パスタを茹でている間に

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考察・村上春樹著『螢』「死」が捉えたのは誰か? 

 短編集「螢・納屋を焼く・その他の短編」より、『螢』を考察します。こちらの作品は『ノルウェイの森』の原型になっている短編なのですが、単体でも十分に読みごたえのある、別物と捉えてよい完成品です。

 『ノルウェイの森』では、主人公の「混乱」を描こうとしていますので読者も混乱しますが、短編は「自分の置かれた状況を正確に見定めることが出来ない」と、かなりシンプルに読みやすい作品になっています。

 

 

四段プロット あらすじの代わりに

  1.  主人公の「僕」は18歳の大学生。学生寮の二人部屋に「同居人」と一緒に住んでいた。過去に「僕」には「親友」がいて、その「親友の彼女」との三人で高校生活を謳歌していた。しかし、「僕」が17歳の五月のときに「親友」が遺書も残さず自殺をしてしまった。そのときから僕は、「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」として、「死」を自分の内側に感じたが、まだ若かったので深刻に考えまいとしていた。
  2.  「僕」は東京に進学してほどなく、中央線の車両内で「親友の元カノ」にばったり再会し、電車を降りて二人であてもなく歩きながら、途切れ途切れに話をした。それ以来、土曜日には寮のロビーで「彼女」からの電話を待ち、日曜日には「死んだ親友の元カノ」とデートをするようになった。しばらくして、「彼女」の二十歳の誕生日に、「僕」はケーキを買って彼女のアパートに行った。その日の「彼女」は珍しくよく喋り、終電を気にして「僕」が帰ろうとしても、四時間も取り留めなく喋り続けた。「彼女」は話を終えると急に泣き出した。「僕」は慰めるように「彼女」の髪を撫でながら泣き止むのを待った。
  3.  その夜「僕」は、「彼女」と関係を持った。「彼女」が処女だったので「なぜ彼とは寝なかったのか?」訊ねたが、答えは返ってこなかった。それ以来「彼女」からの連絡が途絶え、「僕」は「彼女」に手紙を書いた。「彼女」から、大学を休学すること、京都の療養所に行くことを記した短い手紙が返信されてきた。「僕」は何百回と手紙を読み返し、土曜日には寮のロビーで時間を潰した。
  4.  あるとき「同居人」がインスタントコーヒーの瓶に螢を入れて「僕」にくれた。僕は瓶を持って寮の屋上に行き、微かに光る螢を眺めた。「僕」の記憶が間違っているのか?思い込みのせいか?自身を囲む闇が深すぎるせいか?螢の光は弱って死にかけているように感じた。「僕」は瓶のふたを開け、螢を外に置いた。螢は自分の状況がうまく把めないようだった。螢はうずくまり死んだように動かなくなった。「僕」はいつまでも待ち続けた。

 

問題の抽出 「死」に捉えられた主人公

 結局、螢は飛び立つのですが、省略しました。こちらは著者の表現を原文で味わっていただいたほうがいいと思いました。

「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」

 こちらは著者の作品を読んだことがない人でも知っている、有名な一文だと思います。「ノルウェイの森」の主題は別にありますが、短編ではこちらがテーマです。

 葬式や仏壇やお墓、また宗教における死後の世界観や死生観といったものは、「死者のためにあるのか?それとも生者のためにあるのか?」と考えると、「死」は常にこちら側です。 

 

死んだ親友の元カノとのデート

 「彼女」の願いは、「親友(元カレ)の自殺」を「僕」と共有し乗り越えたいのかもしれませんが、「僕」は「深刻に考えまいとしていた」ので、頼りになりません。そして、「彼女」と会えなくなり「自分の状況がうまく把めな」くなります。 

 

関連する作品 

ノルウェイの森』との違い

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本作と『ノルウェイの森』との違いを考察するとキリがないのですが、分かりやすいのが下の文です。

 

”「二十歳になるなんてなんだか馬鹿みたいだわ」と直子が言った。「私、二十歳になる準備なんて全然できてないのよ。変な気分。なんだかうしろから無理に押し出されちゃったみたいね」”ー『ノルウェイの森(上)』P.71

 

 これらの表現が小説全体に及んでいて、短編にはない(隠されている)ので、エピソードを共有する別物です。系統としてストーリーの関連性を持ちます。

 

『めくらやなぎと、眠る女』と対になる作品

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短編集「レキシントンの幽霊」のイントロダクションで、『螢』については「系統として、『ノルウェイの森』とのストーリーの関連性を持つ」と著者が語っています。一方で、『めくらやなぎ』については、『ノルウェイの森』とはストーリー上の直接的な関連性はないとしています。

 また、「『めくらやなぎと、眠る女』は『螢』と対になっている。」とも語っていますので、「物語を通じて著者が描きたかったナニか?」を読もうとするならば、参照すべきは『めくらやなぎ』です。

エンタテインメントとして物語(ストーリー)を純粋に楽しみたい方は別ですが、物語はあくまで入れ物で、読者を連れていくための乗り物(電車)です。著者が描こうとしているのは、乗り物(ストーリー)ではなく、その中身です。

 

全力考察 読者のプロットが全て

 今回はプロットを上手くまとめられたので、私がどのように考察したのか?プロットによく表せたと思います。まだ少し長いので、もっと短くまとめたいのですが、ギリギリです。

 あくまで「読者のプロット」ですので、「著者のプロット」とはイコールになっていません。「あらすじ」は著者の主題を無視してテクニカルにストーリーを抜き出せば誰にでもできますが、論理の展開である「読者のプロット」も著者の主題は無視して、独自に主題を抽出すれば可能です。

 もちろん、「著者の主題」=「読者の主題」となっているのが理想です。しかし、「自分の偏った読み方を論理的に表す」ことで、第三者が私の読み方を論理的に否定できる状態にすることが、「考察」だとも思っていますので、私は個人的な誤読を恐れません。

 

まとめ 回想からはじまり戻ってこれない

『螢』も『ノルウェイの森』も、主人公が昔のことを思い返す「回想」で物語がはじまっています。ですが、両方とも現在には戻ってこず、主人公は昔の想い出の中で自分の居場所を見失い迷子になって終わります。

 スッキリしない話ですが、現実ではどうでしょう?全てのことにキマリを着けて前に進んできた人間なんているのでしょうか?「あのときから迷子になってしまっている自分」を救い出せるのは他の誰でもない自分自身しかいないのかもしれません。

 そして、「自分であっても過去の自分は救えない」とするのが著者のスタンスです。

 

 自死を選んでしまった人間の魂はどうなるのか?分かりません。しかし、亡くした故人を悼み、彼らの冥福を祈ることは、自分の心の中の天国で彼らがそこに暮らすことを想像することは、私たちにとっての幸が大きいです。

 しかし、ミッション系の品の良い女子高に通っていた「彼女」は、地獄に落ちた「彼」しか想像できません。地獄とは何処のことでしょうか?

 村上春樹作品ではミッション系の学校に通った女性は不幸な運命をたどります。これには著者の意図とメッセージが読めます。