パスタを茹でている間に

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考察・新海誠監督『すずめの戸締まり』と村上春樹作品との関係

 新海誠監督『すずめの戸締まり』を考察します。最近になって村上春樹著・短編「かえるくん、東京を救う」の考察記事へのアクセスが増えました。また、Google先生も強調スニペットで、キーワード「かえるくん、東京を救う みみずくん」での検索を、私の記事に誘導してくれているようです。

 これは、新海誠監督の最新作『すずめの戸締まり』で、ミミズが地震を起こすので、「かえるくん、東京を救う」との関連を調べているようです。

 新海誠監督は過去作でも村上春樹作品のオマージュが多いのですが、今回は『すずめの戸締まり』と村上春樹作品について、私なりに考察してみたいと思います。ちなみに私は映画は未鑑賞です。

 

 

 

『すずめの戸締まり』の主題

”建築物を建てるときは“地鎮祭”をしたり餅撒きをしたりするのに対し、使わなくなるときには何もしないですよね。

 人が亡くなったときはお葬式で故人を悼むけれど、大切だった場所が失われていく中で僕らは何ができるんだろうと。そこから「場所を悼む物語」という発想が生まれました。”ーファミ通.comでの新海誠監督へのインタビューより

 

 本作はこちらが主題となっています。簡潔に結論だけを言うと、

 「神社に詣でて、神様にお願いしたならば、ちゃんと結果の報告にもう一度来い」

となります。作中の物・人物に対応させると下記の通りになります。

 

ミミズ

 神様の「良いとこ取り」をしている人間に対する警告。神社でお守りを買ったのに返却(報告・お礼)しない人間に対する神の怒り。

 

宗像一族

 荒御霊(人間にとっては災いとなる神様の怖い側面)を鎮める一族。宗像三女神は出雲系に取り込まれ、袂を分かち独立し、その後高天原と共闘するのですが、それぞれのタイミングで名前が変わります。本作においては、一般人が向き合わない神様の側面と一身に向き合う家系です。

 

要石(ダイジン)

 荒御霊が人間に害・災い・祟りを起こさないように、押さえ込む役割。

 

後ろ戸

 シームレスに「あちら側」と「こちら側」を繋げてしまうと、観客が混乱するので、見る人が抵抗なく物語に入り込めるようにする緩衝材。こちらは監督の構想上の理由で作られたギミックです。

 

三本足の椅子

 八咫烏。こちらも宗像氏との所縁が深いのですが、宗像三女神は道の神様で、八咫烏は道案内の神様です。(アメノウズメ命の伴侶は猿田彦命なのですが、こちらも道案内の神様です。)

 

日本の神道の特異性

 日本の神道は、海外(特に一神教)の方達からするとかなり特殊です。神道が他の宗教とは大きく異なる点について、私なりにまとめてみます。

 

  1. 神様は善悪を超越し、人間に禍福をもたらす存在
  2. 神様の良い面(和御霊)から福を賜ろうとする
  3. 神様の怖い側面(荒御霊)を鎮め、ベクトルを真逆に変換し福を賜る
  4. 土着の信仰を保護し、鳥居を構えれば神道の系に含まれる

 

 等です。特に、3. については神道の極意で、朝敵(平将門公や菅原道真公など)も、その魂を丁重に祀ることで祟りを鎮め、日本の発展の礎となっていただくようにお願いしています。

 また、支配者(高天原・皇族・天皇家)は、土着の信仰(土産の神)を邪教として討ち滅ぼすことも出来たのですが、そうはしません。これは、土産(うぶすな)の神の祟りを恐れているのが一番の理由なのですが、神道では神道が形をなす前の土着の信仰を、神道の系譜に組み込むことで、むしろ積極的に保護しています。

 渡来系の信仰に対しても寛容で、鳥居を構えれば「一緒に日本でがんばろうね!」と仲間になることが出来ます。(しかし、高天原系の神様は血や肉や人身御供を極端に嫌うので、荒々しい儀式は神話でマイルドに否定されたりもしています。)

 

 善悪だったり良い悪い側面は、あくまで人間視点なので、神様には他意はありません。

 河川の氾濫は里に甚大な被害を与えますが、山の肥沃な養分を里にもたらします。化学肥料のない時代では、定期的な洪水も必要でした。

 また、ミミズは「益虫」とされ、畑をやっている農家さんからは歓迎されます。見た目はキモチ悪いかもしれませんが、土をフカフカにしてくれます。しかし、ミミズが多いとモグラが来てしまう場合があります。モグラは害獣です。

