パスタを茹でている間に

村上春樹作品を考察しているブログです。著者の著作一覧はホーム(サイトマップ)をご確認ください。過去の考察記事一覧もホーム(サイトマップ)をご確認ください♪

考察・村上春樹著『タイランド』 石に変わる言葉

短編集「神の子どもたちはみな踊る」より『タイランド』を考察します。主人公のさつきは甲状腺の病理医で、世界甲状腺会議なる専門医が集まる会議に招かれており、今回の会場となったのがタイだったので、物語の舞台がタイになっています。

こちらの短編集は阪神淡路大震災をきっかけに執筆が始まった連作「地震の後で」が元になっています。

 

 

四段プロット あらすじの代わりに

  1.  さつきは47歳前後バツイチの病理医で、甲状腺に関する研究を行っていた。世界甲状腺会議がタイで4日間の会期日程で開催されることになり、会議に招かれていたさつきは知人の紹介でニミットという現地ガイドを雇い、リゾートでの一週間のバカンスも予定していた。皮肉なことに、自身も更年期をきっかけにホットフラッシュに悩まされており、ホルモン錠剤を常用していた。
  2.  ”結局のところ、医学の発達は人類の抱える問題をより多く浮上させ、細分化し、複雑化させただけではないのか?”さつきはそんな風に思いながらも休暇に臨んでいた。現地ガイドのニミットは60代で礼儀正しい英語を喋り、自己所有のベンツでさつきの送迎を行った。世間話の流れから、ニミットは神戸で起こった地震について、さつきの故郷である京都も近いのではないか?と気遣ったが、さつきは「神戸には知人はいない」と嘘をついた。さつきは高校時代に神戸に住むある男性と関係を持ち、堕胎を経験していた。(斜体部分は、短編内では明言されておらず、私の推察です。)
  3.  さつきは神戸に住むその男に激しい憎悪を抱いており、地震でその男が苦痛の中で死んでいくことを願っていた。さつきは高校卒業後、日本を離れ海外で学位を取得し、ボルティモアデトロイト甲状腺の免疫機能の研究を行っていた。アメリカ人の証券アナリストの男性と結婚するが、夫はアルコール依存の傾向が強くなり、浮気もしていた。三年前に離婚調停が終わりさつきは東京に就職先を得て帰国するが、弁護士を交えた激しい応酬のなかには「君が子どもをほしがらなかったことだ」との主張もあり、さつきを苦しめた。
  4.  さつきが望んでいることは完璧な休息であり、「なにも考えないこと」だった。ニミットの案内で本格的なラップスイミングができるプールに向かい、無心に泳いだ。帰国の前日、ニミットの紹介で田舎町にある占い師の老婆に引き合わされ、お告げを受ける。

 ”あなたの身体の中には石が入っている(中略)あなたはその石をどこかに捨てなくてはなりません。(中略)あなたは近いうちに大きな蛇の出てくる夢を見るでしょう。(中略)蛇は一見して恐ろしそうですが、害を及ぼす蛇ではありません。(中略)その蛇があなたの石を飲み込んでくれます。”ーP.139~140

さつきは不思議なお告げを聞いた後で、今まで誰にも話したことがなかった事について、ニミットに打ち明けようとする。しかしニミットはそんなさつきを制止する。「夢を待つのです。ドクター。言葉をお捨てなさい。言葉は石になります。」

 

問題の抽出 瞑想の手順の物語化

 プロットに書き直す際に取捨選択を行い、主題と結び付きが深そうなモノだけ抽出するのですが、今回はどれもが大切に思えて難しかったです。

  1. なぜ舞台がタイランドなのか?(ニミット)
  2. 「言葉は石になる」とはどういう意味か?
  3. なぜ「神戸の男」に憎悪を抱いているのか?
  4. なぜ甲状腺なのか?
  5. 全体として何を言いたいのか?(全力考察)

ニミットは何者か?

