  主人公の善也(25歳)は出版社に勤めており、生まれたときから父親が居らず母子家庭で育ち、就職後も43歳の母親と二人で暮らしていた。母親は高校生で妊娠・堕胎を経験し、産婦人科の先生に避妊について指導を受けた数ヵ月後に再び妊娠し、同じ先生に怒られるといったエキセントリックでバイタリティのある生き方をしていた。その後どういうわけか、母親はその産婦人科の若い先生と付き合うようになり、避妊についても実技講習を受けた。
  2.  しかし、それでもまた妊娠してしまい、産婦人科の先生に浮気を疑われ自暴自棄になり、ふらふらと歩いているところを田畑さん(新興宗教の信者)に呼び止められ、自殺を思い止まる。避妊を完全に行ったにも関わらず善也を身ごもったのは『お方』の意思であり、善也は神の子なのだという田畑さんの言葉を信じ、母親は信仰に目覚め、幼い善也を伴い家々の戸口に立ち勧誘を行うまでになった。 
  3.  善也が13歳で信仰を捨てたとき、母親はひどく取り乱したが、母親の信仰は変わらず、その日も他の信者と共に被災地へボランティアに向かい家を空けていた。二日酔いで目覚めた善也は、午後からの出勤を予定していたが、会社へ向かう地下鉄の乗り換えの際に、耳たぶの欠けた男を見かける。その容姿は母親から聞かされていた産婦人科の先生と合致し、自分の本当の父親かもしれないという思いからその男の後を尾ける。
  4.  千葉の手前の駅で男は降り、タクシーでの移動が終わる頃には日も沈んでいた。狭い路地を抜け、誰かがこじ開けたフェンスを潜り抜けるとそこは広々とした野原のようになっていて、月明かりの下でそこが野球場であることに気付く。男の姿は見失ってしまったが、善也はマウンドまで歩き、そこで一連の行為の無意味性について物思いにふける。そして、腕をぐるぐると回しながら、それに合わせて足をリズミカルに動かし、踊り始めた。

 ”大学時代にずっと付き合っていた女の子は、彼のことを「かえるくん」と呼んだ。彼の踊り方が蛙に似ていたからだ。彼女は踊るのが好きで、よく善也をディスコに連れていった。「あなたってほら手足が長くて、ひょろひょろと踊るじゃない。でも雨降りの中の蛙みたいで、すごくかわいいわよ」と彼女は言った。”ーP.107

 

問題の抽出 原始宗教の礼賛

古代人の無意識

考察に当たって私自身のスタンスを明らかにしておきたいと思います。いくつかの著作を読んだ上で、著者の宗教観についてこんな感想を持っています。それは、

「著者はアニミズムシャーマニズムのような原始宗教を礼賛する傾向にある」

ということです。なので、本作もそのように読みました。

本作では、主人公である善也(かえるくん)の踊りをシャーマニズムのそれとして捉えることができます。

 

”音楽に合わせて無心に身体を動かしていると、自身の身体の中にある自然な律動が、世界の基本的な律動と連帯し呼応しているのだとたしかな実感があった。潮の満干や、野原を舞う風や、星の運行や、そういうものはけっして自分と無縁のところでおこなわれているわけではないのだ、善也はそう思った。”ーP.107

社会に利用された宗教

 一方で、個人(信者)の救済を目的として始まった宗教ですが、集団や社会や国家の維持のために利用された歴史があります。現世利得的なものであっても、死後の魂の救済であったとしても、そもそもは個人を救うための教義でした。

 しかし、時の権力者や為政者によって、「集団の維持」が最重要課題となり、個人の救済は二次的・三次的に付随するものとして、目的がすり替えられてしまいました。

 ここに優先順位の逆転現象が起こり、「宗教・教団の維持のために個を捧げる」という本末転倒な状態となってしまいます。著者は「民主主義教」にも警戒心を持っていて、「自ら進んで自身の人格の一部や人権を国家に寄進する」様子も危惧しています。

 

自身の暗部で蠢く「みみずくん」

私は「ひとつの作品の考察は、その物語の中にのみ根拠を求めるべし」という考えを基本にしています。しかし、本短編集では短編同士でキーワードを共有し、作品中で明らかにされなかった事柄が、別の作品で示されていたりもします。