 ここで、「害」とか「益」とかは、あくまでも人間目線で決められてしまいます。人間にとって「都合がいいかどうか?」が判断基準なのですが、神様に対しては同じ態度で向かい合ってはいけません。

 

『すずめの戸締まり』と神道

 「困ったときの神頼み」ですが、本作で新海監督が問題にしているのは、

「頼みっぱなし」の状況です

 「お守り」には、神様の分身である御神璽が中に入っていますので、願いが成就した際には、もう一度神社に詣でて返納しなければなりません。たとえ願いが叶わなかったとしても、神様にご報告とお礼をしなければなりません。

 日本の神様は寛容なので、「お前の願い事なんて知らないけど、頑張ってるんなら、そのまま頑張れや!」と願い事は聞いてくれないのがほとんどです。(お稲荷さまは宇気比(誓約)によって鳥居の奉納まで約束させていますので、伏見稲荷の見事な千本鳥居ができます。約束を破るととても怖い神様です。)

 

 ちなみに日本の神様に好かれる参拝の仕方は、

 

「ご縁があってこちらの神社にお参りすることが出来ました。素晴らしい土地ですので、機会をとらえてまたお伺いしたいと思います。自分は今、色々とありますが、お陰様でなんとかやっています。ありがとうございます。」

 

 と、こんな感じにお願い事をしないことです。神話を読み解くと日本の神様が日本人に何を期待しているのか良く分かります。

 常に揺れ動く日本の大地を、日本人が動き回ることでその土地を踏み固めています。日本の神様はその様子を微笑ましく見守ってくれています。(これが要石です。)

 

『すずめの戸締まり』と「かえるくん、東京を救う」

 

 以上をふまえて、短編「かえるくん、東京を救う」との関連を考察します。

 

ミミズ みみずくん

 『すずめの戸締まり』における「ミミズ」は人間達の深層意識における歪みの集積のように描かれているようですが、「みみずくん」は多義的にとらえる事ができますので、イコールではありません。あくまで、同じように読むこともできるだけです。

 

要石(ダイジン) かえるくん

 同じ石なので、長編「海辺のカフカ」で使われた「入口の石」と結びつける人もいるようですが、要石に対応するのは「かえるくん」です。読者は「かえるくん」に愛着が芽生え、クライマックスではかえるくんの喪失を悲しむのですが、ダイジンの描かれ方と一緒です。

 

後ろ戸 入口の石

 長編「海辺のカフカ」における「入口の石」が「後ろ戸」に対応しています。先述した通り、ワンクッション置くためのギミックです。村上春樹さんも新海誠監督もシームレスに「あちらとこちら」をとらえているようですが、読者・観客には無理なので、物語を分かりやすくするための設定です。

 

関連する作品 かえるくんとみみずくん

「かえるくん、東京を救う」

while-boiling-pasta.hatenablog.com

 

神の子どもたちはみな踊る

while-boiling-pasta.hatenablog.com

 

海辺のカフカ

while-boiling-pasta.hatenablog.com

 

 「入口の石」については考察していないので、ここで補足しておきます。

 「入口の石は性欲があると触れない」という特殊な設定もあるのですが、性欲のないナカタさんと、スッキリした後の星野青年でないと触ることができません。

 これは、シュメール神話のエンキドゥと巫女の関係です。また、ディズニー映画の「美女と野獣」も、獣に姿を変えられた王子が、理知的なベルによって、自身の内側にある人間性を回復するお話です。

 なので、『すずめの戸締まり』とはあまり関係がありません。単にギミックです。

 

全力考察 「あたりまえ」と受け取らない

 現在、私たちが平穏無事に暮らせているのは、もしかしたらかえるくんやダイジンが人知れず何かと戦ってくれているからかもしれません。それらは、私たちが知らないだけで誰かが日常を守っていることも考えられます。報われない戦いです。

 今、私が日本の大地を踏みしめることができるのは、決してあたりまえのことではありません。その「あたりまえ」に感謝の念があればこそ、日本の神様は祝福してくれます。

 災害大国日本で、このような土地で日本人が生きていけるのは、決して「あたりまえ」ではありません。このようにして日本人は日本の神様に育てて頂きました。

まとめ 『すずめの戸締まり』は未鑑賞です。

 先日、ネットテレビでYouTubeを流し見しながら別の作業をしているときに、『すずめの戸締まり』の考察動画が流れていました。見るでもなく聞き流していたのですが、「ミミズが地震を起こす」で、「なんだと?」と手が止まりました。

 長々と書きましたが、私は『すずめの戸締まり』は未視聴です。私なりに考察してみましたが、あくまでひとつの考え方として、参考にしていただければと思います。

 

 誰かのお役に立てますように。