考察・村上春樹著『土の中の彼女の小さな犬』
短編集「中国行きのスロウ・ボート」より、『土の中の彼女の小さな犬』を考察します。主人公はインタビュー記事やルポを書いているライターで、宿泊先のホテルで知り合った女性にコールド・リーディングを行う話です。
コールド・リーディングとは、インチキ占い師の用いる手法で、会話と観察によって事前情報無しに相手のことを言い当てる読心術のようなものです。
四段プロット あらすじの代わりに
- 主人公はライターで、一人で高級リゾートホテルに連泊していた。そのホテルは有閑階級が長期宿泊に利用したような古いタイプのホテルだった。主人公はちょっとしたトラブルをきっかけに、二年三ヶ月付き合ったガールフレンドと喧嘩したばかりだった。3日間も雨が降り続き、なにもすることがなかった主人公はホテルの図書室で一人の女性と知り合う。
- 二人はロビーに場所を移してコーヒーを飲みつつ、主人公は「ゲーム」と言って彼女の推察を始める。彼女が「東京から来たのではない」という言葉から、主人公は彼女が以前に東京に住んでいたことを言い当てる。続いて彼女の言葉のイントネーションから、西側に住んでいることを言い当てる。次に結婚指輪をしてないことから独身であることを確認し、ピアニスト特有のタッピングの癖からピアノをやっていることを推察する。彼女も「ゲーム」を楽しんでいる様子だった。
- 子どもの頃からピアノを習っていることを知った主人公は、裕福な家に育ったことを想像し、「庭に関するエピソードはないか?」と訊ねる。彼女の思い出したくない過去に触れてしまったようで、「ゲーム」は終了する。ビールを飲んでから二人はそれぞれの部屋に戻った。夕食後、主人公が部屋に戻るとドアの隙間にメモ書きを発見し、先程の女性から夜のプールへ誘われる。二人はデッキチェアに腰かけて、彼女は庭に埋めた愛犬のことについて語りはじめる。
- 彼女は八歳の時にマルチーズを飼い始め、八年後に彼が死んでしまったときに家の庭に埋めた。そのとき、悲しみを表すために、一緒に遊んだボールや、彼女のお気に入りのものと共に、銀行の預金通帳も一緒に埋めた。その後、彼女が17歳の時に親友から、「家計苦で授業料も払えない」と相談を受け、少しでも足しになればと庭を掘り返す。彼女はその行為に全く怯えていない自分に驚きながらも、通帳を取り出す。結局、通帳は匂いが浸み込んでいて使い物にならず焼いて捨てた。だが、その匂いは彼女の手にも浸みこんでいて、いくら洗っても落ちなかった。
問題の抽出 ケンカ中のガールフレンドと墓荒らし
とても不思議な短編です。メインは「愛犬を埋めた庭を掘り返した」になるのですが、「ケンカ中のガールフレンド」と「古いままのホテル」とを結びつける読み方を探さなければなりません。
ケンカ中のガールフレンド
主人公は毎年、ガールフレンドを連れてホテルに宿泊していますが、ガールフレンドは二年単位で変わっているようです。ケンカ中のガールフレンドは「3ヶ月も余分に付き合っている」と振り返り、ウイスキーやレコードなんかとガールフレンドを同列に置き、「気に入ってる」としています。そして、新しいガールフレンドを探すのを面倒に思いながら、宿泊先からガールフレンドに何度も電話をするのですが繋がりません。
古いままのホテルが好き
主人公は古いホテルに愛着があります。設備にはガタがきていて、調度品も時代遅れ、建物自体にも改築が必要な時期になっていました。しかし、主人公は「改築の時期が少しでも先に伸びることを望んでいた」と思っています。私は、「新しいものを受け入れたくない」「現状を維持したい」とする主人公を、ホテルに象徴させていると読みました。
彼女が掘り返した庭
本作のメインは「彼女が掘り返した庭」となるのですが、その「過去を掘り返した主人公」として、二段階の掘り返しがあります。彼女の動機には「親友のピンチ」があるのですが、主人公は「ゲーム」でした。
全力考察 墓荒らし
私が考察しやすいように、また、私の結論に向かって読者のプロットに書き直しています。なので、主人公に邪悪なモノを感じるかもしれませんが、テクスト自体はとてもフラットで、特別に悪そうな人物には描かれていません。
「過去の中に生きようとする人間は、時に他人の墓を暴いてしまう」という読み方をしました。そのとき、悪意が無いのはかえってタチが悪いです。
まとめ
誰にでも「蓋をしてしまいたい過去」はあろうかと思いますが、過去に起こった事実を変えることはできません。しかし、過去に起こった出来事の意味や捉え方については、私たちは日常的に改編してしまいます。良くも悪くも。