パスタを茹でている間に

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考察・村上春樹著『アイロンのある風景』 アウトサイダーはアイロンを神聖視する

短編集『神の子どもたちはみな踊る』より、「アイロンのある風景」を考察します。本短編集は連作『地震のあとで』をまとめたものに、書き下ろし作品を加えたものになってます。著者の短編のなかでも特に人気の高い『蜂蜜パイ』と『かえるくん、東京を救う』が二つとも収録されています。

 

 

四段プロット あらすじの代わりに

  •  順子は高3の五月に父親の金を盗んで家出をした。でたらめに電車を乗り継ぎ、茨城の海岸の名前も聞いたことのない町にたどり着いた。順子はそこでコンビニの店員になり、ほどなくふたつ年上の大学生・啓介と同棲を始めた。同じ頃に、一日に何度もコンビニに訪れる常連客の三宅さんとも親しくなった。順子は、毎日何度も来店する三宅さんになぜ買い置きしないのか?尋ねると、「冷蔵庫が嫌いで家に置いていない」とのことだった。
  •  三宅に興味を持った順子は、数日後、彼が海辺で焚き火をしているのを見かける。三宅は焚き火好きとして近所で知られていた。簡単な挨拶だけして焚き火に加わると、順子はすっかり火に魅せられる。三宅は40代半ばの画家で、いつも同じような格好をしていて、こまめに洗濯されているようだが、チノパンの形は崩れていた。順子は、あらゆるものを受け入れ、呑みこみ、赦していく炎の中に、「本当の家族のあり方」のようなものを見た。
  •  以来、順子は三宅の「焚き火フレンド」になり、準備が整うと連絡をもらえるようになる。ある二月の夜の12時、順子は三宅から連絡を受け啓介と共に浜へ向かう。火が着いてしばらくすると啓介はお腹が痛いと先に帰ってしまう。三宅が地震の話題を避けたことから順子は、三宅の家族が神戸に居ることを言い当てる。三宅は家族のことを話す代わりに、自分が「冷蔵庫に閉じ込められて」死ぬ予感に苦しんでいる悪夢について語る。
  •  三宅はジャック・ロンドンという小説家を引き合いに「死に導かれる生き方」を語る。三宅はどんな絵を描いているのか?気になった順子は尋ねると、最近では「アイロンのある風景」だと返ってきた。しかし、アイロンは実はアイロンではなく、何かの身代わりとしてあるとのことだった。順子は三宅の肩にもたれかかり、彼の衣服に染み込んだ焚き火のにおいを吸い込んだ。順子は彼の衣服に染み込んだ何百もの焚き火のにおいを吸い込み、泣き出した。

問題の抽出 アイロンってなんだ?

エンディングは省略してあります。エンディングこそ重要なのかもしれませんが、余韻のある終わらせかたは、ある意味テクニックなので、今回は無視しました。
 ジャック・ロンドン、『焚き火』、「死に導かれる生き方」から、三宅をアウトサイダー(局外者)として、考察します。コリン・ウィルソン著『アウトサイダー』は手元にあるのですが、良く分からなかったので、ヘルマン・ヘッセの『荒野のおおかみ』からアウトサイダーを定義します。

アウトサイダーとは、

 自分の死に方として、自殺がもっともふさわしいと思っている
 「我の保存」を優先する「市民的なもの」から離れようとする
 「我の保存」ではなく、「自己の完成」を目指し苦悩する
 平穏な社会を羨みながらも、はみ出した生き方しか出来ない
     ーヘルマン・ヘッセ著『荒野のおおかみ』より

また、C・ウィルソンによると、社会が混乱することなく平穏を保っていられるのは、少数ながらもアウトサイダーが一定の割合で分布しているからだとしています。
荒野のおおかみ』の主人公(アウトサイダー)は、近所の人が玄関先で育てている「観葉植物」を、清潔で善良な市民性の象徴として神聖視しています。

三宅(アウトサイダー)の場合は「アイロン」を、「かつて自分の所属した市民性の象徴と見ている」と読めなくもありません。
アウトサイダーは訳あって、あるいは、自ら進んで、市民や社会の外側で生きることを余儀なくされているのですが、自身の手放した平穏な世界を敬いながらも遠ざけます。
三宅の場合、「悪夢を見ている自分」から家族を守るために、家族から離れたのか?あるいは、家族を捨てたから「悪夢に苦しむ」のか?分かりません。しかし、芸術家がそのような傾向を持つことは、何となく理解できます。

関連する作品 アウトサイダー

本来、ひとつの作品を読むには、そのテクストと向き合うのみなのですが、私はジャック・ロンドンを知らないので、参考文献を使った読み方をしています。

 

 

 

 

村上春樹作品における「アイロンがけ」

村上春樹作品では「アイロンをかける」ことで、主人公が心の平静を取り戻そうとする描写もあります。また、混乱・変化を嫌って「髭剃り」「芝生刈り」などで、自分を保とうとします。

”頭が混乱してくると、僕はいつもシャツにアイロンをかける。昔からずっとそうなのだ。(中略)「何してたの?」「アイロンをかけてた」「何かあったの?」その声には微かな緊張の響きが混じっていた。僕が混乱するとアイロンがけをするというのをちゃんと知っているのだ。”ー『ねじまき鳥クロニクル 上巻』P.13~14

 

全力考察 私はどんなときに泣くべきか?

自身の心を暖めるべく、焚き火を繰り返し、そのにおいを染み込ませた男の衣服は、ときに自己の空虚感に苦しむ少女を泣かすことが出来る。

まとめ 私の心は正常か?

連日繰り返されるウクライナのニュースを見て、

「私は本来ここで、声をあげて泣くべきじゃないか?」と思ったりもします。

しかし、朝の出勤の準備をしながらだったりするので、そんなことをしている時間はありません。
私がいつものように生活できるのは、私の心が強くなったからなのか?それとも心が本来持っていたナニかを損ない、うまく泣けなくなったのか?自分では判断がつきません。

本短編集の英訳版は、『after the quake』(地震・震え・揺れ のあとで)になっています。