パスタを茹でている間に

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考察・1Q84 空気さなぎの正体

村上春樹著『1Q84』は、オウム真理教の起こした「地下鉄サリン事件」を扱ったノンフィクション作品『アンダーグラウンド』を経て、著者が得た主題を物語にした作品です。単にモチーフにしたというだけでなく、カルト信者と一般市民との間に「フラクタルな社会構造」を捉え、信者がカルトに身を捧ぐのと同様に、「我々も社会に対して自我の一部を捧げてしまってはいないだろうか?」と問題提起する作品です。

 

 

テーマあるいは出発点

あなたは誰か(何か)に対して自我の一定の部分を差し出して、その代価としての「物語を」受け取ってはいないだろうか?私たちは何らかの制度=システムに対して、人格の一部を預けてしまってはいないだろうか?もしそうだとしたら、その制度はいつかあなたに向かって何らかの「狂気」を要求しないだろうか?あなたの「自律的パワープロセス」は正しい内的合意点に達しているだろうか?あなたが今持っている物語は、本当にあなたの物語なのだろうか?あなたの見ている夢は本当にあなたの夢なのだろうか?それはいつかとんでもない悪夢に転換していくかもしれない誰か別の人間の夢ではないのか?

著者の解決あるいはメッセージ

私たちはステムに預けてしまった人格の一部を取り戻さなければならない。そして、自分自身の夢を取り戻さなければならない。

 

 

1Q84』のプロットと主題

 『1Q84』のプロットと主題については、別記事にて書き直しています。本記事では考察の根拠を「アンダーグラウンド」から求めてしまいましたので、きちんと物語と向き合って考察し直しました。結論は変わりませんが、ストーリーの概観をつかみたい方は、こちらの記事を参考にしてください。

 

while-boiling-pasta.hatenablog.com

 

フラクタルな社会構造 合わせ鏡的な像

本作の主題は『アンダーグラウンド』のあとがきより、そっくり引用してきました。

 

while-boiling-pasta.hatenablog.com

 

牛河やNHKの集金人、カルトやリトルピープルを「邪悪なモノ」と自分から切り離し、対岸に追いやろうとする読み方は間違っています。そのような読み方もできることは、著者の力不足・失敗です。
「自分達の内側からやってきて、根本を共有している。」と読むのが正解です。

空気さなぎとは何か? 空気(ムード)の具現化

私たちの持っているムード(空気)を具現化したもの。作中では、この空気から紡ぎだした糸をまとめてさなぎの形にし、中から自身のコピーを作成し、カルトのリーダーに献上してしまいます。


つまり、自身の人格の一部を切り離し、システムに譲り渡し、その自身の一部だったものをシステムに使役させている様子を描いています。これは、カルトに限らず、国家との契約関係にある全国民も当てはまります。天吾や青豆、あるいは安達クミはリトル・ピープルを介さずに空気さなぎを想像できますが、これは、個人の純粋な願い・想いの具現化です。一方、リトル・ピープルを仲介すると社会や団体といった集団の維持のために変換されてしまいます。

 

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リトル・ピープルとは何か? 社会化の弊害


小説『1984』のビッグ・ブラザー(偉大な指導者)に対し、私はリトル・ピープルを『つまらない人(民)たち』と読みました。強大⇔か弱い、あるいは、偉大⇔卑劣としてもいいと思います。


カルトのリーダーが『金枝編』を引きながら森の王について語りますが、森の王の「王」たる所以は、「神あるいは自然と向き合う人間(民)との間に立ち、その調停を行うもの」の意味での王であり、王は人民の要求に応えるべく、仲保者でなければなりません。このとき、人民の要求するところは、「自分達の安全・安心・安定・幸福と種の繁栄」なので、邪悪なものではありません。 

 

 

ふくろう型の巫女 二重メタファーを吹き飛ばす

カルトのリーダーが森の王型神占政治を行うのに対し、著者は自然回帰を促すふくろう型の巫女を区別しています。なぜふくろうなのかは良く分からないのですが、安達クミです。安達クミは天吾にハシシを勧めながら、人間がかつて自然の一部であった頃に戻し、そこからメッセージを受け取れるように導きます。


古代の人間には無意識しかなく、社会の形成と同時に、徐々に社会も意識化され、無意識で処理されていたような物事も意識的に行わなければならなくなったようです。そのとき、人間は動物としての基礎的能力の一部を放棄し、替わりに抽象的な思考や形而上の課題を検証できるようになりました。そして、イデアやメタファーといった観念についても扱えるようになったわけですが、イデアを自律的なものとして扱うことができるのは人間のみですが、著者はメタファーを解する能力については、元来人間が意識を獲得する以前から備えていたと考えているのではないかと私は思っています。

著者は『神々の沈黙ー意識の誕生と文明の滅亡』という本に影響を受けているようです。詳しくは、こちらの記事を参照下さい。

考察・村上春樹著『アンダーグラウンド』 フラクタルな社会構造 - パスタを茹でている間に

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安達クミ 

この小説では、かなり重要な役を与えられているはずの安達クミですが、描かれ方はとてもミステリアスです。
根拠としてはとても弱いのですが、感情のままにこの本を読むと、天吾の母親が死ななくてはならなかった理由を、中野あゆみに語らせ、天吾の母親の願いを安達クミに語らせているような気がします。三者を結びつけるのは「絞殺」というキーワードしかないのですが、著者が絞殺に固執した理由も良く分かりません。しかし、

"ここは天吾くんがいつまでもいる場所じゃない、と安達クミは言った。"
ーBook 3後編p.246

と、猫の町(1Q84 )から出ていくように促します。

NHKの集金人 我々の社会が生んだ悪


「代価を払え」と執拗に追いかけて来ます。ここで、集金人やカルトやリトル・ピープルや牛河を邪悪なモノと、扱うことも出来ますが、かなりの注意が必要です。その根元は私たちと共有しているからです。これこそが、著者が描きたかったことだと思います。

"理解しがたい奇形なものとして対岸から双眼鏡で眺めるだけでは、私たちはどこにも行けないんじゃないか"
ー『アンダーグラウンド』より

しかし、多くの感想・レビュー・考察を読むと、「勧善懲悪」的な物語と読む方が主流のようです。「邪悪なモノ」を牢に放り込み自分達の安全を保とうとするのが私たちの社会ですが、そもそも、オウム真理教は他のどの国でもなく日本から生じたことに、私たちの反応は子供らしく無邪気過ぎます。

小さなもの


私たちにとって理解しがたい奇形なものの存在を、自分達の内側に認める感覚こそ、青豆がその身に宿した覚悟であり、天吾の書きかけの小説でもあります。青豆と天吾が守っていくのはその「小さなもの」(=感覚)となるはずなのですが、こんな読み方をしているのは、読者の中でもおそらく私だけでした。だから、多分間違った読み方なのでしょう。
それとも多くの読者は、「村上春樹の読み方」という誰かの物語を、受け取ってしまっているのでしょうか?