パスタを茹でている間に

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考察・村上春樹著『騎士団長殺し』のプロットと主題

 今回は長編『騎士団長殺し』のプロットに挑戦してみました。かなり長い作品なのでプロットもそれなりのボリュームになってしまいました。

 単行本では「顕れるイデア編」と「遷ろうメタファー編」の二部構成の二冊で、文庫本では全4冊編成になっています。第一部の冒頭で「プロローグ」から始まっているのに、「エピローグ」がないまま物語が終わっているので、ネットでは第三部の発売が期待されました。

 ですが、物語の冒頭に配置された「プロローグ」が、時系列的な内容としては「エピローグ」になっています。なので、全部読み終えた後で、もう一度はじめから読み直すと「プロローグ」が「エピローグ」に変化する仕組みになっています。

 

 

 

 

プロットと主題

 私の考察と対応したプロットになっていますので、一般的なあらすじとは異なり、少女「秋川まりえ」から始まる物語にしてあります。  

秋川まりえの出生の秘密

 秋川まりえは小田原に住む13歳の中学生。市内のカルチャースクールの絵画教室に通っている。まりえは幼い頃に不慮の事故(スズメバチに刺されたことによるショック死)で母を亡くしていた。仕事で忙しい父親に代わって、叔母(父の妹)の笙子が母親代わりとなり、まりえを育てた。家業の不動産業で家を空けることの多い父親に比べると、まりえは叔母の笙子に懐き、普段は無口だが芯が強く感受性の鋭い子に育った。

 まりえの母親には結婚の直前まで交際していた男性がいた。母親の元交際相手・免色渉は「秋川まりえは自分の子供かもしれない」という思いに囚われ、三年ほど前に秋川家から程近い邸宅を強引な手段で入手し、まりえの成長を見守っていた。免色渉は独身で54歳の白髪紳士、経営していた会社を売り払ってリタイヤし資産家となっていた。現在では、暇潰しに株と為替を動かし、元カノであるまりえの母親の衣服を邸宅の一室で大切に保管し、高性能な軍用双眼鏡で谷を隔てて向いにある秋川家を覗き、何とかしてまりえと接点を持てないものか?と画策していた。

 

天田画伯の残した「騎士団長殺し

 そんな折、肖像画家をしていた主人公が小田原にあるアトリエに引っ越してきた。主人公は36歳のある日唐突に妻から離婚の申し出を受け、傷心旅行で東日本を彷徨っていた。主人公は美大時代からの友人である雨田政彦に事情を説明すると、彼の父親が使っていたアトリエが長らく空き家になっていて「人が住んでいないと家が傷んでしまうから」と、住居を提供してくれた。さらに、知人のカルチャースクールで絵画の先生を募集していると、職まで斡旋してくれた。

 主人公の借りているアトリエは天田政彦の父である画家の天田具彦が使っていた山小屋だった。画伯は認知症の症状が見られ、現在は伊豆の療養施設に移っていた。ある日、主人公は天井に小動物の気配を感じ、点検口から屋根裏に登ると、そこで画伯の未発表の作品「騎士団長殺し」とタイトルを付けられた、オペラ「ドン・ジョヴァンニ」の1場面を再現した日本画を発見する。主人公は妻と別れたことを機に肖像画の仕事を休み、創作活動に取り組もうと考えていたが、思うように筆が進まずにいた。

 

免色渉の企み

 まりえとの接点を模索していた免色は、まりえの通う絵画教室に新しく就いた先生が肖像画家だったことを知ると、代理人を介して主人公に肖像画制作の依頼をした。主人公が小田原に住むことになったのは成り行きだったのに、なぜか依頼人(免色)はアトリエの近所に住んでいて、主人公を直接指名したと肖像画のエージェントから説明を受けた。主人公からすると怪しい話だったが、創作がうまく行かず、また報酬も高額だったこともあり話だけ聴いてみることにした。

 思惑を隠して近づいて来た免色は、主人公の目には礼儀正しく教養もあり話題に富んだミステリアスな紳士に見えた。肖像画制作をスタートさせた頃、主人公は天田画伯の創作物にも興味を持ち、平行して彼の生い立ちを調べていたが、知的で好奇心旺盛な免色はその手の調査も得意で、主人公の良き話し相手となった。また、夜になると主人公のアトリエ裏の雑木林から、「どこからか鈴の音が聞こえる」という怪現象がおこったが、免色の協力を得て音の出所である井戸のような石室を突き止めた。