舞台がタイである理由については、ガイドであるニミットが重要になっています。ネットの論文からの引用ですが、

”「ニミット」は心の中に現れるイメージという概念が存在しているため、前兆、記号、原因、夢などの複数の意味”
ー論文「日本近現代文学におけるタイ表象の研究」ー九州大学学術情報リポジトリ ータナポーン, トリラッサクルチャイ より引用 

があるとのことです。また、語源となっていそうなニミッタは、仏教における瞑想中に現れる光の輪を指しています。瞑想中はこの「光の輪(ニミッタ)」を保ちながらも呼吸を意識することが重要とのことです。

石になる言葉

 「ヤバい」「エモい」「ムカつく」「アガる」などの感情表現があります。「最上級のエモい」から「そこそこエモい」まで、程度の差はあろうかと思いますが、使い勝手の良さから、複雑な私たちの心が一言に矮小化されてしまう危険もあります。
 また、就寝前の日記を習慣にし、心の整理を勧める方たちも居ますが、本来とらえどころの無いカオスな心を陳腐な言葉に言い換えてしまうことは、「無理に自分を納得させてしまう」方法でもあります。
 「自分の心は自分の使っている言葉で出来ている」は、ある意味真理です。

神戸の男に対する憎悪

 短編中では、何があったのかは明らかにされていないのですが、「子どもを欲しがらない」ことから、「望まない肉体関係の強要」があったのではないか?と推察されます。単純に、好きな男性との妊娠・堕胎の経験がトラウマになっているとも読めます。これは著者がうまい具合に明言を避けています。あくまで想像の域です。(「北極熊の交尾」のエピソードもありますが、本考察では省略しました。)

甲状腺の持つ意味

 著者がなぜ主人公を甲状腺の病理医に設定したのかが不思議です。しかしこの「なぜ?」は、物語の統一性を読み解くためのヒントとなります。主題と関係の無いエピソードや設定は不要です。ニミットの台詞に甲状腺の意味を見出すことが出来ます。

 ”これから先、生きることだけに多くの力を割いてしまうと、うまく死ぬることが出来なくなります。少しずつシフトを変えていかなくてはなりません。生きることと死ぬることは、ある意味では等価なのです。ドクター”ーP.142

北極熊と蛇と象とうさぎの夢

 他の短編とキーワードを共有しています。こちらの短編集のキーワードの共有の仕方はとても面白いので、いつか別記事にまとめてみたいと思います。例によって、いくつかのエピソードを省略したかたちで記事にしているのですが、単体で取り出してもとても面白いものばかりです。

 

関連する作品 フッサールの判断保留「エポケー」

ユキオ (id:Miyuki_customer)さんの記事を引用します。(勝手にすみません)

 

miyuki-customer.hatenablog.com


 私はこちらの考察が好きで、『タイランド』の再読にあたってもかなり参考にしました。ユキオさんはフッサールを引用しながら、私は瞑想をテーマにしながら、別々の視点・道具(概念)を用いながら読み解こうとしたのですが、着地点は似たようなところに落ち着きました。(私がモロに影響を受けているからなのですが…)

 ユキオさんは記事内で、「この世界にはもはや客観的事実は存在せず、私たち一人一人の視点の数だけ真実が存在する」と引用していますが、これこそが著者が物語に求めるものを体現していると思います。つまり、

 「著者の物語は読者によって想起されるモノが異なり、別々の読書体験をもたらす」

です。 

 

全力考察 言葉に拠らない内観

言葉はとても便利だが、心の内の全てを言葉に置き換えることは出来ない。言葉は細分化させ、複雑化するだけだ。人間は時に心のままに、瞑想や夢が導くままに自由にあるべきだ。

”生きることと死ぬることは、ある意味では等価なのです。”

ノルウェイの森」の有名な文を思い出します。

”死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。”

何も考えずに無心になって泳ぐことで呼吸を整え、ニミッタの導きによって自身の内側から沸き上がる夢を待ち、より良い生き方(=死に方)を目指すお話でした。

まとめ メディテーションがトレンド 

最近では瞑想がメディテーションと横文字になり、仏教とは離れたところでも流行になっているようです。仏教や瞑想に詳しい人たちからすると本短編はどのように読めるのでしょうか?

無心に何も考えずに泳ぐ様だったり、死に向かう準備だったり、ニミッタ「光の輪」をガイドに、言葉に拠らない内観を進めていく物語として読みました。

再読してみるとかなり面白い短編でした。短編集『神の子どもたちはみな踊る』はハズレが無いです。