パスタを茹でている間に

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🔍️ 「村上春樹 気持ち悪い」 で検索!

 最近になって、ごく数件ではありますが、Bing検索からの流入を確認できました。結構新しい記事もクリックしてくれているようでとても嬉しいです。

 気になったのが、「村上春樹 気持ち悪い」というキーワードの検索でインプレッション数が伸びていることでした。(クリックはゼロです。)

なので、著者の「気持ち悪さ」について考えてみようと思います。 

 

 

性描写が気持ち悪い

 まず、圧倒的に性描写について嫌悪感を抱く方は多いと思います。

 著者の青春時代は、ヒッピームーブメントに見られるような、旧来の貞操観念を壊し、性解放の時代でもありました。ジョンとヨーコの「ベッド・イン」は反戦を訴えるものでした。

 また、著者のセックスシーンについては、「本能・根元的な欲求・本当の自分・無意識」など、主人公が自覚できていないナニか?を引っ張り出すための儀式として用いられていることが多いように感じます。

 (そのとき、女性が都合良く「キッカケ」として利用されていることについては、多少は「女性蔑視」の非難を受けて当然だとも私は思います。)

 

オシャンティーな台詞が気持ち悪い

 「ナウでヤングでトレンディの時代」のモノを今読めば、当然そうなります。当時は「ガツガツした人達」ばかりだったのに対し、著者は同調できず冷めた感覚でいたようですが、その様子が「気取ったクールな態度」になるかもしれません。

 

主人公がやたらとモテる

 以前に他の記事でも書きましたが、著者の作品では「確固とした目的意識を持ち、主体的に行動する」主人公ではなく、ふとしたきっかけから「事件や出来事に巻き込まれる」主人公が多く、閉じ籠っている主人公に対して向こう側からアプローチしてくれる存在がいないと、物語が前に進みません。

 

皮剥ぎボリスや猫殺しが気持ち悪い

 「メインストーリーと関係なく過去の戦争の話が挿入される」と批判される著者ですが、著者のテーマは常に戦争です。戦争の代わりに皮剥ぎや猫殺しがあるので、読者が強い嫌悪感を抱くのは、著者の狙い通りです。

 ただし、その嫌悪感を著者に向けるのは筋違いです。著者は意図的に読者を不快にさせようと構想し、そのような物語を描いているので、著者の意図を理解するまで(主題を読むまで)、批判をするのはマナー違反です。

 

ハルキストが気持ち悪い 

 「ハルキストはモラトリアムを延長し、ナルシスティックな喪失感に酔っている」とも非難されますが、ハルキストを擁護するなら、

 「自分が前に進むために、(無自覚に)自ら捨ててしまったモノはなんだろう?」

 と、常に自問しているのが、ハルキストの態度だと思います。そのような慎重な態度を持つ人が、一定の割合で存在することは、柔軟で豊かな社会である証拠だとも思います。

 また彼らは、カオスの中に身を投じても、不思議な出来事からその真意を捉えないまま、楽しむ感性を備えます。

 

分からないことが気持ち悪い

 アンチにとって楽しめない物語が「世界中で売れている」という事実は、「自分の理解力・感性が劣っているのか?」という疑心暗鬼を生みます。人は誰しも、自身にとって理解不能な物事に、不安や嫌悪感を抱きます。

 しかし著者は、「不思議な夢を見た」というような読後感を狙っているので、そもそも分かりやすく書いていないと思います。

 それは、私たちが眠っている間に見る「夢」が、私たちの心の調整をしてくれているようなことを、「物語」に期待しているのだと思います。

 

 「分からない」と言ってみる代わりに、「気持ち悪い」と切り捨てる方が、自尊心を保てます。

 

結論 「分からない」 = 「気持ち悪い」

 

 それは、著者が心血を注いで「分かりにくい物語」を描いているからなので、「気持ち悪く」て当然です。