 

顕れるイデア・騎士団長

 主人公は免色の資金提供を受け、石室を覆っていた大きな石蓋をどけ、縦穴の底に佇む古い仏具のような鈴を発見した。しかし、「誰が鳴らしていたのか?」については謎のままだった。石室を暴いたあとで、主人公が一人アトリエで絵の製作をしていると、天田画伯の残した「騎士団長殺し」に描かれていた登場人物が実体化し、主人公に語りかけてきた。「私はイデアである」と名乗る騎士団長の姿をしたキャラクターは、主人公を意味不明な、しかし示唆に富んだ言葉で婉曲的に導いた。主人公は騎士団長・イデアの存在については誰にも相談できずにいた。

 免色氏の肖像画制作が佳境を迎えると、免色は自身の思惑について主人公に吐露した。遺伝子調査するなどして、まりえが実子であること証明しないのか?疑問に思った主人公が訊ねると、免色は「真偽は不明なまま、可能性だけがあれば良い」と複雑な心中を語った。主人公は「人を欺くようなことには荷担したくないが、自然な成り行きで引き合わせる程度なら」と了承し、免色の計画が加速した。まず主人公は絵のモデルとしてまりえをアトリエに招き、叔母の笙子が付き添った。

 

秋川まりえの肖像画制作

 まりえの肖像画制作が始まると、機会を作って両者を引き合わせる予定だったが、免色が偶然アトリエを訪ねてきたので、対面の時期が早まった。免色は緊張から落ち着きを欠き、まりえとは目も合わせられずにいたが、その魅力でまず叔母の笙子を捉えた。次いで主人公に作成してもらった肖像画を話題にすると、「その絵を見てみたい」とまりえの好奇心を捕まえた。そうして免色はまりえと笙子を豪華な邸宅に招待した。

 主人公は免色の計画に後ろめたさを感じていたものの、モデルとしてのまりえに強く惹かれていた。また、肖像画制作中のまりえとの対話の中で、彼女の中に強い芯と感受性を、そして免色にも通ずる好奇心の瞳を見いだした。まりえは「免色が叔母の笙子を誘惑しようとしている」と危惧しており、その事を正直に主人公に相談した。主人公は「両方とも大人だし、当事者の問題だから」と、免色の関心がまりえに向いていることを当人が気づいていないことに安堵した。

   

秋川まりえが抜け出せなくなった現実

 免色が隠しているものは何なのか?分からないものの、まりえは免色の中に暗部を感じ取っていた。ある日、まりえはいつものように登校したが、午後からの授業をサボり免色邸に向かい、屋敷の様子を外から伺った。その時、宅配便のヴァンが来て門扉が開き、まりえは衝動的に免色邸に忍び込んだ。すぐに出入り口が閉ざされ、まりえは抜け出すタイミングを見失った。まりえは仕方なく、広い免色邸の中から普段使われていないだろう一室に身を潜めた。こうしてまりえは数日間、免色邸での潜伏生活を余儀なくされる。まりえが身を隠しているその部屋にはどういうわけか、成人女性の衣服が大切に保管されていた。

 まりえの行方不明になってから一夜が明けても、免色も含め、大人たちは誰もまりえの失踪に心当たりがなかった。主人公は騎士団長・イデアにまりえの所在を問い質した。騎士団長は事情を把握していたが明確には答えず、婉曲的に主人公を導いた。主人公はまりえの状況が分からないものの、他に手段もなく、騎士団長の言うままに天田画伯のいる療養施設に向かった。そして、騎士団長・イデアが命じるままに、絵画「騎士団長殺し」の画面を再現すべく、天田画伯の目の前で騎士団長・イデアを刺殺した。

 

主人公の胎内くぐり

 騎士団長・イデアを殺したことで、療養所(伊豆)からアトリエの石室(小田原)まで通じる異次元の径〈メタファー通路〉が開く。主人公は理解が追い付かないものの、まりえを救う唯一の方法だと信じ、メタファー通路を進んでいく。主人公は〈メタファー通路:常に関連性に揺れ動く世界〉の中で、様々な試練をくぐり抜け、〈二重メタファー:人間から正しい思いを奪い貪り食う存在〉の追跡を振り切り、石室にたどり着いた。

 主人公の行動とまりえの状況には、直接的なリンクは無いが、主人公が〈メタファー通路〉で試練を受けている頃に、まりえは免色の外出を確認して隙を見て抜け出し、無事に帰宅する。

 

問題の抽出 誰の物語か?