 

”わきの下が汗ばんでくるまで彼は踊った。それからふと、自分が踏みしめている大地の底に存在するもののことを思った。そこには深い闇の不吉な底鳴りがあり、欲望を運ぶ人知れぬ暗流があり、ぬめぬめとした虫たちの蠢きがあり、都市を瓦礫の山に変えてしまう地震の巣がある。それらもまた地球の律動を作り出しているものの一員なのだ”ーP.109~110

 

つまり、短編「かえるくん、東京を救う」での「かえるくん」は善也であり、「みみずくん」が「ぬめぬめとした虫たちの蠢き」となっています。短編集全体でひとつのパッケージとして捉えると、キーワードを読み解くヒントを別の短編に求める読み方が可能になります。

 

踊り踊る

「踊る」には以下のような意味があります。

  1.  音楽などに合わせてからだを動かす。舞踊を演ずる。
  2. 他人に操られて行動する。「札束に―・る政治家」
  3. 「躍る4」に同じ。
  4.  利息を二重に取る。踊り歩 (ぶ) にする。

注目すべきは、2の「他人に操られて行動する。」です。私は「神の子どもたち」が踊るのは2.「操られる」で、善也の「かえるダンス」は自身を取り戻す自律的な踊りだと思っています。自律的とは言いながらも、ここでは自身を律するモノを自然の中に求めようとする行為ですが。 

 

関連する作品 

 

古代人の無意識・フラクタルな社会

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個を捧げる宗教

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かえるくんとみみずくん

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「すずめの戸締まり」との関係

 新海誠監督の映画作品「すずめの戸締まり」との関係性については別記事にて考察していますので、こちらの記事を参考にしてください。

 

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全力考察 自分を取り戻せ

 

コロナ禍では自粛警察なる過激な集団が現れ、「政府が規制しないから市民同士がいがみ合ってしまう」のだと、「もっと強力に規制してほしい」という人たちも現れました。欧米では自分達で勝ち取った自由と権利なので、日本人のそんな態度は滑稽に映ったことでしょう。日本ではGHQ指導の下、空から自由と権利が降ってきたので、国民主権を持て余してしまっています。

 

「耳たぶの欠けた男」という特殊な条件はあてはまっていますが、ほとんど何の根拠もなく父親だと決めつけ自分のルーツを追い求めるように男の後を追いかけます。プロットでは省略してしまっていますが、全体的にはアイデンティティの模索です。神との繋がりを自ら絶ち、父親かもしれない男も見失いますが、自然や宇宙との繋がりを取り戻すお話です。

 

まとめ フラクタルな社会の縮図

 

長編「1Q84」では、「自分達の権利や人格の一部を国家や集団に寄進し、権力者がその分身を組織の維持のために使役する」という「民主主義教」に対する警告が描かれています。

 

ビッグブラザーによる支配は嫌だけど、自身の問題も考えるのが面倒なので誰かに決めてほしい?民主主義は万能ですか?ビッグブラザーにしろ、リトルピープルにしろ、自分の問題を他者に委ねることから不具合が生じます。

そして、ある特定の場所で局所的に起きた問題であっても、それは社会全体が抱えている問題をフラクタルな相似形で表しています。それは「どこかの誰か」の問題ではなく、私たちの社会に内包されている根本的な歪みを表し、同時に、私という個人を映し出す鏡ともなります。

このような視点こそが、「メタファーを介した世界と自分の捉え方」です。

凶行に及んだ容疑者の母親にかけられたマインドコントロールは解けそうにありません。しかし、宗教が彼の母親を奪った方法と同じやり方で、彼自身が誇大妄想に取り込まれてしまったことに彼が気付く日は来るのでしょうか?彼の妄想は誰かの用意した陰謀論の集積です。原理は全く同じです。

そして、彼の短絡的な凶行について、誇大妄想や陰謀論と笑い飛ばせない私たちがいます。彼の撃ち抜いたものは一体なんだったのでしょうか?

 

あなたはマインドコントロールをされていない自信がありますか?