パスタを茹でている間に

村上春樹作品を考察しているブログです。著者の著作一覧はホーム(サイトマップ)をご確認ください。過去の考察記事一覧もホーム(サイトマップ)をご確認ください♪

考察・「赤」ノルウェイの森(恋愛小説)

この作品は二通りの読み方が出来ましたので、二つの考察を掲げてみます。

ひとつは、純粋に「恋愛小説」として読み、ひとつは「ビルドゥングスロマン」として読みます。

それぞれを「赤」ノルウェイの森(恋愛小説)と、「緑」ノルウェーの森(教養小説)としてみました。

 

 

テーマあるいは出発点

 

”直子に関する記憶が僕の中で薄らいでいけばいくほど、僕はより深く彼女が理解することができるようになったと思う。(中略)もちろん直子は知っていたのだ。僕の中で彼女に関する記憶が薄らいでいくであろうということを。「私のことをいつまでも忘れないで。私が存在していたことを覚えていて」と。

 そう考えると僕はたまらなく哀しい。何故なら直子は僕のことを愛してさえいなかったからだ。”ー上巻P.21

 

著者の解決あるいはメッセージ

 

愛が何なのかも分からずいたが、直子の死をきっかけに、「共有してこその愛」という恋愛観を得るが、その恋愛観によって、「直子は僕のことを愛してさえいなかった」ことに気づかされる。

 

 

100%恋愛小説

「100%恋愛小説」という著者自身のコピーによって発売された本作ですが、

 

”死は生の対極ではなく、その一部として存在している”ー下巻P.226

 

こちらが主題だとすると、どちらかというと死生感の方が強く出ています。そこで、「愛とはなんぞや?」という観点から読み直してみました。

 

「愛してさえいなかったからだ」

映画の予告編でもこちらの台詞が使われています。ネットの反応でも、「なぜ?」「どうゆう意味?」と疑問に思われている方が多いようです。


www.youtube.com

 

共有してこその愛

主人公の恋愛観の変化はこんな感じです。

”「これまでに誰かを愛したことはないの?」と直子は訊ねた。

「ないよ」と僕は答えた。”ー上巻P.54

そして、レイコさんにはこんな風に打ち明けています。

”僕にも人を愛するというのがどういうことなのか本当によくわからないんです”ー上巻P.213

その後、

”そう、僕は緑を愛していた。(中略)そして僕は直子のこともやはり愛していたのだ”ー下巻P.216

と、混乱するのですが、直子の死後に

”この不完全な生者の世界で、(中略)俺は直子と二人でなんとか新しい生き方をうちたてようと努力したんだよ。”ー下巻P.231

こんな感じにキズキに対して想いを吐露しています。これが「共有してこその愛」です。

共有したくない直子

一方、直子の方はちゃんとしてからでないとワタナベ君に向き合えません。

”だからもし先に行けるものならあなた一人で先に行っちゃってほしいの。私を待たないで。(中略)誰の人生も邪魔したくないの。さっきも言ったようにときどき会いに来て、そして私のことをいつまでも覚えていて。”ー上巻P.267

直子の方は自分の苦しみを他の人には共有してほしくないと思っています。また、自分がいつか死によって捕えられることを前提に、「覚えていてほしい」を繰り返します。自分がいなくなった後で、忘れられてしまうことを恐れています。そして、ワタナベ君の中に「自分の生きた証」みたいなものを刻み込もうとしているのでした。

 

”私には分からなくなっちゃったの。人を愛するというのがいったいどういうことなのかというのも”ー上巻P.207

 

二重の失恋

この「共有してこその愛」というのは、ワタナベ君が直子の死をきっかけに、少しずつ形にして、37歳にして得た価値観なのかもしれません。そして、「記憶が薄らいでいくほどに直子に対する理解が深まる」とあります。当時は「覚えていてほしい」の真意が掴めずいたのですが、直子がはじめからワタナベ君との未来を断念し、自分の死後にワタナベ君の中から自分の記憶が薄らいでいくことを恐れていたのだと、後になって理解します。

つまり、互いに愛し合っていたと信じていたのに、直子を亡くして失い、さらに大人になってからは、「直子は僕を愛してさえいなかった」ことに気づくことで、二重にフラれてしまう悲恋です。

 これは、当時は混乱の中にあったので、「これは愛だ」と自覚しながらも、「でも愛って何?」と分からずにいたのですが、大人になって冷静に思い出すことで、直子との未来を願っていた自分を発見し、一方で直子は自分との未来を断念していたことに気づかされます。

 

くどいようですが、この「共有してこその愛」は直子の死をきっかけに、直子によってもたらされた価値観なのですが、その価値観によって自身が愛されていなかったことに気づかされる物語です。

 

これは本当に恋愛小説なのか?

緑と直子の間を揺れ動く主人公とも見れますが、直子をキズキと奪い合う三角関係にも見えます。恋愛小説として読むと、他の時代背景や登場人物やエピソードが全て「世界の不完全性」を表現するためのものだったことになります。その割には個性的過ぎるキャラクターや、不思議なエピソードばかりでしたが…。

通常の構成からすると回想から始まった小説なので、終わりでも回想すると思いきや、本作は戻って来ません。これは回想せずに「自分の現在地が分からずに抜け出せずにいる」という時が止まった状態を描いているのだと思います。上手いですが…。上手いですが…。

 

もうひとつの読み方

教養小説(ビルディングス・ロマン)として

教養小説としての読み方も考察しています。私としてはこの小説は、恋愛小説のストーリーをまとった教養小説だと思っています。

while-boiling-pasta.hatenablog.com

 

元となった短編「螢」との関係性

著者の代表作となった長編『ノルウェイの森』ですが、ストーリーの関連性を持つ「螢」という短編があります。

"「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」"

という名言もこの短編にあります。

 

while-boiling-pasta.hatenablog.com