 かなり端的に要約すると、まりえが迷い込んでしまった免色邸はまりえの出生の秘密が隠されています。免色邸は異次元の世界ではなく現実の世界なのですが、まりえが生まれる前に大人たちが勝手に作った現実です。

 

南京虐殺アンシュルス

 大人たちが勝手に作り上げた現実として、南京虐殺アンシュルスがあります。主人公が天田画伯の半生を調べていく中で、免色や天田政彦の協力を得て、過去の戦争が明らかにされていきます。

 しかし、著者の他の作品でもそうですが、過去の戦争が明らかになればなるほど、それが何であったか?分からなくなっていくような描かれ方がされています。

 私たちが過去の戦争を語ろうとするとき、「おそらく・たぶん・だろう」という態度しかとれません。この態度は決して過去の戦争責任を回避しようというものではありません。むしろ著者の態度は、「どこで、誰が、誰を」ではなく、常に「人間が人間を殺している」という事実のみと向き合っています。

 

騎士団長殺し」 私たちに殺し合いを命じる存在

 本書のタイトルからも分かる通り、本作の主題はキリング・コマンダーです。戦争・紛争・内戦・ホロコーストなどという言葉がありますが、その本質はキリングです。

 そして、私たちの社会はそのキリングを命じる存在である、「コマンダーを共有してしまっている」とするのが、物語の出発地点です。

 

前回の考察記事「キリング・コマンダー

while-boiling-pasta.hatenablog.com

 

イデアとメタファーと二重メタファー

 イデアとは人間が獲得した観念で、理性的思考によって認知できる真理です。つまり、人間が意識的に真理を得ようとするときに用いる観念です。

 一方でメタファーとは、人間が意識の領域を広げていく以前から備えていた無意識によって、真理を認知しようとする機能です。

 二重メタファーとは、人間が生物として先天的に備えていた無意識で真理を捉える能力(概念メタファー)を、「社会で共有する認識」で覆い隠してしまったことによる弊害です。

 この「二重メタファー」によって、「人間が人間を殺している」という状態が続いています。

 

 物語では、騎士団長・イデアを否定することで、〈メタファー通路〉が開き、理性に拠らない生物としての自然な認識が可能になります。そして、生き物として自然な認知機能が回復したことで、二重メタファーの存在を捉えることが可能となります。 

 

主人公の胎内くぐり 無意識による直視

 物語の終盤でメタファー通路という異次元の径が突然登場します。メタファー通路の最後の洞窟では、主人公は後ろから迫り来る〈二重メタファー〉から逃れるために、ひと一人ぎりぎり入れる横穴に、その身をねじ込んで進みます。この描写は神社・仏閣でみられる「胎内くぐり」の様子と同じです。胎内くぐりは生まれ変わりの儀式です。

 主人公は免色とまりえの肖像画制作の他に、「雑木林の石室」を創作しています。主人公は完成したその絵を「女性器のようだ」と客観的に評しています。メタファー通路をくぐり抜けると、主人公は石室に辿り着き(生まれ落ち)ます。

 つまり、大人である主人公が生まれ変わることで、子供たち(秋川まりえ)が「危険な現実」から救われる構造になっています。

 

プロットから省略したエピソード

 主人公は人妻と不倫関係にあるのですが、邪魔だったので無視しました。また、主人公の妹・小径(こみち)も重要な役割があったのですが、考察には不要だったので省きました。冥界の河の渡し守・カロンと思われる顔の無い男も登場しましたが、エピソードのひとつと捉えました。スバル・フォレスターの男も同様にエピソードとしました。フォレスターを「森の人」と読めれば、コマンダーも読めます。

 

  • 不倫相手の人妻 裸の主人公に語らせる内省パート
  • 妹・小径(こみち) まりえを救いたいという強い動機
  • ペンギンのお守り 白い頭。鳥類の子育て。托卵、誘拐。
  • フォレスター 主人公の自画像。森の深部に隠れている。
  • 渡し守・カロン 渡し賃が行き先を示す

 また、主人公の奥さんは以前から浮気をしていて、その浮気相手の子供を身ごもっていました。最終的に主人公は奥さんと復縁し、子供も認知するのですが、こちらも後日談なので主題とは関係がないと判断しました。

 

関連する作品 過去の考察記事

 結論は変わりませんが、以前にも考察記事を書いています。プロットがやたら長くなってしまったのは、単純に私の技術不足です。

 

