パスタを茹でている間に

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村上春樹著『アフターダーク』のあらすじとプロット ネタバレの是非

最近は投稿ペースが落ちてきたせいか、アクセス数がはてなブログ内よりもGoogle検索からの流入が上回りました。特に頑張ってくれているのが『アフターダーク』の記事です。この作品は著者の長編小説のなかでも私がいちばん好きな作品なので、とても嬉しいです。

色々な事情があり、長編についてはあらすじやプロットを書かないでおこうと思っていたのですが、実験的に記事にしてみることにしました。

 

 

以前書いた考察記事はこちらです。

 

while-boiling-pasta.hatenablog.com

 

 

 

あらすじ ストーリーの要約

ストーリーの要約である「あらすじ」は以下のようになります。

 

①マリと高橋 眠ることができないマリ

 (そして) 

②眠り続けるエリ 「アルファビル」に監禁されるエリ

 (そして)

③危険で不思議な深夜 眠りを奪われる現代人 

 (そして)

④叶わない願い 役割を演じ続ける部品

 

あらすじは大体こんな感じです。

一方で私のこだわりである「プロット」は「物語の統一性」を示すものであり、時に時間軸を無視します。「著者のプロット」=「読者のプロット」となっていることが理想ですが、あくまで私個人の読書体験なので、間違っていても構いません。

 

プロット 物語の統一性

眠り続けるエリ

主人公のマリの姉・エリは21歳のミッション系私立大学に通う学生。雑誌のモデルをしていて、テレビのアシスタントガールや小さなCMにも出演していた。二ヶ月前に「これからしばらくのあいだ眠る」と宣言し、眠り続けるようになった。生命維持に必要な最低限のことを除き、食事・トイレ・シャワー以外の時間は眠り続けた。医者にも見てもらったが理由は分からなかった。マリはそんな姉が同じ屋根の下で暮らしていることに耐えられなかった。

 

マリと高橋

(だから)

主人公のマリは19歳で外国語大学で中国語を学んでいる学生。こんこんと眠り続ける姉を思うとうまく寝付けず、深夜の街へ繰り出した。しかし行く当てもなく、デニーズでコーヒーを飲みながら本を読み時間を潰していた。そこに高橋がやってきて、マリに声をかける。高橋は大学生でバンド仲間とジャズの練習を約束していて、待ち合わせの時間調整だった。高橋は以前、友人とエリとでダブルデートのようなものをしたときに、用事で来れなくなった女友達の替わりにマリが来ていたことを覚えていて、強引に相席した。高橋はマリに姉の近況を尋ねるも、話は弾まず、練習へと向かった。

 

危険な深夜

(だから)

読書に戻ったマリの元に、高橋の知人のカオルが助けを求めてやってくる。カオルはラブホテルの雇われ支配人をしていたが、中国人売春婦が客から暴行を受け、助けてあげたいが言葉が通じなくて困っているとのことだった。通訳を引き受けたマリはカオルに連れられてホテルに向かい、問題を解決する。その後マリは高橋やカオル、カオルの同僚のコムギ・コオロギとの交流のなかで、社会の不確かさを教えられる。また、自分と同い年の売春婦を不憫に思いながら、マリの直ぐ近くで繰り広げられる、暴力や売春などの社会の暗部を回避する。

 

本当の願い

(だから)

マリは本来は家で眠っていたであろう時間のなかで、夢の中で無意識からのメッセージを受け取っている時間のなかで、理性が弱まり人間の欲望がぶつかり合う時間のなかで、自身の本当の願いに気付く。マリは深夜の不思議な出来事を通して、かつての仲が良かったころの姉妹を思い出す。家に帰ったマリは眠り続けるエリに添い寝して、彼女の耳元に「エリ、帰ってきて、お願い」と自身の本当の願いを囁く。

 

本を読む本 私の読書法


私の読書法は下記の本を基本にしています。基本的に学術書や新書を読むための読書術ですので、文学の読み方はおまけ程度にしか書かれていません。

 

『本を読む本』

 

「物語の統一性は常にプロットにある」

”作品全体の統一性を把握すること。それができたかどうかは、その統一性を一つか二つの文に表現してみると分かる”ー「本を読む本」P.204

 

”小説の時間は、物語の順序とは違うから、プロットをおうためには、まず、発端はどこかをさがし(常に第一ページとは限らない)、さまざまの曲折を経てクライマックスにいたるまでの過程、クライマックスがいつどんなふうに起こるか、また、そのあとに何が起こるかをみていかなければならない。”ー「本を読む本」P.205

ネタバレに対する配慮

タイムパフォーマンス重視

最近は若い人たちのなかでタイムパフォーマンスを重視するあまり、映画や小説をネタバレサイトでオチまで確認した上で、鑑賞・購入する人たちもいるそうです。

知る権利?

もちろん「個人の自由だ」となるのですが、制作者や著者に対価を還元するチャンスをネットが妨害している側面も無視できません。書評や紹介記事については消費を促す効果もありますが、考察を主とした場合、ネタバレを前提とするため購入意欲を削ぐ可能性があります。

ならばどうやって考察するか?

この問題に私個人としては未だに結論を出せず、

 

①長編小説については「あらすじ」を書かない。(wikiにまかせる)

②短編小説についてはエンディングを書かない。

 

という、個人的なルールを設けてみましたが、正直ブレブレで定まっていません。

唯一の救いは「村上春樹の作品は読者によって受け取り方が異なる」ということです。

 

①長編小説については少なくとも一回以上読んだ人じゃないと分からない記事にする。

②短編小説についてはオチ(エンディング)を省略し、未読の方に興味を持っていただけるような記事を心がける。

 

というのが、私のスタンス(言い訳)です。

 

「それってあなたの感想ですよね?」

「100人が読んだら100通りの感想・考察がある。」というのが、私の逃げ道なのですが、結論は出さずに試行錯誤していきたいと思います。

ちなみに、戯曲のプロローグでは上演の前に最後のオチまで含めて観客にネタバレをしてから劇が始まることもあります。私の好きなシーンを貼っておきます。

 

恋におちたシェイクスピア」より、前口上


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