パスタを茹でている間に

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チェーホフ著『ワーニャ伯父さん』と村上春樹著「ドライブ・マイ・カー」

今回はチェーホフの『ワーニャ伯父さん』をご紹介します。本当は記事にするつもりはなかったのですが、面白かったので単体で取り扱うことにしました。本当は当時のロシアの情勢や、結婚事情、恋愛観など内容が盛りだくさんの悲劇ですが、今回はただ一点、村上春樹著「ドライブ・マイ・カー」との繋がりについて考察します。

 

 

ワーニャ伯父さんのあらすじ

「ワーニャ伯父さん」を要約するのは難しいですが、頑張ってあらすじをまとめたいと思います。

  1.  舞台は19世紀の終わりごろのロシア。ワーニャ(47歳)には妹がいて、25年前、妹は都会に住む大学教授と結婚した。その際にワーニャ兄妹の父(枢密院議員・三等官)は借金をして田舎に領地を買い、結納金代わりに妹の名義にした。婿である教授に対するワーニャの家族の態度は崇拝に近いものがあり、仕送りなどをして支え続けた。ワーニャの父は借金を残して亡くなってしまうが、ワーニャは妹の領地・屋敷を守るために土地の相続権を放棄し、借金だけを背負って領地の経営に尽力し、婚期も逃してしまった。(実質的に領地の経営はワーニャの家族。) 
  2.   教授夫妻は娘・ソーニャをもうけるが、婦人(妹)は10年前に急逝してしまう。(「ワーニャ伯父さん」は姪のソーニャから見た伯父さん)その後もワーニャの家族は教授を支え続けるが、ソーニャは都会を離れ、ワーニャの元で仕事を手伝っていた。(ソーニャはおそらく母の死をきっかけに移住した。) 教授はその後、後妻・エレーナ(27歳)を娶り、定年で教授職を辞めて収入が減ったのを機に、都会での生活を諦めてワーニャ家族の屋敷へ夫婦で隠居してくる。
  3.  高齢の元教授はリウマチやら痛風やらで昼夜を問わず喚き散らし、ワーニャたちの生活を掻き乱した。屋敷には10年来の親交のある医師・アーストロフ(40歳手前)が出入りしていたが、老教授は病気を看に来た医師に対しても悪態をついた。ワーニャや屋敷の下働きは老教授に愛想を尽かすが、ワーニャの母だけは崇拝し続けた。かつては働き者だったワーニャは、老教授に振り回されつつ、美人の後妻・エレーナに恋心を抱き、仕事が手につかない。
  4.  ワーニャはエレーナにアプローチするが無下に断られる。医師もエレーナに想いを打ち明けるが、同じく断られる。しかし、エレーナは医師に対してはまんざらでも無い様子。そして、ソーニャは医師に6年間の片想い中。(ソーニャの現年齢は不明だが、少なくとも継母よりも下で、結婚適齢期。)そんな中、元教授が「領地を売り払ってフィンランドに別荘を買う」と提案したので、領地はソーニャが相続すると思っていたワーニャは激昂する。

問題の抽出 幸せはどこにあるのか?

 全体的になかなかのカオスです。
 ワーニャの家は三等官のかなりの貴族です。しかし、土地が悪いのか領地(荘園のようなもの?)経営は厳しいようです。教授を婿に取りさらなる発展を望んだようですが、教授は現役を退くと過去の人になっています。当時としては最先端?の写実主義自然主義を研究していたようですが、人々の暮らしを良くする学問ではありません。
 あらすじでは省略しましたが、医師・アーストロフは環境問題に熱心に取り組んでいて、植林をしてみたり、無秩序な森林伐採に懸念を抱いています。また、農家の暮らしぶりや無学からくる貧乏と病気に関しても、医師の悲観的な愚痴で紹介されています。
 ソーニャは複雑な人間関係を仲立ちし、誰に対しても公平で優しいです。金目当てと揶揄される継母に対しても、恋愛相談を持ちかけるなどして、花を持たせます。激昂し、取り乱すワーニャ伯父さんを優しくなだめるのもソーニャです。周りに尽くし、時に頼ることで皆の良い面を引き出し(計算無しで)ますが、家族はバラバラになってしまいます。

 他にも色々とあるのですが、こんな感じの盛りだくさんの内容です。しかし、私が注目したのはあらすじの抜き出し方からも分かるように「ワーニャ伯父さんの生き方」です。
 人生のほとんどを労働に費やしています。生きることは働くことで、働き方が生き方です。
 

関連する作品

The Beatlesの「Drive My Car」

「Drive My Car」は古いブルースで、「性的関係の隠語」として使われているとのこと。しかし、村上春樹著「ドライブ・マイ・カー」とはあまり関係がなさそうです。無理に関連付けて読むことも出来ますが、「ワーニャ伯父さん」との繋がりが無くなってしまいます。

映画スターを夢見る女の子が、ボーイフレンドに軽口を叩いている歌です。


www.youtube.com

 

「私がスターに成ったらあなたを私の運転手にしてあげる♥️」
「でも、僕だって将来有望だよ?」
「安月給で働くよりも、もっと良いものを見せてあげる♥️」

 

こんな感じに「生き方=働き方」を話しています。
しかし、そもそもなんですが、村上春樹著「ドライブ・マイ・カー」のタイトルが、The Beatlesからの引用であることは著者は特に明言していません。(私の見落しかも知れませんが、)

Drive My Car」を聞いていると、曲の終わり頃に耳が「Norwegian Wood」のイントロを待っていますよね?♪

 

全力考察 働き方=生き方

「ドライブ・マイ・カー」と関連付けて考えると、「働き方=生き方」というのが、共有されているテーマです。老教授の提案によってワーニャの人生が全否定されてしまいます。
「ドライブ・マイ・カー」の家福の生き方は俳優として演じることなのですが、演じることは私生活にまで及んでいます。
こんなところを踏まえて、次回は「ドライブ・マイ・カー」を考察します。

まとめ 手段と目的

労働は幸福を追求する為の手段です。手段に「生き方」を捧げてはいけません。ハンドルを誰かにあずけることがあったとしても、目的地は自分で決めなきゃなりません。
能力が労働と直結し、能力の発揮がそのまま目的になっている幸福な人もいます。しかし、多くの人は自分の人生を時間単位で切り売りするしかありません。当然のことなのですが、当然なのでしょうか?