前回の考察記事「キリング・コマンダー

 前回の考察記事です。プロットもあらすじも書かないスタイルで始めたのですが、今回はプロットを示してみました。

 

while-boiling-pasta.hatenablog.com

 

二重メタファー

 概念メタファーについて調べた記事です。二重構造の認識システムについて考察しています。

 

while-boiling-pasta.hatenablog.com

 

村上春樹のメタファーまとめ

 記号と象徴、擬人化と寓意化、概念メタファーについてまとめています。

 

while-boiling-pasta.hatenablog.com

 

古代人の無意識

 著者は「みみずくは黄昏に飛び立つ」で、人間が意識を獲得していく過程を語っています。著者が用いるメタファーやイデアの意味・用法が分かります。

「古代の人間は無意識からメッセージを受け取っていたが、社会が意識化されていくなかで、無意識の領域が狭まった。」

 

while-boiling-pasta.hatenablog.com

 

 

全力考察 子供たちを守るために大人たちがすべきこと 

 まりえは父親と血が繋がっておらず、生物学上の父親と思われる免色は、まりえの母親の衣服を大切に保管する聖域を自宅に構え、夜な夜なまりえの成長を双眼鏡で見守っています。しかも、その屋敷はまりえに近づくためだけに強引な手段で手に入れており、免色はまりえの近くにいる大人たちを計画的に懐柔しています。

 しかし、そこまで徹底しておきながら、本当の父娘であるかの確認はせずに、まりえに対して母親との過去を明らかにするつもりもありません。

 

 「事実だから」という理由で13歳の少女に負わせるには酷すぎる現実です。そして、その過去や現実はまりえの知らないところで、既に作られてしまっており、まりえには一切責任がありません。

 

 一方で、主人公の行動は直接的にまりえの帰還にリンクしていませんが、大人である主人公が〈二重メタファー〉と向き合い、試練をくぐり抜け、その責めを受け止めることで、子供であるまりえは「危険な現実」から無事に「平穏な現実」に戻ってこれるという物語の構造になっています。

 つまり、子供たちに負わせるべきではない「危険な現実」とは、既に作られた過去である、南京虐殺アンシュルスであり、大人たちが向き合うべき〈二重メタファー〉とは、私たち人間に「殺し合え」と命じる「騎士団長殺し:Killing Commander」です。

 大人たちが向き合うべき事柄と対峙することで、子供たちを「平穏な現実」に戻してあげる物語です。

 

 イデア(意識で理性的に真理に到達しようとする幻想)を否定し、メタファー(無意識で真理を認知する能力)を回復させ、二重メタファー(社会で共有されてしまった認識)と戦うことが、本作の主題です。

 

まとめ 著者の解決・メッセージ

 「他人の子供を認知する」ことに、主人公の成長を見る読み方もありますが、主題は前述の通りだと私は思っています。その主題をどのように解決したのか?態度ではなくて具体的な行動を読むとき、私の省略したエピソードが「著者の主題の解決・メッセージ」となると思います。

 免色渉は自分の子供かもしれない秋川まりえを遠くから見守る選択をします。一方で、主人公は血の繋がりの無い子供を実子として認知します。鳥類の托卵と、ペンギンの誘拐です。

 

 あくまでこの考察は一個人の主観的な読み方です。私と主題の共有が出来る人がいたとしても、どのような結論とメッセージを受けとるか?は読者によって異なります。

 

人間の意識が無意識のレベルで固着する例

 著者の作品では「意識を疑い無意識を礼賛する」という傾向があります。今回の作品では、意識(理性・イデア)を否定して、無意識で世界を理解しようとする能力の回復を試みています。

 一方で、「白いスバル・フォレスターの男」も、主人公の自画像として、無意識の領域にある自身の暗部のような描かれ方をしています。これは一体どういうことなのか?例を示したいと思います。

 

 日本では食事中は茶碗や器を手に持つように、幼い頃から矯正されます。「いぬ食いするな」と教えられ、大人になると意識せずにそれを行い、疑問にも思いません。

 一方で、西洋のテーブルマナーでは、器や皿を手に持って食事をすることはマナーが悪いとされています。これらは文化の違いなのでどちらが正しいとも言えません。

 これは、「社会で共有されている価値観」を意識的に矯正され、ある時点から当たり前のこととして受け入れ疑わなくなり、無意識のレベルに固着し、思索の対象にすらならないこと(構造主義)の例です。

 しかし、「人間が人間を殺すこと」は当然、当たり前のことではありません。