パスタを茹でている間に

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考察・村上春樹著『クリーム』① 中心がいくつもあって外周を持たない円

 短編集「一人称単数」より『クリーム』を考察します。こちらの短編は面白かったので2回に分けて考察します。

 物語全体の考察は次回の記事でします。まず、この物語で読者の疑問となるのは「中心がいくつもあって外周を持たない円」です。本記事ではこの円について、二つほど答えとなるモデルを思い付きましたので、先に示しておこうと思います。

 

 

簡単なあらすじ

 主人公の「ぼく」が18歳で浪人生だった時の体験です。それほど親しくもない知人女性からピアノ演奏会に招待された主人公は、案内に記された会場へ花束を持って向かうと、そこは使われなくなって長くなるであろう既に廃墟と化したホールでした。彼女は何の意図があってそのような仕打ちをしたのか?主人公がベンチで途方に暮れていると、見知らぬ老人から唐突に声をかけられます。

 ”「中心がいくつもあってやな、いや、ときとして無数にあってやな、しかも外周を持たない円のことや」と老人は額のしわを深めて言った。「そういう円を、きみは思い浮かべられるか?」”ーP.46

 

問題の抽出 中心がいくつもあって外周を持たない円

 まず、円とは何か?その定義を本書から引用します。

”ぼくの知っている円とは、中心をひとつだけ持ち、そこから等距離にある点を繋いだ、曲線の外周をもつ図形だった。コンパスで描ける簡単な図形だ。老人の言っていることは、そもそも円の定義にまったく添っていないではないか?”ーP.49

 

完全球体(真球)の任意の球面から観察した地平線

 「中心がいくつもあって、しかも外周を持たない円」とは、真球の球面の任意の地点から周囲を見回したときに見えている地平線です。
 まず、地球のような大きな球体を想像してもらいます。そしてその球面の任意の点から周囲を見渡すと地平線が見えますが、どの方角を見ても地平線までの距離は一定になります。
 観測者が球面上を移動しても地平線までの距離は球体の大きさによって決まります。また、どこまで移動しても外周(縁)は存在せず、観測者には端(外周)があるように見えているだけで、実際には存在しません。
 このとき、観測者は球面よりも少し高い位置から角度を持って地平線を見る必要があるので、ある程度の身長が無いといけません。また、第三者がその様子を客観的に見てしまうと、地平線は消えてしまいます。観測者が俯瞰でイメージしたときにだけ、意識の中にだけ存在する円です。

 しかし、このモデルには二つほど欠点があります。

 ①地平線を外周と見なしているので、外周は存在する。
 ②観測者を中心としているので、中心は必ず一つに定まる。

 ですが、実はこのモデルを示したのは前置きです。本命は次のモデルです。(観測者を中心としましたが、厳密には円の中心は観測者の足元よりももっと下にあります。)

 

全ての場所が宇宙の中心であり、同時に宇宙の端でもある

 「宇宙には中心や端があるのか?宇宙全体はどのような形をしているのか?」を考えるときに、前述のモデルを用いて考えることが出来ます。
 現在、宇宙の形は8種類ほど考えられているそうです。そして、「この宇宙には中心も端もない」ということを考えるときに、前述のモデルを利用し、「球面上に宇宙が広がっている」というイメージが使われます。(このモデルはハッブルの「宇宙膨張説」でも使われます。地球から観測すると地球から遠い銀河ほど速く遠ざかる様子を説明するのに、球が風船のように膨らんでいくイメージを使います。)
 実際には、宇宙は面しか持たない二次元空間ではないのですが、「宇宙膨張説」や「中心(端)を持たない宇宙」を考えるときに便利なので、喩えとして用いられます。
 宇宙の年齢は138億年と言われていますので、地球を中心に全方位に138億年分の空間が広がっています。そこで、地球から最も遠い地点に一瞬でワープし、宇宙空間の端を観測しようと試みます。しかし、その地点からは宇宙空間の端を観測することはできず、その地点でも地球と同じく、全方位に138億年分の空間が広がっていると考えられています。
 これは前述のモデルで、観測者が球面のどの地点にいても同じ景色(地平線)が広がっているのと同様に、宇宙が一様に分布している原理を説明しています。(この宇宙の一様性は「宇宙原理」と呼ばれています。)
 わたしの大好きな理学博士・佐治晴夫先生に分かりやすく解説していただきます。

”すべての場所が宇宙の中心であり、同時に宇宙の端でもあるのです。”ー佐治晴夫著「宇宙の不思議」P.20

 そして、私たちが宇宙に関して分かっていることは、地球を中心とした観測可能な範囲で、私たちの眼が見えている範囲は、自分を中心とした視界の範囲だけです。

 

関連する作品 佐治晴夫先生!

「宇宙の不思議」

大好きです!

 

全力考察 人の意識の中にのみ存在する円

 後述のモデルを用いたとしても、宇宙の中に円の存在は確認できませんでした。しかし、本作で主題となっているのは「人の意識の中にのみ存在する円」です。

 ”でもそれはおそらく具体的な図形としての円ではなく、人の意識の中にのみ存在する円なのだろう。ぼくはそう思う。たとえば心から人を愛したり、なにかに深い憐れみを感じたり、この世界のあり方についての理想を抱いたり、信仰(あるいは信仰に似たもの)を見いだしたりするとき、ぼくらはとても当たり前にその円のありようを理解し、受け入れることになるのではないか-それはぼくの漠然とした推論に過ぎないわけだけれど。”ーP.53

 

『クリーム』のプロットと主題

 今回の記事ではざっくりとしたあらすじしか書いていません。プロットとそこから導きだした主題については、こちらの記事にまとめています。

 

while-boiling-pasta.hatenablog.com

 

まとめ このかけがえのない一瞬

 本作の主題「人の意識の中にのみ存在する円」について、佐治晴夫先生は次のように語っています。

 

”さて、みなさんがこの本を読んでくださっている間にも、私たちをのせた地球は秒速30kmの速さで太陽のまわりを走り、さらに太陽は太陽系の惑星たちをひきつれて、秒速20kmの速さでヘルクレスの星団めがけて宇宙空間を駆け抜け、ヘルクレスの星団たちは、太陽系をまきこんだままの銀河の中心をまわり半径3万光年の円を描きながら秒速300kmというすさまじいスピードで移動しています。”ー佐治晴夫著「宇宙の不思議」P.202 

 

 この宇宙でもっとも速いものは光とされていますが、時に人間の意識は光速をも越えて、目には見えないモノを捉えることを可能にします。

 そして、主人公にひどい仕打ちをした知人女性ですが、彼女にも彼女を中心にした世界が広がっており、主人公の視界の外にある世界については、主人公には知りようがありません。

 本作は短編集「一人称単数」に収められています。本短編集全体のテーマは「わたしとは誰か?」です。

 この記事を書いているわたしが宇宙の中心であるとも言えるし、同様に、今、この記事を読んでいるあなたが宇宙の中心であるとも言えます。