パスタを茹でている間に

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考察・村上春樹著『シェエラザード』 やつめうなぎ的な主題

短編集「女のいない男たち」より、『シェエラザード』を考察します。社会との関わりを絶って「ハウス」で隠遁生活を送る男性・羽原と、その彼を支援する「連絡係」の女性・シェエラザードの物語です。

 

シェエラザード (HARUKI MURAKAMI 9 STORIES)

 

 

四段プロット あらすじの代わりに

  1.  羽原は31歳の男性で、理由は明らかになっていないが「ハウス」と呼ばれる単身住居で隠遁生活を送っていた。新聞もネットも無く話し相手もいない場所で、四ヶ月間も外出せずに暮らしていた。羽原は顔の印象を変える目的もあったが、退屈しのぎのために髭を伸ばし始め、他には読書や映画DVDで時間を潰したが、テレビ番組はある理由から見なかった。
  2.  食料や生活に必要な物品については「連絡係」の女性(35歳)が週2回のペースで補給してくれた。彼女が手際よく補給品を所定の場所に片付け終わると、どちらが言い出すでもなく二人はベッドに移動し性交をした。セックスが終わると女性はベッドに横になったまま「不思議な物語」を羽原に聞かせたが、話が佳境に入ると「続きはまた今度」と切り上げて帰っていった。
  3.  羽原は名前を聞かされていない「連絡係」の女性を「シェエラザード」と仮称し、彼女の訪問を日記に付けた。ある日彼女は、「私の前世はやつめうなぎだった」と語り、ある日には「高校時代、片想いの男子生徒の家に無断で侵入し、鉛筆や洗濯前の彼のシャツを盗んだ」ことを告白し、ただの空き巣にはなりたくなかったので、代わりに自身の持ち物(未使用のタンポンや、髪の毛3本)を彼の部屋に隠してきたと語った。
  4.  三回目の空き巣に入ったとき、彼女は彼の部屋の押し入れにポルノ雑誌が隠されているのを発見する。彼女はその事を嫌悪するのでもなく、普通の十代の男の子の一人に過ぎないことを知りほっとする。他の誰も知らないであろう「彼の翳り」を知ったことをきっかけに、彼女の中にあった熱病が治まっていった。

問題の抽出  

「ハウス」 羽原は何から逃げて隠れているのか?

 羽原はいったい何から逃げているのか?なぜ隠れているのか?短編では明らかにされていません。著者が書かなかった内容を勘ぐっても意味がありません。それはただの設定・環境としてあるのみです。人間は社会的な生き物ですので「自分とは何者か?」考えるとき必ず他人との関係性の中に自己を見いだす必要があります。外界との繋がりを絶つことで、”おれ自身が孤島”という、他者の介在を必要としない純粋な個人を取り出すことを目的(思考実験)にしていると読みました。

 

やつめうなぎ的な主題 

 やつめうなぎの生体は大変面白く、ウナギとは名ばかりの水中を漂う寄生生物です。目はほとんど見えず、顎がなく口が吸盤になっていて魚などに吸い付いて寄生します。四肢動物の四肢の起源となったとされる鰭(ヒレ)が無く、進化の途中の古代生物?なので、骨格も未発達です。生物として必要なものの多くが未発達で、まともなのは消化器系のみで、ほぼほぼ「水中を漂う腸(消化器)」です。

 また、一匹のメスは複数のオスと数十回、多いときでは100回以上も交配するのですが、その多くが疑似交配で卵を産みません。(オスは疑似交配でも精子を放出)自然界において、生殖を目的としない性交を行うのはヤツメウナギと人間ぐらいではないでしょうか?

 

「愛の盗賊」の時代 ピカソの「青の時代」

 「やつめうなぎ的な文脈は、赤ん坊として胎内にいたときと同じで、言葉に置き換えることができない」とするシェエラザードですが、彼女は他人の留守宅の素晴らしさは「そこは世界でいちばん静かな場所で、自分がやつめうなぎだった頃に立ち戻らしてくれる」と語ります。やつめうなぎの本分はとてもシンプルで、獲物から吸収することと、子孫の繁栄です。



関連する作品 やつめうなぎ の意味

 

「内臓が生みだす心」

”心肺同時移植を受けた患者は、すっかりドナーの性格に入れ替わってしまうという。これは、心が内臓に宿ることを示唆している。「腹がたつ」「心臓が縮む」等の感情表現も同様である。高等生命体は腸にはじまり、腸管がエサや生殖の場を求めて体を動かすところに心の源がある。その腸と腸から分化した心臓や生殖器官、顔に心が宿り表われる、と著者は考える。人工臓器の開発で世界的に著名な名医が、脊椎動物の進化を独自に解明し、心や精神の起源を探る注目作。”ー「内臓が生みだす心」紹介文より

 

”色彩の好みも、食物の好き嫌いも、色情の好みもすべては、腸管の吸収と排出能力の好みなのです。考えてみると、視覚・嗅覚・触覚・聴覚・味覚といった脳の出先器官も、実際には鰓腸(さいちょう・鰓(えら)を形作っている腸)の支配下にある腸の付属装置ということなのです”ー「内臓が生みだす心」P.30

本書では著者の研究である「ネコザメの陸揚げ(水棲生物を人為的に陸生に促す)」を観察することで、進化の過程で起こったことを考察しています。他にも脳を持たないホヤや、卵巣を持たずに腸の周りに卵を抱えるヌタウナギ、体のほとんどが腸管であるヤツメウナギの生殖行為についても触れています。

「独立器官」 ヤツメウナギ的な腸内細菌の要求

while-boiling-pasta.hatenablog.com

同短編集に収められている「独立器官」や「木野」などは、単体では扱えず短編同士で互いに補完しあう関係(パッケージ)だと思っています。順番も不親切で、「木野」→「シェエラザード」→「独立器官」と収録順とは逆に読んだ方が、「人間が進化の過程(理性)で抑え込んだ原始的で根元的な欲求」が見えてきます。面白い仕掛けです。

 

全力考察 現実を無効化する特殊な時間

著者のメッセージ・主題はとても分かりやすく書いてあります。

 

”現実の中に組み込まれていながら、それでいて現実を無効化してくれる特殊な時間。それが女たちの提供してくれるものだった。そしてシェエラザードは彼にそれをふんだんに、それこそ無尽蔵に与えてくれた。”ーP.222

上述の内容を読者と共有するための物語なのですが、共感できましたでしょうか?別の表現でも言い換えられています。

”自分が別の世界にいて、あるいは別の時間にいて、ヤツメウナギであったならーーー羽原伸行という限定された一人の人間ではなく、ただの名もなきやつめうなぎであったならーーーどんなによかっただろう”ーP.214

 

テレビや新聞やインターネット、他者との関わりの中で受けとる物語があります。しかし、進化の過程を経て失われつつもありますが、自身の内側から沸き上がる根元的で「ヤツメウナギ的な」物語もあります。しかしそれらは言語化されていないメッセージなので脳との間に齟齬が生まれ、私たちは「無意識」というカゴの中に無造作に放り込んでしまっています。

 

まとめ 現実に組み込まれた私はどこまでが本当の私か?

最近になって、腸脳相関だったり腸内フローラだったり腸活だったり、腸の重要性が認識されはじめました。今までは頭で考え、心で感じていたと思っていました。健康に気を使って、食べ物には注意しているのですが、無性にジャンクフードを食べたくなるのは腸内細菌の要求なのかもしれません。彼らのメッセージは言語化されていない信号なのでタチが悪いです。

みなさんは昨日のお昼御飯は何を食べましたか?それは本当に自分の食べたいモノでしたか?それとも…。